かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

ちょっぴりだけど、涼しくなってきて

2013-08-26 18:01:29 | 日記
ちょっぴりだけど、涼しくなってきて。
読書の秋には、まだ早いけど。

唯一神を「絶対」なるものと見ることは、
宗教の世界では、ごく普通のことである。

でも、仏教は汎神論である。

一人ひとりが、「仏」になるという汎神論である。

だから、汎く(ひろく・あまねく)“仏”が存在しうる。


今、釈徹宗さんの本を読んでいる。

煩悩を滅した存在を“仏陀”という。

「親鸞」という人は、自らを「煩悩具足」と名乗った人である。
だから、「親鸞」という人を「絶対なる」人と評価していいのか。
また、「親鸞」思想を一括りにして、「絶対」他力と表していいのか。

釈さんの書き出しは、そこから、始まっている。


ただ念仏して、浄土へ往生して、成仏する。


釈さんは、
「阿弥陀仏による受容と自己の相対化」の中で、

阿弥陀仏が「私」という現存在を相対化する。

と述べている。

現世に生きる私の義務を、
すべて絶対なるものに、任せては、委ねてはならない。
自らを絶対なるもの下で、相対化させよ。
そして、生きよ。

日本で成熟した浄土教は、
「親鸞」という人物の中で、一つの帰結点に立つことになった。

また、「親鸞」という人は、「家族をもった僧侶」であった。
そして、自らを語らなかった人でもあった。

今、五木寛之さんが、「小説親鸞」の中で、
親鸞と善鸞父子のことを書いている。
“善鸞義絶”まで、何があったのだろうか。


先日亡くなった藤圭子さんの愛娘宇多田ヒカルさんが、
公式サイトで母のことを語っていた。

「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、
家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、
ずっと悩んでいました」と、
生前の藤さんが置かれていた状態について説明した。

病は昔から藤さんに取りついていた。
「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。
病状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方
で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動の
コントロールを失っていきました。
私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と、
母の病気が進む様子とともに、ヒカル自身の苦しみも打ち明けた。

最後に、このような死を選んだ母に対して、

「母が長年の苦しみから解放されたことを願う」とも言っている。

相対の、この“苦しみ”の世界を背負いながら、
最後には、苦しみから解放されて、
絶対の“さとり”の世界へ往き生まれること。


それが、娑婆の世界を生きるということなのだろうか。



広島ブログ
 
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