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晴れときどき・・・

旧街道あるき、古戦場巡り、城攻め、図書館通いの4本立ての日々を綴ります。。

目指せ伊勢神宮!!第1回伊勢街道歩き~日永追分→江戸橋~

2013-03-04 22:02:00 | 街道歩き
 2012年10月20日

 7月から歩き始めた弥次喜多道中ですが、
今回から漸く東海道から離れ伊勢街道へ入りました
三重県四日市市の日永にある伊勢街道の始点から伊勢神宮外宮までの
約74キロ「伊勢街道」とよび、
また、これとは別に大阪方面、東海道の「関宿」から「津」までの
約19キロ「伊勢別街道」と呼びます。

 今回はその「日永の追分」から「津市」を目指して歩きました

 それにしても、回を重ねるごとに、
からスタート地点までが遠くなってまいりました

 朝6時始発で出発しても、
四日市に到着するのは9時過ぎです
帰りの時間を考えたら、せいぜい歩けるのは6時間
往復の電車代も馬鹿にならないし
歩いているにも拘わらずかなりな出費となり
「お伊勢参り」は楽ではありません

 まぁ、それでもお天気はいいし、空気は済んでいるし、絶好の歩き日和です


国道の真ん中にある日永の追分

朝の光を浴びて神々しい伊勢神宮の鳥居

 「旧伊勢街道」は現代の国道23号線の周囲をらせん状に取り付くようにして残っています。
ただただ、南へ向かう道です。

 ここは脇街道なので、東海道であたり前にあった「一里塚」はありません。
思ったほど名所・旧跡の類もなく、ただただ、時の流れに取り残されたような、古い民家が狭い道の両側に続きます。

 
 鈴鹿川を渡ります
護岸工事をしていない川は本当に風情があります

川岸の常夜灯


 関係ないけど、さすが四日市!ガソリンが安い~~


 伊勢街道の道標

北の端の地蔵堂




 今回は皆さんにも旧街道の良さを知っていただきたく、
たくさん道の写真古民家の写真を撮ってきましたので、ご覧ください。



枡形の跡もくっきりのこっていました











 初代津藩藩主である「藤堂高虎」は大変領民や家臣に慕われて
いたようで、彼が江戸へ立つときには、毎回城下町の外れまでみんなで旅の無事を願って見送ったそうです
その橋を「江戸橋」と言って今も残っています。



今回の旅はその江戸橋を渡った所で時間切れになりました

 歩いた距離約27.7キロ
万歩計は帰宅までに43285歩。
筋肉痛にすらならない自分に驚きです(笑)

目指せ伊勢神宮!!第6回東海道歩き~桑名宿→日永追分~

2013-03-03 22:05:37 | 街道歩き
 2012年9月16日 

 東海道歩き約一ヶ月半もお休みしておりました
何しろ真夏のアスファルトは暑くて気力を奪ってしまうのでした・・・

 、もう9月も半ば、ちょっと歩いてみるかってんで、行ってまいりました

 第6回目指せ伊勢神宮!の旅です


 ところで、東海道の正規ルートに船旅が入っているって、
知ってましたか?私は知りませんでした(馬鹿~~
前回、熱田神宮前の「宮の渡し」から「桑名」までは船旅だったのです。
ただ、現在はその航路はありませんので、で桑名駅まで行きました

 本日の朝食は桑名駅前の「ドミニクドゥーセ」です。。


 桑名駅から「七里の渡し」までは約1.5キロです

ここはかつて「伊勢湾台風」で甚大な被害を受けた地域でその際に遺構はほとんど流されたそうです
このあたりの海抜ってほぼ0mなのです。マイナスの場所もあります。

ですから今は高い堤防に囲まれています。
今後、予想される東南海地震に備える為には、更に堤防は高くなるかもしれません。

「桑名」まで来るともう「伊勢神宮」のお膝元です。
「七里の渡し」にも伊勢神宮の鳥居が建っています。




 「七里の渡し」のすぐそばには「桑名城址」があります。

桑名はあの「徳川四天王」の一人で
「五十戦無傷の男」本多忠勝が開いた城下町です。
お城の大手門跡の正面にカッチョいい「忠勝像」が鎮座しています。


 お城は今も河口に面した水城です。

お堀の石垣の跡しか残っていませんが、500メートルにも渡って続く

野面積みの石垣はとても情緒があって素敵でした

 城下町には初代藩主本多忠勝公の墓所もあります。
かの忠勝殿は63歳にしてこの桑名の地で亡くなり、
その菩提寺であった市内の「浄土寺」という寺に葬られます。
もちろん、私はそのお墓へお参りしたかったので、探しました。「浄土寺」
ところが、地図にはあれどお寺が有りませんっ

 炎天下を散々探し歩いて、見つけたのが
「本多忠勝公本廟」という石碑。

お寺はないんです。空き地しか・・・

恐る恐る中に入ると、その奥に墓石がごちゃごちゃに乱立している場所があり、
その一番奥に何故かお寺なのに鳥居が建っている、一帯で一番大きな墓所がありました。


 花は枯れ、雑草は生い茂り、墓石は欠けていました
でも、墓石正面には「西岸寺殿前中書長誉良信大居士」という戒名と
「初代桑名藩主」と刻まれていましたし、
側面には「本多平八郎忠勝」の文字も発見しました。

 マジですかというのが素直な感想です。
武将のお墓って普通はもっと立派です。
築山殿のお墓だってこれよりずっとまともです。質素ですが。
長篠にある「馬場信房」のお墓だってもっとちゃんと手入れされています

 分骨して千葉の大多喜には立派なお墓があるとのことですが、
初代藩主のお墓がこんなに荒れているなんて・・
しかも桑名市のど真ん中なんですよっ

 ショックで墓の前でマジ泣きしてしまいました

 桑名市は銅像立てるより、先にやることがあると思います。

 「戦国BASARA」とかの戦国ゲームで儲けた会社は、
速攻お墓の整備をやるべしっ

 桑名の街をなかりウロウロしたため、予定が大きく遅れてしまいました


縄生一里塚跡

富田一里塚跡

日永一里塚跡、此処が江戸より百里目の一里塚です

本当は鈴鹿あたりまで到達する予定でしたが、時間切れの為、
東海道と伊勢街道の分岐点である「日永の追分」で今回は終了です。

 「日永の追分」にも大きな伊勢神宮の鳥居が建っています。

そしてナント道路の真ん中なのにもかかわらず、

今も綺麗な水が湧いていて、

地元の人たちがお水を汲みに来ていました。驚きですっ

 今回も43345歩更に日焼けして無事に戻ってまいりました

目指せ伊勢神宮!!第5回東海道歩き~知立宿→宮宿~

2013-03-02 21:26:29 | 街道歩き
2012年7月28日 

 早いもので今回で東海道歩き5回目になりました
ついに総歩行距離100キロを越え、いよいよ佳境に入ってきました

 先週はに降られましたが、今日は朝からがわんわん鳴く快晴です
もう凶暴なほどの陽射しが朝の7時からアスファルトに降り注いでいます

 今日の旅の出発点は名鉄「新安城」駅です。
ここに7時40分着。これから、東海道が陸を離れて船渡しをする
「七里の渡し」「宮宿」を目指します

 新安城駅から北へ200メートル程歩くと旧東海道に出ます。

ぽつぽつと松並木が残る道を西へ歩くこと3キロで



「池鯉鮒宿」に入ります。
昔はこれで「ちりゅう」と読みました。
知立馬市の跡の碑


問屋場跡の碑

知立古城の跡



総持寺



ここの松並木もなかなか見事でした。

わりと保存状態のよい来迎寺一里塚も遺っています



 知立を過ぎると刈谷市を経て豊明市に入ります。
阿野一里塚です。ここは国の史跡に指定されています。



 ここからは「三河国」ではなくて「尾張国」になります。
随分遠くへやってきました

 豊明に入ってしばらく進むと先月探索した
「桶狭間の古戦場跡」が見えてきます

桶狭間の古戦場はこの豊明市名古屋市緑区の二箇所にあって、
本当はどっちなんだと調べたのですが、
歩いて見れば一目瞭然です
本当の古戦場は先月探索したとおり、名古屋市の方です。
では何故豊明にも桶狭間があるのか?
簡単です。江戸時代、街道歩きはレジャーでもあったのです。
やじさんきたさんみたいな・・・。
だから東海道沿いに観光名所としての
古戦場跡地が必要だったのでしょう。


 桶狭間を過ぎると先月も訪れたあの古い町並み伝統工芸の町
「有松」にたどり着きます。



東海道の宿場町はお隣の「鳴海宿」なのですが、
広重はちょっと間違えて「有松」の様子を「鳴海」として描いています。
ここは有名な観光地ですから、この暑さでもかなり賑わっていました。
東海道を歩いて、初めて観光客に出会いました(^O^)

何度訪れても素敵な町並みです





有松一里塚跡


 有松からは名古屋市です。
天白川を渡って笠寺へ入るともう名古屋の市街地はすぐソコです。
笠寺の一里塚跡

笠寺観音、宇宙人みたい。。


 東海道名古屋の中心地を通りません。
尾張名古屋は徳川御三家ですから、参勤交代大名行列
気後れして迂回したのでしょうか。

 熱田神宮のお膝元から東海道は対岸の三重県桑名市までで渡ります。
東海道に船旅7里もあったなんて知りませんでした。
昔の旅人はテンションあがったでしょうね~。
当時、このあたりは大変な賑わいだったようです。





 帰りに無事に「宮の渡し」まで来られた事を感謝して、
熱田神宮へお参りしました



 信じられないほどの暑さの為か街道は殆ど人は歩いていませんでした
私も倒れそうでしたマジで・・・
何とか「七里の渡し」の場所を確かめて、熱田神宮へ参拝して、
もう疲労困憊でフラフラになりながら、帰途へ付きました・・

 45123歩真夏にこれは拷問でした

目指せ伊勢神宮!!第4回東海道歩き~赤坂宿→知立宿~

2013-03-01 21:35:14 | 街道歩き
 2012年7月21日 のち

 今日の最高気温は26度。天気はいいぞぉ~
あの灼熱のアスファルトの上を歩かなくていいと思っただけで、
元気が出てきそうです

 本当は始発で出発したかったのですが、
なんと、まさかの寝坊・・
あぁここでの2時間のロスは後々に響くのじゃ・・・

 曇り空の下、灰色の浜名湖を眺めつつ、
豊橋駅名鉄に乗り換えて
前回のゴールだった「赤坂宿」9時半に到着しました。

今日はここから「藤川」「岡崎」を経て color="pink">「知立」まで約35キロ
一気に歩きます

 赤坂宿の古い町並みを眺めつつ、

一方で並行して走る国道一号線
大型トラックがバンバン走っているギャップが面白いです

 幹線道路を一本脇へ入っただけで、
こんなまるでタイムスリップしたかのような
町並みが残っているなんて、東海道を歩くまで私は知りませんでした。




 長沢城址の碑。今は小学校が建っています。

長沢一里塚跡


 国道で排気ガスを浴びながら歩くのはとても疲れます
でもこの古い町並みを眺めつつ歩くのは、本当に癒されます


 赤坂宿と次の藤川宿の間に「本宿」という宿場町があります。
53次には入っていませんが、この辺りにも茶屋などがあったようです。


本宿一里塚跡


道は豊川市から岡崎市に変わります。


 赤坂を出て約2時間「藤川宿」に到着しました。

藤川一里塚跡

この辺から雨が本格的に降ってきまして、
コンビニで傘を買いました。


 
 馬??




藤川は小さな宿場町ですが、






宿場のはずれの松並木は保存状態もよくて見ごたえがありました。


工場の脇道なのですが、いい松並木でした


 城下町の岡崎が近づいているせいでしょうか、
大きくて由緒正しげなお寺が沢山現れます。


 大平一里塚 ここは史跡に指定されています。
 
 「藤川」から更に2時間東名高速岡崎インターを通り過ぎると、
岡崎の中心街へ入ります。道路も渋滞しています。

ここへは昨年の夏「築山殿」の足跡を辿るために歩きました。

思えば、あれが私が史跡を辿るのは歩くに限ると気付いた最初でした。




 遠くに見える岡崎城


岡崎と言えば、これか・・・


 の中ため暑くもないし、快適なのですが、テンションは上がりません
岡崎城下道に迷ったあたりから、
なんとなく投げやりな気持ちが芽生え、ちょっとした「歩きうつ」
陥ってしまいました
雨で濡れているため座る場所も無く、
昼食をとる適当な店も見つからず、おろしたての靴のせいで
足にはマメも出来ているし・・・


 本当は「知立」まで行きたかったのですが、
少々手前の「三河安城」でギブアップしました

尾崎一里塚跡

まぁこんな日もあるさぁ~・・

目指せ伊勢神宮!!第3回東海道歩き~二川宿→赤坂宿~

2013-02-28 20:54:06 | 街道歩き
 2012年7月16日 

 今朝は始発で旅立ちました
の窓からは綺麗ながかかっておりました
暑くなりそうです。今日も・・・

 前回ゴールした「二川宿」から「吉田宿(豊橋)」目指して再出発です

二川駅から国道一号線を離れて狭い旧道をとことこ歩くと約1時間で豊橋市街へ入ります。



えっ
マムシ売ってるのでしょうか


 豊橋市は、チンチン電車が走る、愛知県第2の都市です。

道路の広さが、愛知県って感じがします。

 この宿の特徴はとにかく東海道があちこちで直角に曲がっているのです

これは、宿場町の中で複数の大名行列がすれ違わない為らしいです

あと、ここには吉田城という、なんと戦国時代に6回も落城してしまったお城がありますが、この城下町の防衛の為でもあるようです。

しかし、何度も角を曲がっているうちにワケがわからなくなり、

迷ってしまいました約1時間のロス

 この町のもうひとつの特徴は、町の中心部を流れる豊川の美しさです。

人口40万人の大都市でありながら、
素晴らしく綺麗な川が流れているのです。

今日も川の中で貝を獲っている人たちがおりました。

川を渡る風が汗だくの顔に気持ちいいです

 また、豊川方水路を渡ると空襲を免れた古い集落が残っています。

下地地区といって、格子窓のある低い二階屋が点在しています。

歩いていてほっとする瞬間です。



ドラクエでいうと、に入ると音楽が変わるじゃないですか。

まさに、あんな感じです。。




 豊橋から炎天下にふらふらしながら歩く事2時間

この屋根に載っているのは何でしょうか??

伊奈の一里塚跡です


 漸く遠くに豊川稲荷の大きな鳥居が見え、
そこから更に1時間あるくと、あの姫街道の終点「御油宿」へ到着します。

あの時は疲労困憊で、もう帰りたい二度と来るもんか
と内心思って歩きましたが、まさか半年後に再び歩くとはっ
朽ちかけてる姫街道の立札…磐田見付のとは大違いです


御油から赤坂宿までは古い町並みが残っています



 御油宿にはあのやじさん、きたさんに化かされて大騒動になった、御油の松並木が残っています。

大きな松林が約600メートル以上続きます。

素晴らしいの一言ですっ

感動すら覚えます



 松林を抜けるともう「赤坂宿」です。

ここにも古い町並みが残っています。

当時は大きな遊郭があって大変賑わったそうです。

ここにある旅籠「大橋屋」さんは当時のままの建物で現在も営業中です

信じられない位古い旅籠です。本当に泊まれるのかしら勿論泊まれます