昨年「東北の手仕事展」が東京の青山で開催されました。
東北6県の職人の工芸品と一緒に紹介されていた雄勝硯は
震災で津波の被害に遭った、石巻市雄勝町の特産品。
室町時代から約600年の歴史がある伝統工芸品で、硯の一級品。
ここ最近では中国産の安い硯に押されるなどして需要が減り
職人さんも随分減ってしまっていたところに、あの大震災でした。
あの日、海岸から約200m離れた倉庫に出荷を控えた硯が約一万個、
その他在庫としての数を入れますと、3~4万個保管されていたそうです。
津波で倉庫は土台を残すのみとなり、硯はもとより近隣の工場で使用されていた
機械なども流されてしまいました。
東北の手仕事を23年もの間丁寧にご紹介していた田中陽子さんが
職人さんの所へ出向き、何とか被災した硯を販売する方向へ持っていけないかと
提案したことがきっかけで、流された硯の「命」の復活につながりました。
何とか拾い集めた硯が一万個。そのうち、使えるものが3~4千個だったそうです。
震災直後、雄勝硯協同組合の組合長さんはこの悲惨な状態に全ての希望を失い
「硯なんかいらねえ!拾わなくていい」と言っていたそうです。
でも、地域の住民の方達が一生懸命泥の中から拾い集めてくれたそうです。
雄勝町の誇りだったのですね。
「せっかく残った硯だから・・。」と泥を掘り起こして必死に集めてくれた・・
その硯に「命」の光を見出していたのではないでしょうか。胸がいっぱいになります。
1970年代に200人ほどいた組合人の方達も数十人となり、震災後は
40人ほどいらした硯職人さん達の2名が亡くなり、30人以上がこの地から離れ
残った職人さんは4名になりました。
田中さんは何とかこの生き残った硯を販売する手立てはないものか・・と
職人さんたちに問いかけました。
「硯を洗い、面をもう一度墨で仕上げ、周囲(底と側)を再仕上げして販売に向けての準備を
してもらえないだろうか。」
職人さんたちは復興に向けて頑張る意志を表し、この硯に「命」を吹き込んだのです。
田中さんは京都・東京と巡回し、雄勝硯の復興支援の為に販売されました。
女性の黒髪のようなつやとすべりが特徴の雄勝硯。
待つこと2ヶ月半。
私の手元に貴重な3個が届いたのは12月半ば過ぎでした。
ずっしり重く、小さな私の手では両手でしっかり持たないと持ちきれません。
艶やかな黒光りに、ほんの少し傷がうっすら見えることがことのほか嬉しくて
何度も何度も撫でました。「命」をひとつ頂いた感じでした。
大好きな友人の父上が修行寺のご住職なので、1個はその父上に。
そしてもう1個は、天台宗の千日回峰行を成し遂げた上原行照大阿闍梨様に寄贈させて頂き
日々被災地への祈りを届けて頂いております。
3月11日に初めて墨をすり、写経を致しました。
格別な想いがこみ上げてきて本当にこの硯と出逢えて心から幸せだと思いました。
4名の職人さん達の想いと田中さんの情熱、そして何と言っても地域の住民の方の
「誇り」がこの「命」の復活に繋がっていったのだと思います。
はじめまして。
雄勝出身の方からコメントを頂けるなんて、
とっても嬉しいです。ありがとうございました。
素晴らしい硯ですよね・・私の宝物です。
大きくずっしり重くて、黒光りしている、
本当に「男前の硯」です。
田中さんも本当に日本美人のとても素敵な女性。
「凛」としているという表現がピッタリの方です。
情熱って本当に大きなエネルギーなんですね。
私も見習いたいと思っています。