真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

自民党の役割が終わる時

2010-02-26 23:48:11 | Weblog
「国民から信頼されていない政権に対して、きちんと対峙していく。それが野党第一党の務めだ」

という意味のことを、審議拒否を続ける自民党の会合で、麻生太郎・前首相が言っていた。
ある民主党関係者が、
「麻生さんにだけは、言われたくない」
と言っていた。

私は発言内容より何より、
麻生太郎が自民党の会合に出席し、発言したこと自体に驚いている。

選挙にはいつも風が吹く。
郵政選挙のときは「小泉旋風」。
前回選挙のときは「反・麻生旋風」。

麻生太郎支持者といえども、彼が選挙時の自民党の総裁だったことは否定すまい。
大赤字を出して会社をつぶした社長が、再建後に役員会に出てきて、でかい顔で発言するなどということはあり得ない。

が、政界ではあり得るのだ。

どうして自民党は、敗戦の総括をしないのか。
「あの連中」がいやで民主党に投票した人が、今なお、「あの連中」がのさばる自民党を支持しないのは当たり前ではないか。

「全員野球」などとヌルイことを言って、
鳩山政権が目指す郵政の再国有化1つとっても、もとまって反撃できず、
一体何をしているのか。

「みんなの党」はまともな全国規模の党組織を持っていないにも関わらず、
参院選では10議席以上を獲得する可能性すら出ている。
「み党」の票は、もともと自民党票ではなかったのか。

自民党支持率が明確に下降線をたどったのは、
安倍内閣で「郵政離反組」を復党させた時からである。

改革政党はいつの間にか、時代遅れの調整政治に堕落した。

党を割らなくてもいい。
スタンドプレーで目立つ必要はない。
党の総務会で、政調会で、議員総会で、各種会合で、民主党の『大きな政府』に反対し、国民を愚弄するバラマキに徹底抗戦し、郵政の再国有化にノーを突きつけたらどうか。

そして、たとえば麻生氏をはじめ敗戦の責任者には、次期衆院選の不出馬を宣言させる。
そこまでやれば、支持は徐々に戻ってくる。

驚異的な財政赤字にもかかわらず、好景気時のような大盤振る舞いをしている民主党の政策は早晩崩れる。
自民党が対抗する政策を掲げられなければ、その時こそ自民党の役割は終わるだろう。

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國母選手の問題と、鳩山総理の問題

2010-02-18 23:47:06 | Weblog
スノーボードの結果は残念だった。
國母選手がけがをしながらも、全力で試合に臨んだことは大いに評価したい。
そして、「お疲れさん」と言ってやりたい。

しかし。

テレビを見ていたら、
「これで國母選手の問題は許せますか」という街角アンケートをやって、
「許せる」が三分の二以上あり、キャスターも
「みんな『許せる』ということですね」と、結論づけていた。

待ってほしい。

たとえ金メダルをとろうが、懸命に競技しようが、
そのことと服装や態度の問題は別である。
だから國母選手はテレビカメラの前できちんと謝罪したのではないか。
本人も「申しわけなかった」と思ったから謝ったのではないのか。

もし懸命に競技することで服装問題などが許されるのなら、
最初から謝る必要などない。
「一所懸命やれば文句ないだろ!!」
と言えばいい。

そうせずに國母選手が謝ったのは、素直に服装や態度が悪かったと反省したからである。
それを、「あれだけ一所懸命やれば許すよ」などと、またまた本人の道を誤らせるような世論誘導はやめてほしい。

鳩山総理がメルマガで、
「党首討論では―略―議論の大半が、私個人の問題などに集中してしまったことは、誠に申し訳なく、また、残念でした」
と書いた。

本当に残念だ。
しかし、現職の総理大臣が脱税まがいのことをしておいて、
「いい政治をすれば文句ないだろ!!」
というわけにはいかない。

毎月、親から1500万円ももらっておいて、知らなかったというのが事実なら、そんないい加減な金銭管理しかできない総理に、予算を決めたり財政を管理したり、ましてや税制の議論など「やめてくれ」と言いたい。

それでも政権にしがみつくならば、いい政治をして結果を出すのは当然だが、そのことと脱税まがいの贈与や「故人献金」は別問題である。

どんなに良い政治をしようと、お金に関する問題は続く。

総理もせめて、國母選手のように、素直に謝ったらどうか。

「私としては、国民の皆様のいのちをどのように守るのか、という点や、景気や経済をどのようにたてなおしていくか、ということをぜひ議論してみたかったです」
と言う。でもそれができなかったのは、
「問題設定の主導権が野党側にある」からだ、建設的な議論ができなかったのは、野党が悪いのだ、と、はっきりメルマガに書いている。

もし國母選手が、
「本当は競技に全力尽くしたかったけれど、マスコミや国民が
服装とか態度とか、くだらないことで騒ぎたてて、おかげでこんな結果だよ!」
と発言していたら、反発を覚える人は多いのではないか。

もちろん國母選手は、そんなことはしなかった。

総理は、國母選手を見習って、もっと爽やかにひたすら謝るべきだ。
「たしかに俺もわるいけど」という言い訳はやめた方がよい。

國母選手のお母さんは、本当に誠実に謝っていた。そして息子を温かく見守っていた。
総理のお母さんは、いまの総理の状況を見て、なんと言っているのだろう。
「自分で聞くより第三者に聞いてもらった方が」と、総理はいつも口にする。
きっと、党首討論に対する母親の感想を、弁護士を通じて聞いているのだろう。

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鳩山総理の口癖、「ある意味」って、どんな意味??

2010-02-18 01:43:52 | Weblog
基地移転先について、
与党内の意見提出がまたまた先延ばし。
もはや鳩山内閣の代名詞とも言える「先延ばし」だが、ここから何が見えてくるのか。

はっきり言えることは、
与党内の調整が全く行われていない、ということ。

本来与党3党で事前に打ち合わせされるべき内容が、いきなり表に出そうになって、あわてて引っ込めた。

政治技術的に言えば、与党第一党の民主党幹事長、もしくは担当の副幹事長が機能していないことを意味する。

鳩山総理は民主党の代表でもある。
せめて党に、「事前の調整くらいちゃんとやれ」と、命じたらどうか。

一昨日の私のブログで、鳩山総理の口癖について、書き忘れた例がある。
昨日の党首討論にも出たが、

「ある意味でそれは・・・」

というもの。
「ある意味」とは、どんな意味なのだ?

全く理解できない。

そこで、今回の移転先案の先延ばしを、鳩山風に書いてみた。

今回の先延ばしは「ある意味」必要なことで、それが批判されることは「ある意味」まとはずれだ。こういう問題は「ある意味」慎重に行なうべきだ。

「ある意味」を全部
「鳩山政権を維持する意味で」
に置き換えるとよくわかる。

今回の先延ばしは「鳩山政権を維持する意味で」必要なことで、それが批判されることは「鳩山政権を維持する意味で」まとはずれだ。こういう問題は「鳩山政権を維持する意味で」慎重に行なうべきだ。

こんど首相が「ある意味」と言ったときは、
「鳩山政権を維持する意味で」に置き換えてみよう。
一見、真摯で誠実にみえる総理の独善さが、よくわかる。

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民主党らしさ、とは

2010-02-17 01:21:11 | Weblog
結局鳩山政権は、エコポイントなど、あれほど口汚く罵っていた麻生政権の経済政策を続けて、肝心の成長戦略では、付け焼刃のような話しか出てこない。
もちろん麻生政権も、まともな成長戦略は描けていなかった。

鳩山政権も麻生政権も、無責任で長期的視野に欠け、バラマキで支持率アップを狙うという
共通点がある。

どちらもミクロな、個々の場当たり政策は持っているが、
マクロな、日本全体をこれからどういう方向に引っ張っていくのかという、力強いメッセージが皆無だ。

しかも民主党はかつて、公共事業を目の敵にして、「無駄な道路をつくるな!」「道路公団民営化は骨抜きだ」と絶叫していたが、なんのことはない、政権をとったら、

「よしよし、党(つまり小沢一郎)に陳情に来た殊勝な市町村には、手心を加えよう」

と、自民党時代ですらやらなかった予算確定前の露骨なバラマキ提示をやっている。

いくら仕分けで政治ショーをやったって、そういう公共事業は対象外なんでしょう。

だって、岩手県の胆沢ダムは仕分け対象外だもの。説得力、まったくナシ。

国民はさすがに政権の危うさを感じている。こうしたおかしな状況の積み重ねと支持率急降下は見事に反比例しているのだ。

もし鳩山首相が言う「民主党らしさ」で現状を挽回するというのなら、良くも悪くも青臭いまでの愚直さではないか。
小沢のダムだろうが子ども手当だろうが、例外なく「本当に必要なの?」と、仕分けすればいい。

おかしな議員がいたら、自発的に、なんて言わずに、「議員辞職してくれ」と言えばいい。

辣腕幹事長だろうが現職総理だろうが、なにかおかしいと思ったら、
「党で説明してくれませんか」
となぜ言えないのか。

テレビ大好きの議員たちがおっかなびっくり、
言質をとられまいとしている姿は醜く、見苦しい。
それこそ「民主党」らしからぬ姿ではないか。

首相はいつも言葉だけで具体策に欠ける。
肝心なことになると

「一般的に言えば●●かもしれないが」
「いわば●●とも言えるもので」
「若干そういうことも」

と、ぼかす。
歴代総理の中で、ぼかしのうまさではトップ3には入る。

ちなみに政治家のぼかしには3種類あって、
1つ目は、まだ明言の段階ではないため。
2つ目は、悪いことを隠すため。
3つ目は、何も中身がないため。
「鳩山ぼがし」は、1であることを祈りたい。

首相は「民主党らしさ」での現状挽回を明言した。
それが何を意味するのか全く不明だが、願わくば青臭いまでの愚直さを首相と政権に求めたい。
今度こそ、ぼかさずに。

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秋山兄弟のこと

2010-02-15 21:15:48 | Weblog
秋山兄弟について、本を書きました。
(『秋山兄弟 好古と真之』朝日新書)

副題に、

「明治の人材はいかにして生まれたか」

とあるように、なぜ秋山兄弟のような人たちが日本に現れたのか、家庭環境や彼らが受けた江戸時代の漢学、陸士・陸大や海兵・海大での教え等々をたぐりながら書き進めました。

類書とは違う切り口に、様々な書評を頂き、感謝に堪えません。

また、本を書くとたくさんの新たな出会いがあって、とてもわくわく致します。

今回も、秋山真之のお孫さんや、海軍兵学校の関係者など、素晴らしい出会いがありました。

秋山真之について、お孫さんは、

「『真之は戦争で神経をすり減らして、宗教にすがった』というのは俗説。真之に子供ができたのは日露戦争のあとだった。神経がすり減った人間が次々に子づくりをするわけがない」

たしかに。
私も調べていて、どうもステレオ・タイプな「真之憔悴論」には疑問がありました。少なくとも宗教に本格的な救いを求めたのは最晩年ではなかったか。

ただし、たとえばシーメンス事件の処理など、徐々に精神的な痛みが増していくような事が起きていたのも事実で、今後も考察を続けたいと思います。

海軍兵学校出身者の真之に対する思いは、特別のようでした。
本の中にも書きましたが、ある海兵出身者が、
「秋山先輩というのは」、と、秋山を「先輩」と呼ばれていたことが大変印象深かったです。

これを聞いた時思ったのほ、
「歴史とは現在にまで続く道程だ」
ということです。

先輩の、あるいは祖先の生きざまの結果、私たちがいる。
だからこそ歴史を学ぶことは、現在を知り、未来を知ることになるのですね。

私とは思想・信条の全く違うベテランのある編集者が、
「文章はとても読みやすい」と評してくれました。

ご興味のある方はぜひ、御手に取ってご覧下さい。

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いったい何人が、小沢氏についていくのだろう

2010-02-13 02:10:49 | Weblog
明治10年。
西南戦争の最終場面・鹿児島の城山。
西郷隆盛率いる、およそ400名が、この小高い山に立てこもった。

西南戦争が始まった時には2万の兵を擁していた西郷軍。
たしかに、それから比べれば少ないがしかし、すでに事実上の解散を宣言してなお、400名もの人々が西郷に従っていた。

なぜだろう。
以前拙著(『日本人を動かした政治家の名セリフ』青春文庫)に描いたが、それはほとんど西郷隆盛という人物に答えを見出せる。

西郷軍の辺見十郎太が負傷した折、辺見は自身が足手まといになることをおそれて、おいていってくれと頼んだ。
それを聞いた西郷は、
「何を言うか!」と大きな声で辺見をたしなめ、みなが交代しながら辺見をおぶって行った。

見捨てない・・・。

どんな理由があろうと、西郷は部下を見捨てなかった。
幕府に追われた勤皇僧・月照をかくまえないとわかった時、西郷は月照と一緒に入水自殺を図った。
島流しになった時も、自分を慕う島民たちのために、自身の立場が悪くなるのを承知の上で代官に詰め寄ることもあった。

西南戦争自体が、戦争をはじめた私学校の若者を放っておけなかったから西郷も参戦したといわれている。

城山で西郷とともに戦った400人は、そういう西郷の人間力によって集まったに違いない。

小沢一郎は、自分の秘書をしていた人間が離党するにあたって、「本人の意思を尊重したい」と離党を認めた。

負傷した辺見十郎太が、自発的に、足手まといになるのをおそれて「おいて行ってくれ」と頼んだ時、
「そうか、まあ本人が言うなら、どうぞ」
と西郷が言っていたら、はたして400人もの人間が西郷について行くであろうか。

戦場で負傷して放置されるのは「死」を意味している。
政治家が問題を起こして離党するのは、政治生命の顕著な衰退を意味する。

西郷に尽した辺見を、西郷は見捨てなかった。
小沢氏に尽した秘書出身の代議士は、見捨てられた。

不可解なのは、小沢氏が繰り返し怒気を含んで、
「悪いことはしていない、たんなる記載ミスだ」、と記者にキレ気味にしゃべっている点だ。

悪いことをしていないかつての部下を、
かくも簡単に切り捨てるこの人物に、天下を取る器がないことは自明である。

(もっとも、私をふくめて、単なる記載ミスと思っていない国民は多いが)。

部下を道具のように捨てるリーダーは、自分がやがて捨てられるということに気づくべきである。

調子の良い間は、まだいい。
負けが込んできたとき、「城山」に向かおうとする小沢氏に、はたして何人がついていくのか。

振り返れば、誰もいない、などという情景が出現するような気がしてならない。

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