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晴れときどき・・・

旧街道あるき、古戦場巡り、城攻め、図書館通いの4本立ての日々を綴ります。。

目指せ伊勢神宮!!第2回東海道歩き~舞阪宿→二川宿~

2013-02-27 21:02:27 | 街道歩き
 2012年7月14日 のち

 前回は浜名湖のほとりの「舞阪宿」まででしたので、
今日は磐田から「舞阪駅」まで行きました。


 がっ
ここで一つ問題が発生
数日前からが痛いのです虫歯です・・

 堪らず舞阪駅から歯医者さんしたら、今日の夕方なら空いているとの
ことでしたので、街道歩きを予定より早めに切り上げることにしました

 舞阪駅から、松並木を辿ります。

波小僧の像・・ここのベンチで歯医者の予約をするなんて・・・

浜名湖に向かって舞阪の宿場を歩きます。

舞阪の一里塚跡

本陣跡

脇本陣は現存していました

突き当りに今切りの渡し場跡




 昔はここは舟で対岸の「新居宿」まででしたが、
現在は国道一号線弁天島経由を渡ります

遠くに見えるのは国道一号線バイパスの浜名湖大橋です。

歩くのはこっちのです

潮風が気持ちいい~~




 新居関所東海道でも最も取締りの厳しい関所でした

そしてここは、当時の関所が現存しています

意外と小さい建物です。

新居宿は狭い街道沿いに当時の町並みが残っています

屋根の低い、格子窓の趣き深い町並みはなかなか良い感じです。


新居一里塚跡


 新居宿を過ぎるとまた延々と松並木の道が国道と並行するように続きます。

東海道を旅する気分も盛り上がります
でも、歩いている人一人もいません・・

「潮見坂」の登り口です。

「潮見坂」は、ちょっとした峠道ですが、
姫街道と比べたらどうということもありません

峠の頂上からみた太平洋はとてもステキでした

峠の上には休憩所もあります


 新居宿から約8キロの白須賀宿は、幹線道路から外れた為、
逆に当時の建物の保存状態がよく、
坂道に沿って古くて情緒たっぷりの町並みがひっそりと続いています。

観光地化もされていなくて、
そこには普通に人々が暮らしていていました。

東海道は、有名な観光地でない場所ほど、
保存状態がよい町並みに出会います。





 白須賀宿を過ぎると、あとは豊橋まで延々と国道を歩きます

炎天下をただひたすら歩くだけです

目印もないし、コンビニもまばら、
自販機すら見当たらず、だんだん頭がぼぉーっとしてきました
の時刻表が凄い!!


 ようやく新幹線の二川ガードをくぐると「二川宿」の入口です

ここは、本陣や旅籠を始め宿場の雰囲気を保存しようという意気込みが感じられる街並みが続きます。




 歯医者の時間が迫ってきましたので
今回は豊橋の手前の「二川宿」にて
終了し、で戻りました。
で、約13年振りの歯医者さん・・・「ぎょえーーーっ」

 舞阪宿→新居宿→白須賀宿→二川宿 約21.6キロ 31560歩。
歯は痛いですが、足はノーダメージでした。。

目指せ伊勢神宮!!第一回東海道歩き~見付宿→舞阪宿

2013-02-26 20:58:09 | 街道歩き
 2012年7月7日 のち

  前々から行こうと思ってもなかなか実行に移せなかった、
「お伊勢参り」をとうとう昨年の夏にはじめました

 当初は東海道との分岐点である、
三重県四日市市にある「日永の追分」から
伊勢神宮までの約80キロを歩く予定でしたが、
どうせなら、家から歩いちゃえ!ってんで、
我が家のある東海道を江戸から数えて28番目の宿場町である
「見付宿」から旧東海道沿いに歩いてみようと思くことにしました

 これをだいたい9回に分けて歩く予定です。
まぁ一回25キロぐらいでしょうか。

 因みに土方歳三様は慶応3年あの大政奉還の際に、
一日平均45キロ歩いた記録が残っています。
格好よすぎます・・・歳さま・・・

 当時を使っていた、天竜川浜名湖の今切口
桑名市の七里の渡しについては、公共交通機関を使いました

 歩く方法としては、一昨年の「姫街道」同様、
目的地まで歩いてJRで戻る、の「尺取虫」方式でいきたいと思います。
勿論、お金も暇もないからです



 まず、我が家から国道一号線を横断して旧東海道62番目一里塚
「阿多古山一里塚」跡を目指します。

ここが、東海道28番目の宿場町
「見付宿」の入り口です。

ここからいよいよ東海道を歩きます。

見慣れた場所なのですが、歩くと本当に遠く感じます。しかも雨だし・・・

 「見付」と言うのは、京都から江戸へ向かう旅の中で、
最初に富士山を見つける事ができる宿という意味だそうです。

道路が拡張され往時の面影は殆ど残っていませんが、

18年前に私がお嫁に来た頃はまだ古い町屋が肩を寄せるように建っていました。
現存する最古の洋風木造小学校建築物である「旧見付学校」磐田のシンボルです

姫街道の入口はこちらです

宿場の西の木戸です

西光寺の山門。徳川家康の別荘だった中泉御殿の門を移築しました。

府八幡宮。ここは遠江の国司があったところです。

本殿はに大将軍秀忠の娘東福門院が寄進しました。

しっかし凄いで・・。全身ずぶ濡れです



 見付の宿場町を後にして、一路天竜川へ向かいます。
街道筋には車で走っている時には気がつかなかった色々な史蹟や祠がありました。



旧豊田町に入ってすぐに見つかる「宮之一色一里塚」

実はバス停なんですが・・

遠州地方どこでも見られる秋葉常夜灯を納めた祠

ちょっと雨も上がってきました

松並木も少しだけ残っていました




 天竜川を渡る橋には歩道がありません
私を含めてこの橋をで走るときは「ぬわわ㌔」近いスピードを出します
ですから、ここは決して歩いて渡ってはいけません
橋の東岸にあるJR豊田町駅から西岸のJR天竜川駅までは、
東海道線に乗りました


 この旅はあくまで「旧東海道を歩いて楽しむ」旅であり、
「危険を冒してまで正確さに拘る」つもりは最初からありません。
道に迷ったら、国道一号線を歩こうと思っています。



 幸い、天竜川駅旧東海道のすぐ前にありますから、
そこからまた歩きます

はすっかり上がって、今度はが容赦なく照り付けました

 歩き始めて約3時間後、漸く浜松市街へ入りました。

浜松は本陣4つも存在した東海道でも
指折りの大規模な宿場町でした。


ただ、都市化がすすみ、当時の面影は中心部には全く残っていません
一里塚も跡形もありません。

 このあたりに来ると、身体も疲れているし、
気温は上がっているしで、かなり足が遅くなってきました

 ここから次の宿場の舞阪までは11.5キロあります。
特にめぼしい史跡もなく、ただ国道を歩くのみです。
ひたすら水分補給だけを念頭に歩きました。





 舞阪宿へ到着したのは午後4時半。


歩き出して6時間です。
本当はもう6キロ歩いて次の宿まで行きたかったのですが、
久しぶりのウォーキングで足が限界だったので、
今回はここまでと言う事で、JRで帰路に着きました

 夏場の街道歩き、汗は流れるのではなく、
蒸発してになるって、知りました・・・

第五回姫街道歩き

2013-02-04 20:08:18 | 街道歩き
 2011年11月13日~三ヶ日~御油~

茶畑改め、みかん畑地方、今日も快晴でした

 姫街道も今回で5回目、そしていよいよ最終回です。

前回まで歩いた三ヶ日宿まで今度はJRと天竜浜名湖鉄道を
乗り継いで向かいます。

 JR新所原駅より天竜浜名湖鉄道に乗り換えると、
窓の外はずっと奥浜名湖が広がります。
秋の陽光を受けて、とろりと輝く湖面は、
これが本当に海なのかしらと思うほど穏やかです。


もの凄く大きな姫街道の案内板

怖すぎる立札・・

趣深い火の見櫓


常夜橙もマニアになりそうなくらい趣向が凝らしてありました。

 三ヶ日宿から次の本坂宿までは、
なだらかな丘陵地帯を歩き、本坂宿は
いかにも古い鄙びた宿場町という感じで、
気分がよかったです。



時折すれ違う地元の方は皆さん気持ちよく
挨拶をしてくださいました



江戸より72里目 本坂一里塚
 
 そして、本日のメインイベント、本坂峠越えです。
箱根峠と並ぶ東海道最大の難所です。


峠越えの無事をお祈りしました。




此処が峠道の入口です


道なき道を延々と30分ひたすら登ります


息が切れて、汗が背中を伝います
登っても登っても頂上へは中々たどり着けません

鏡岩ですが・・。
勿論何も写りません。
写ったら怖すぎです・・・


 漸く登りきった所に「本坂峠」の道標。
一休みしたいところでしたが、薄暗くてちと怖い。
何が出てきてもおかしくないシチュエーションです。

休憩もそこそこに、今度は山下り。
上りも大変でしたが、下りは更に大変。
地面はじめじめと湿って酷く滑るのです


そして、道は狭くて木々に遮られて昼なお暗い





 ここで、今回の道程で初めて
姫街道を行く人とすれ違いました。
おじいさん3人組でした。
一人で三ケ日から歩いてきたと言ったら、
非常に驚かれました。

 昔の旅人同様、非常に苦労して漸く
麓の愛知県豊橋市「嵩山宿」へ到着しました。

嵩山と書いて「すせ」と読みます。
難しいですね、読めません

嵩山の常夜橙はレンガ塀に囲まれてとても大切にされていました。

嵩山の町はとてものどかで素敵でした。

いつも癒される一里塚


水難避けの神様「馬頭観音」


豊川 当古の渡し場跡

旧街道の町並みがかすかに残っています。



今や渋滞の名所となっている「姫街道踏切」です。


ここから豊川稲荷はすぐです。
ちょっと寄り道しました。



 豊川から終点の豊川市御油(ごゆって読みます)までは、
特に見どころもなく、ただひたすらまっすぐに伸びる、
県道5号線を歩きます。
このまっすぐで単調な道が約15キロ続きます。

それでも旧家は所々に・・・


 何が辛いって、ただ、アスファルトの上を3時間以上歩くのは
辛いです。ワタシ、何やってんだろ?って気になります。
誰も見てないし、電車に乗っちゃえって影の声が聞こえます



 そして、ヘロヘロになってたどり着いた御油宿。
ここは東海道と姫街道の分岐点があるのです。
探しました、見つからなくて…。


 見つからない筈です。
姫街道終点の立て札が、
ほとんど朽ち果て、
道路脇に立てかけてあるだけでした。
思わず、膝をついてボロボロの立て札を撫でてあげました。


 これで、姫街道全工程約65キロ、踏破いたしました

 実は、4万歩超えた辺りから、
右足が動きません(泣)
明日、どうなるんだろうと、
ちょっぴり不安なのでした~

 その後、この傷めた右足は約一ヶ月に渡って
私を悩ませたのですた。
敗因は明らかに、本坂峠の下りで
調子乗ってどんどん大股で降りてしまったことです。
下り坂こそ足腰をいたわって降りなくてならないことも
知らなかった超・初心者ウォーカーだったのですた・・・


第四回姫街道歩き

2013-02-03 21:24:42 | 街道歩き
 2011年10月29日 ~気賀関所~三ヶ日~

  姫街道ウォークはじめての晴天にめぐまれました(#^.^#)
今日はイイことありそうです。。

 前回「気賀関所」で終わったので、
そこから出発します。
「気賀関所」付近は無料の駐車場が沢山あったので
今回は関所まで愛車「紅クサラ」で行きました。
歩けば6時間以上かかる道のりを
車だと40分で到着。
なんだか自分のしていることが哀しい・・・

 いえいえ違います
車だと絶対に見過ごす事を
歩けば覚えるんです。
だから一度歩いた処は道に迷わない(んじゃないかしら・・)
行程がもの凄く頭に入っている事を
先週歩いた道を車でトレースしながら
今日は改めて気がつきました。

 何故これほど駐車場があるのか不明
気賀市街に車を止めて、スタートです。

 まず、気賀関所の裏道というか
抜け道だった「犬くぐり道」を探索。

街中に関所があると、地元の人は大変です。
そこを通るたびに、関所を通らなくてはならない。
それは面倒だということで、
関所の裏手に細い道を作りました。
ここを通るのは犬だけだから、関所検めはなし!!
という、お役所の粋なはからいにより、
地元の人が普段使った道です。

 気賀市街は、見所満載で、
静かで、水が綺麗で、景色がよくて、
本当に素敵な街でした。
細江神社です。

姫街道公園にはお姫様の像が・・


獄門畷跡の碑
ブラックな家康が見え隠れします・・。

カーブミラーにもお姫様が・・・。

江戸から69里目 山田一里塚です。

 更に西へ進み坂道を登っていくと、
急に左側が開けて、浜名湖が一望できます。
この辺りを「小引佐(こいなさ)」というそうです。


穏やかな水面と、青い空、白い雲、遠くを走る東名高速
本当に疲れを忘れる絶景でした。
お姫様達もきっとこの景色を見て
旅の疲れを癒したことでしょう。



 そして、道は一層険しくなり、
本日のハイライト、「引佐峠越え」です。
もう完全に雑木林の中を石畳を頼りに進みます。
途中に遭遇しましたが、
ぎゃー」っと叫んでも誰もイナイ・・・


お姫様が腰掛けて休んだとのことですが、
いたし・・・


石畳は上りもきついですが、
下り坂がさらに怖いです。
膝も笑っています。

長崎から連れてこられた象が
あまりの急坂を登れず、鳴いたという坂が
残っていましたが、
象だっておばさんだって、泣きます

 旅の無事を祈って私も小石を投げました。。


 しかし、凄い峠道でした。
誰もいない山の中、怖くなかったかといえば嘘になります。
半泣きでした・・・

 しかも、このあとに歩く予定の「本坂峠」はさらに険しいらしいのです

 

 それでも峠を超えたら、ミカン畑の中ののどかな道が
三ヶ日まで続きます。



江戸から70里目  大谷一里塚


 が、ここにきて大誤算発生
なんと姫街道が東名高速道路によって
寸断されているのです


当然ながら高速道路は渡れません。
ガードの下をくぐるか、
歩道橋を渡らなければなりません。


 その行程において、
高速道路を挟んで完全に道を誤って
なんと蜜柑畑に迷い込んでしまいました。
だって、見渡す限りみかん・みかんなんです。
方向感覚が解らなくなり、気がついたら、
みかん山をよじ登ってました
勿論私有地です。
どうみてもおばさんが
みかんを盗みに来ている風情です



 みかん山を彷徨うこと1時間・・・。
ようやく普通の道に出て、
「姫街道」の標識を見たときは、
涙が出るほど嬉しかったです


道中、不幸にして行き倒れになった方のお墓を地元の方が作りました。
当時もやはり街道歩きは命懸けだったのですね。


 71里 三ヶ日一里塚 


三ヶ日宿本陣跡

そして本日のゴール、三ヶ日宿です。。

 姫街道は気賀関所から三ヶ日を通って本坂峠を超えるまでが
最大のハイライトだと思います。

 道は険しくて大変なのですが、浜名湖は綺麗だし、
みかんは美味しそうだし、とっても楽しい旅でした


第三回姫街道歩き

2013-02-02 07:50:05 | 街道歩き
2011年10月23日 ~小池一里塚~気賀関所~ 

 さぁて、今日も元気に行ってみよーってことで、
第3回姫街道ウォークです
今回は前半のメインとなる唯一の関所「気賀関所」まで歩きました。


 前回のゴール地点です。
姫街道最初の一里塚を踏破したところまででしたので、
そこまではバス→JR→私鉄を乗り継いで一時間ほどで到着。

 そこからはほぼ国道216号線沿いをてくてく歩きます。
この道は、かつて「三方原合戦」の足跡をたどった際に、
通った道でもあります。
つまり武田信玄軍が通過した道です。

 実はこのあたりで雨に降られました

姫街道に現存する最古の道標も
土砂降りのなかゆっくり見れなくて/ase/}

 三方原台地に登ると見えてくるのが、
追分一里塚です。


ここからは姫街道の松並木が続きます。

松の木には「姫街道豆知識」の札がかけられていました。

 ここで、漸く雨が上がりましたが、
今度は暑くて、暑くて・・・



東大山の一里塚です。
このあたりから下り坂になります。
台地を西へ下ると、松並木も途切れて、道は徐々に寂しくなっていきました。


 途中、姫街道は国道を離れて
寂しい山道を数キロ歩きました。

山の中にあの「桶狭間の戦い」で今川義元を討ち取った
「服部小平太最後の地」がありました。
ただ、ここでは蚊の大群に襲われ、必死で逃げました

タンクにもお姫様の絵が・・・。

老ヶ谷一里塚です。江戸より67里とありました。
ところで、一里の長さを全国的に統一したのって
織田信長なんですってねー。
知りませんでした・・


 坂を下りて、都田川にかかる橋を渡ったら本日のゴール

「気賀の関所」です。
この日は、「関所祭り」で、なんと無料解放しておりました


 本日の歩行距離は約14.7キロ。
後半は晴天に恵まれ、大変楽しい旅でありました。


小さくてとっても可愛い天竜浜名湖鉄道気賀駅の駅舎です