2012年10月20日
7月から歩き始めた弥次喜多道中ですが、
今回から漸く東海道から離れ伊勢街道へ入りました
三重県四日市市の日永にある伊勢街道の始点から伊勢神宮外宮までの
約74キロを「伊勢街道」とよび、
また、これとは別に大阪方面、東海道の「関宿」から「津」までの
約19キロを「伊勢別街道」と呼びます。
今回はその「日永の追分」から「津市」を目指して歩きました
それにしても、回を重ねるごとに、
からスタート地点までが遠くなってまいりました
朝6時の始発
で出発しても、
四日市に到着するのは9時過ぎです
帰りの時間を考えたら、せいぜい歩けるのは6時間
往復の電車代も馬鹿にならないし
歩いているにも拘わらずかなりな出費となり
「お伊勢参り」は楽ではありません
まぁ、それでもお天気はいいし
、空気は済んでいるし
、絶好の歩き日和です

国道の真ん中にある日永の追分

朝の光を浴びて神々しい伊勢神宮の鳥居
「旧伊勢街道」は現代の国道23号線の周囲をらせん状に取り付くようにして残っています。
ただただ、南へ向かう道です。
ここは脇街道なので、東海道であたり前にあった「一里塚」はありません。
思ったほど名所・旧跡の類もなく、ただただ、時の流れに取り残されたような、古い民家が狭い道の両側に続きます。

鈴鹿川を渡ります
護岸工事をしていない川は本当に風情があります

川岸の常夜灯

関係ないけど、さすが四日市!ガソリンが安い~~

伊勢街道の道標

北の端の地蔵堂


今回は皆さんにも旧街道の良さを知っていただきたく、
たくさん道の写真や古民家の写真を撮ってきましたので、ご覧ください。



枡形の跡もくっきりのこっていました








初代津藩藩主である「藤堂高虎」は大変領民や家臣に慕われて
いたようで、彼が江戸へ立つときには、毎回城下町の外れまでみんなで旅の無事を願って見送ったそうです
その橋を「江戸橋」と言って今も残っています。



今回の旅はその江戸橋を渡った所で時間切れになりました
歩いた距離約27.7キロ。
万歩計は帰宅までに43285歩。
筋肉痛にすらならない自分に驚きです(笑)

7月から歩き始めた弥次喜多道中ですが、
今回から漸く東海道から離れ伊勢街道へ入りました

三重県四日市市の日永にある伊勢街道の始点から伊勢神宮外宮までの
約74キロを「伊勢街道」とよび、
また、これとは別に大阪方面、東海道の「関宿」から「津」までの
約19キロを「伊勢別街道」と呼びます。
今回はその「日永の追分」から「津市」を目指して歩きました

それにしても、回を重ねるごとに、


朝6時の始発

四日市に到着するのは9時過ぎです

帰りの時間を考えたら、せいぜい歩けるのは6時間

往復の電車代も馬鹿にならないし

歩いているにも拘わらずかなりな出費となり

「お伊勢参り」は楽ではありません

まぁ、それでもお天気はいいし




国道の真ん中にある日永の追分

朝の光を浴びて神々しい伊勢神宮の鳥居

「旧伊勢街道」は現代の国道23号線の周囲をらせん状に取り付くようにして残っています。
ただただ、南へ向かう道です。
ここは脇街道なので、東海道であたり前にあった「一里塚」はありません。
思ったほど名所・旧跡の類もなく、ただただ、時の流れに取り残されたような、古い民家が狭い道の両側に続きます。

鈴鹿川を渡ります
護岸工事をしていない川は本当に風情があります

川岸の常夜灯

関係ないけど、さすが四日市!ガソリンが安い~~

伊勢街道の道標

北の端の地蔵堂


今回は皆さんにも旧街道の良さを知っていただきたく、
たくさん道の写真や古民家の写真を撮ってきましたので、ご覧ください。



枡形の跡もくっきりのこっていました









初代津藩藩主である「藤堂高虎」は大変領民や家臣に慕われて
いたようで、彼が江戸へ立つときには、毎回城下町の外れまでみんなで旅の無事を願って見送ったそうです

その橋を「江戸橋」と言って今も残っています。



今回の旅はその江戸橋を渡った所で時間切れになりました

歩いた距離約27.7キロ。
万歩計は帰宅までに43285歩。
筋肉痛にすらならない自分に驚きです(笑)