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民団

2017-01-12 20:19:18 | 政治
少女像撤去すべきだ」=韓国民団の呉団長-東京
 在日本大韓民国民団(民団)の呉公太団長は12日、東京都内で行われた新年会のあいさつで、韓国・釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像について「撤去すべきというのが在日同胞の共通した切実な思いだ」と述べた。今後、訪韓し行政側に要望を伝えるという。
 呉団長はあいさつで、2015年12月の日韓両政府の慰安婦問題に関する合意について「苦渋の末に選択した結果で、両国の関係発展のための英断だ」と評価。「合意が誠実な態度で履行されなければ、この問題は永遠に解決されない」と訴えた。
inRead その後、取材に応じた呉団長は「韓国国内で反発が予想されるが覚悟している。両国関係の悪化による一番の被害者は在日同胞だ」と強調。元慰安婦の大半が、両国の合意に基づき設置された財団からの現金受け取りを表明している点を挙げ、「慰安婦問題を政治利用してはならない」と訴えた。 

戦後の漢字

2017-01-12 07:20:58 | 経済
漢字の制限、簡略化が日本の知的文化を劣化させる

《 GHQが去った後も愚民化政策を続ける日本。常用漢字を定めて使用できる漢字を制限する事が日本の知の退化、文化の劣化を招く 》

漢字の使用制限、簡略化を進める事は本当に愚かな政策である。日本語は表意文字・表音文字の両方からなり、日本人は、漢字・平仮名・片仮名、そしてある時はローマ字をも駆使する事で成り立ってきた。この世界にも稀な文字体系を制限し、簡略化し、根本を破壊してしまう事が、連合国軍最高司令官総司令部 GHQ/SCAP による日本愚民化政策のひとつであった。

現在の学校教育では未だ学習していない漢字を使用すると試験では正解していても罰点を喰らう。習っていない漢字を書く事は禁じられているのだ。最近は「新聞でも、テレビの文字情報でも、植物動物図鑑でも、地名でも、駅名でも、驚くほど平仮名表記が多い」。漢字で書くべき表記をわざわざ平仮名で書いて、ハングル文字などが併記されているのを見ると、この国は狂っているのではないかと不快感が込み上げてくる。どう考えても可笑しい。

『当用漢字』は、1946年 (昭和21年)11月5日に国語審議会が答申し、同年11月16日に内閣が告示した「当用漢字表」に掲載された1850の漢字を指す。広義には、当用漢字表 (1946年 〈昭和21年〉11月16日」、当用漢字別表 (1948年 〈昭和23年〉2月16日)、当用漢字音訓表 (同)、当用漢字字体表 (1949年 〈昭和24年〉4月28日)及び当用漢字改定音訓表 (1973年 〈昭和48年〉6月18日)という一連の内閣告示を総称する。表沙汰にはなっていないが、これはGHQ/SCAPの指示を受けてのものである。

当用漢字は、様々な漢字のうち制定当時使用頻度の高かったものを中心に構成されており、公文書や出版物などに用いるべき範囲の漢字として告示され、その後学校教育、日本新聞協会加盟マスメディアなどを通じて普及した。複雑かつ不統一だった従来の正字体の一部に代えて、略字体を正式な字体(新字体)として採用した。

これはとても愚かな政策である。半万年の歴史を誇ると妄想しているお隣の韓国では残存する一番古い書籍は1143年のものだが、勿論、当時はハングル文字などないから漢文で書かれている。ところが現代の大学生はハングルしか読めないから、自国に関わる古い歴史書を読めない。漢文という表意文字からハングルという表音文字一辺倒に切り替えてしまった弊害である。だから彼の国は歴史を知らないのだ。

日本のやっている事は韓国ほど愚かではないにしても、正字体を略字体に変えたり、漢字自体を事実上廃止して平仮名に変えたり、文字体系を簡略化してしまう事で、新しい教育を受けた世代が古書を読めなくしてしまっている。パソコンやスマホの文字変換の普及で漢字が書けない人が増える中、旧字体で書かれた書籍となると殆んどの人が敬遠する風潮が蔓延している。文字変換ソフトにも旧字体への変換機能は先ず無い。先人の知恵が書籍では伝達され難くなっている。当用漢字・常用漢字の導入にはそういう弊害がある事をもっと深刻に受け止めるべきだ。

大東亜戦争前から漢字制限主義者と表音主義者は、漢字は数が多く学習に困難であるから、制限または廃止すべきであると主張し、作家 山本有三、土岐善麿らは「漢字の濫用が軍国主義復活に繋がる」という珍妙な主張をし、実際に、文部省(現文科省)を中心に常用漢字表による用字制限などを試みたりした。

併し、民間識者や文学者、日本語学者からの反対意見が強く、改革は行なわれないでいた事は幸いである。敗戦後 連合国軍最高司令官総司令部 GHQ/SCAPの占領政策となった国語国字改革の下、簡素化と平明さを目指して、戦時下に作成された標準漢字表内の「常用漢字」を基に「当用漢字」が策定された。

従来は、答申、即ち単なる意見具申が内閣に提出されてから充分な期間、民間の討議に付されるのが一般的であったが、当用漢字については1946年 (昭和21年)11月5日に漢字表を公表後、僅か11日後の16日に内閣告示という極めて性急なものであった。

当用漢字は、法令、公文書、新聞、雑誌および一般社会を対象とすると記され、更に、動物や植物の名称、中国を除く外国の名前、外来語などは仮名で表記すべきであるとした。使用上の注意として、この当用漢字で書けない場合には、言葉を変えるか、仮名表記にすべきとされた。

『常用漢字』は、文部科学省文化審議会国語分科会の答申に基づき、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活に於いて、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として内閣告示「常用漢字表」で示された現代日本語の漢字。現行の常用漢字表は、2010年(平成22年)11月30日に平成22年内閣告示第2号として告示され、2136字/4388音訓〔2352音・2036訓〕から成る。

常用漢字表の目的は、漢字使用の目安であって制限ではない為、強制力を有するものではない。併し、学習指導要領では義務教育の国語で読みを習う漢字は常用漢字しか規定がない。日本国内の主な報道機関は、日本新聞協会が発行する『新聞用語集』(新聞用語懇談会編)に掲載される新聞常用漢字表に基づき、各社で多少手を加えて、漢字使用の基準としている場合が多い。

因みに、1981年(昭和56年)、当用漢字を基にしつつ緩やかな「目安」である常用漢字表が内閣から告示され、当用漢字表は廃止された。当用漢字表が廃止された事は幸いであるが、漢字制限は未だ続いている。文字体系の制限はそのまま言語体系の制限に繋がる。日本語にしか無い言語表現が無くなれば、文学などは一律に平易なものになり、誰でも簡単に読める代わりに日本文学にしか見られない奥深い表現などは消え失せる。これが良い事だとはとても思えない。

「漢字使用が軍国主義復活に繋がる」との山本有三や土岐善麿らの主張には恐れ入ったが、GHQの国語国字改革は如何にも愚民化政策らしい。残念ながら日本人には余り誇れない特質がある。即ち、検閲を受けると、その前に更なる厳しい自己検閲を実施するというある種の癖があるのだ。GHQ統治下のNHK、朝日新聞などが恥ずべき好例だが、強者の前には卑屈なほど良い子に成ろうと努力する姿を見せる。

その卑屈さから生まれた「偽善」に自家中毒を起こしたのが、NHK、朝日新聞に代表される左翼マスメディアである。彼等は検閲なき後も偽善的自己検閲を続け、偽善を正義に置き換えて大衆を見下し、尊大に…今風に言えば「上から目線で」増殖して行った。強者GHQの検閲に挫けた成れの果てが、今日常態化してしまった左翼マスメディアの反日的姿勢である。

例え、強者を前に屈服を余儀なくされる期間があろうとも、臥薪嘗胆、自由を得た暁(あかつき)には、悪とされ、抑圧されていた「心の声」に従って筆を振るう。これがジャーナリスト魂というものだと思うが、多くのマスメディアは「正義に変容した偽善」から目を醒ます事は無かった。これは教育界にも言える事である。だから戦後史の真実を知らされていない多くの国民は理不尽な在日擁護の風潮になんの疑問も感じないでいる。マスメディアが真実の戦後史を闇に葬り、教育が嘘を教えるから日本国民は正しい判断ができないのである。

更に、GHQの War Guilt Information Program の絶大な破壊力の前に「後の世の日本人が立ち向かって来なかった」とも言えるのではないだろうか。事実、GHQが去って64年半もの長きに亘り、政治家たちは憲法すら、本気で変えようとしてこなかったし、マスメディア、教育界の偽善に未だに多くの日本人が騙され、劣化再生産されているのが現状である。

「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」を唱える指導者が現れはしたが、彼はいつの間にか「戦後世界秩序」の優等生に変節してしまったかに見える。本心からの変節ではないと信じたい。

「常用漢字表」はGHQの日本愚民化政策の名残りであるが、これがどれほど日本文化を傷つけているか考えて欲しい。植物の名前、鳥の名前、地名などには平仮名では表せない意味がある。

植物の例…つばき、すぎな、なずな、よもぎ、へちま、ぱせり、すいか
ばいかうつぎ
鳥の例……めじろ、からす、ひばり、とんび、かけす、のすり、すずめ

「すいか」は西洋から渡って来た瓜の様な果物だから「西瓜」と書く。
「ばいかうつぎ」は本来「梅花空木」と書き、梅の花を大きくしたような、直径4cm位の真っ白く清楚で匂いのある花を咲かせて、五月雨の頃の庭を明るくする、和風のしっとりとした感じの花だ。「めじろ」は目の周りが白いから室町時代から「目白」とよばれていた小鳥だ。「一般的には平仮名、学術名は片仮名で書く」と定めてしまっては、名の由来も、日本が培ってきた香り立つ様な文化の欠片(かけら)も感じられない。

地名では2014年、広島で起きた土石流被災地などは、実は昔から「蛇落地悪谷」(じゃらくちあしだに)と呼ばれていたそうだ。「山裾を蛇が這うように水が流れ大雨が降ると土石流で地獄と化す人が住めない悪い谷」という意味が込められていた。その一帯を、地名を変え、再開発して、自治体共々 不動産業者が大儲けした結果100人近い犠牲者を出してしまった。この地域の地名改変は江戸時代に為されたという説もあるが、何れにせよ昔の人が恐怖心から名付けた地名には、現代人への警告の意味も込められている。この土地の名が変えられていなければ避けられた災厄である。

漢字を減らし、平仮名、片仮名を増やす。或いは元の漢字より簡単な文字を当てて同じ意味にする。例えば「充分」を最近は皆「十分」と書かせる。これに何の意味があるというのか。悪例を挙げると、悪質な不動産業者は「駅から十分(じっぷん)」と書いて、本当は駅から「充分」歩かされると言う。落語の様な笑えない話である。

漢字の制限は、日本人から知性を奪い、知識を奪い、文化をも奪う。もうGHQは居ないのだから、日本人は一度立ち止まって考えてみたらどうだろうか。韓国人は日本人に教えられたハングルを自賛する余り、漢字教育を止め、今では自国の数少ない歴史書も読めなくなった。日本人の明治時代の知識人の蔵書は半分が漢書であったと言う。江戸時代には幼い子が寺子屋で漢詩を諳(そら)んじた。

現代の日本人の若者は、旧字体の書物を敬遠する。ルビがふってないと読めないからだ。日本でも既に「知の退化」が始まっている。日本独自のアニメ文化は世界に誇れるサブカルチャーだが、日本国憲法まで漫画化して読ませるのは如何なものだろうか。日本語の文字体系を「常用漢字表」の中に閉じ込めるのは、今一度、考え直す必要があろう。