「最後の原稿を送ったあと、思わず合掌したのは宗教心からではない。
この物語を書かせてくれた多くの人びとへの深い深い感謝の気持ちからだった」
「親鸞 激動編」の連載を終えた五木寛之さんが、
中国新聞の「洗心」に今の心境を語っておられた記事を
読ませていただいた。
その心境は、今回の連載を書こうと決断されたときと、
まったく変わってはいない。
親鸞が生きた時代。
それは十二世紀から十三世紀にかけての、激動の時代。
そして、世に言う「末法」の時代。
先の光が見えない闇の時代でもあった。
その親鸞の、激動の時代を書き始められて、少しして、
東日本で大震災が起こった。
戦後66年、私たち日本人は、いろんな国難にも、
希望を失わずに生きてきた。
その戦後時代を生き抜いてこられた五木さんだが、
この未曾有の災難は、五木さんにとって、筆を折ってしまうほどの
ショックだったに違いない。
数え年で“傘寿”を迎えられる五木さんだ。
「いまこうして連載を終えてみると、不思議な気がしてならない。
自分ががんばって書いたのではなく、見えない力によって
書かされた、という実感が迫ってくるからである。」
今を生きる私たちにとって、五木さんの書かれた“人間親鸞”は
不思議な力を解き放ったと思うのは私だけだろうか。
いつも、ありがとうございます
巷では、仏教ブームとか、親鸞ブームとか言われてはいるが、
ある書店で、親鸞に関する本が並んでいるところで、
ひとりの大学生らしき青年が、こう言ったという。
「オヤドリって何だ?」
こんなエピソードも添えられていた。
私の学生時代にも、友だちに、「新鸞」って書いてたヤツがいたなぁ。
おまえ、そんなんで、ホンマにお坊さんできるのって(笑
この物語を書かせてくれた多くの人びとへの深い深い感謝の気持ちからだった」
「親鸞 激動編」の連載を終えた五木寛之さんが、
中国新聞の「洗心」に今の心境を語っておられた記事を
読ませていただいた。
その心境は、今回の連載を書こうと決断されたときと、
まったく変わってはいない。
親鸞が生きた時代。
それは十二世紀から十三世紀にかけての、激動の時代。
そして、世に言う「末法」の時代。
先の光が見えない闇の時代でもあった。
その親鸞の、激動の時代を書き始められて、少しして、
東日本で大震災が起こった。
戦後66年、私たち日本人は、いろんな国難にも、
希望を失わずに生きてきた。
その戦後時代を生き抜いてこられた五木さんだが、
この未曾有の災難は、五木さんにとって、筆を折ってしまうほどの
ショックだったに違いない。
数え年で“傘寿”を迎えられる五木さんだ。
「いまこうして連載を終えてみると、不思議な気がしてならない。
自分ががんばって書いたのではなく、見えない力によって
書かされた、という実感が迫ってくるからである。」
今を生きる私たちにとって、五木さんの書かれた“人間親鸞”は
不思議な力を解き放ったと思うのは私だけだろうか。
いつも、ありがとうございます
巷では、仏教ブームとか、親鸞ブームとか言われてはいるが、
ある書店で、親鸞に関する本が並んでいるところで、
ひとりの大学生らしき青年が、こう言ったという。
「オヤドリって何だ?」
こんなエピソードも添えられていた。
私の学生時代にも、友だちに、「新鸞」って書いてたヤツがいたなぁ。
おまえ、そんなんで、ホンマにお坊さんできるのって(笑