Dr.Horiiのひとりごと

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Autobianchi: The Story Of The Most Important Italian Automaker You’ve Never Heard Of 後編

2023-03-10 08:11:11 | イタリア車

A landmark year

記念すべき年

1969年はアウトビアンキの歴史にとって画期的な年であり、後にブランドの最長寿ベストセラーモデルとなるA112が発表された年でした。

 

A111はプリムラの間接的な後継車種であり、プリムラのサスペンションとランニングギアに、より伝統的な3ボックスセダンのボディシェルと特によく整えられたインテリアが組み合わされていた。

しかし、A111はマーケティング的な支援はほとんど受けられず、1972年にひっそりと生産終了となった。その頃、フィアットの上層部は、ランチアの買収に伴い、アウトビアンキの製品は低価格帯の市場に限定することを決定していたのである。

 

The greatest success

最大の成功

A112の物語は、1966年のある日、フィアットのプロジェクトX1/2として始まった。ダンテ・ジャコーザの意向で、X1/2は時代遅れのリアエンジンのフィアット600と850を置き換えるためのものだった。

全長約3.2m、850のエンジンをフロント横置きにし、そのパワーを前輪に伝えるX1/2は、ついにフィアットの大衆車を現代に蘇らせることになった。

 

The Autobianchi A112

The Autobianchi A112 (picture from Wheelsage.org)
アウトビアンキA112(画像はWheelsage.orgより引用)

 

しかし、フィアットの副社長ガウデンツィオ・ボノは、「X1/2はアウトビアンキとし、フィアットはより大きく広い車を提供する」と考え、コードネームX1/4とし、1971年にフィアット127として生産を開始した。

ボノの決断にジャコーザは当初戸惑ったが、結局A112は、1965年からミラノでイノチェンティがライセンス生産していたミニの成功に対する、フィアットグループの回答として機能した。

価格ではフィアットに勝てないイノチェンティは、ミニをフィアットのワンランク上の車と位置づけ、若くて教養があり、都会的な顧客を引きつけることに成功した。1969年には、イノチェンティは年間5万台近いミニを販売し、フィアットはもう我慢の限界に達していた。

イタリア人はスタイリッシュで安価な小型車が大好きで、オートビアンキA112は大ヒットとなった。1971年、高級車エレガントとスポーティなアバルトがラインナップに加わったとき、アウトビアンキはすでに20万台以上のA112を売り上げていた。

 

ミラノ・ブランドの年間販売台数は1973年の約114,000台がピークで、この年、A112は17年間の販売期間中に約130万台のモデルチェンジが行われたのである。

しかし、1960年代のデザインに、コンパクトディスクとショルダーパッドの時代にふさわしいと思わせるようなプラスチック製のクラッディングを施せるのは、限られたものだけだ。

 

The last hurrah

最後の砦

1985年に発売されたY10は、フィアット・パンダをベースとした地味な車体とは裏腹に、流麗でモダンなウェッジデザインを採用しています。

 

The Autobianchi Y10 (picture from media.stellantis.com)

The Autobianchi Y10 (picture from media.stellantis.com)
アウトビアンキY10(画像はmedia.stellantis.comより引用)

 

当初は販売台数が伸び悩んだが、その後、Y10は長い間生産され、成功を収めた。しかし、1980年代後半になると、Y10はイタリア以外ではランチアブランドで販売されるようになり、アウトビアンキブランドは時間稼ぎをするようになった。

1990年代初頭、フィアットグループが経営難に陥り、生産拠点を縮小し始めると、1992年にアウトビアンキのデシオ工場が真っ先に閉鎖されることになった。Y10の生産は同年末にアルファロメオのアレーゼ工場に移され、1996年まで存続した。

1995年に発表された新型イプシロンは、当初からランチアのモデルとして設計されていたため、Y10の消滅はアウトビアンキの物語の終わりを意味した。

 

出典:https://medium.com/roadster-life/autobianchi-the-story-of-the-most-important-italian-automaker-youve-never-heard-of-98b43129c04b
 
~DeepLで翻訳しました。~
 
同じ著者、同じタイトルの動画がありました。(日本語訳は一切ありませんのであくまでご参考です。)
Autobianchi: The Most Important Italian Automaker You've Never Heard Of
 
 
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2 コメント

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Unknown (kjhar92)
2023-03-11 20:17:17
お疲れ様です
A112懐かしいです
私の先輩が乗っていました
ドアミラーの室内の調整の棒?のプラスティック部を鞄に引っ掛け折ってしまったことがあります
先輩は良いよと一言 優しい先輩でした
今はシートの上では無く 石の下で笑ってくれていると思います
お話の中の 今でいうところのクラシックミニの買ったばかりのクーパーで乗ったまま自損事故で逝ってしまいました
購入時に俺の棺桶を買った なんて言っていたのが本当になりました
 私もセブンが棺桶ね なんてうそぶくのは先輩の請け売りです
 暗い話ですみません
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Unknown (autoitalia1985)
2023-03-21 16:34:55
@kjhar92 寛大な、御先輩の人生はいつも車と共に在られたのですね。誰かの心の中でこうやって思い出されることは何より嬉しいことだと思います。
コメントありがとうございます
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