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お出掛けはカメラと一緒に

今日の写真#398 マイアリーノ

2017-05-28 | 

新潟市西区にあるビストロマイアリーノ
割と家の近くにあるのだが今まで見落としていた本格イタリア料理のお店である。
先日ランチに行ってみたのだが、住宅街の中にひっそりと店を構えている割には
かなりしっかりしたイタリアンだった。
11時30分開店とほぼ同時に入店したが(平日)、12時になるころにはほぼ満席となっていた。
知らなかっただけで結構人気店の様子である。
その理由はおそらく、本格イタリアンが手ごろな値段で提供されているからではないだろうか。













イタリア料理のお店と言えば、新潟市北区にあるノラクチーナしかほぼ行かないので
比較対象はそこしかないのだが、例えば2人でランチに行った場合
ノラクチーナは3000円、マイアリーノなら2000円となる。
料理の質、量ともにノラクチーナに軍配が上がる気がするが(あくまで個人的に)
とは言えここのお店もレベルは高いと思う。
なにより家から近いという点は大きい。


今日の写真#396

2017-05-19 | 人物

ゴールデンウイークに長男を連れて産業振興センターで開催されていたプラレール博へ行ってきた。
トミカ博とプラレール博が1年交代で毎年開催されていたと思う。
昨年はトミカ博だった。
長男も4才になり度胸がついてきたのか、昨年まではアトラクションに対して及び腰だったのが
今年は積極的にあれやりたいこれやりたいと言ってきた。
ただ、興奮しすぎたのか途中で鼻血がでてしまい、急遽トイレへ駈け込むはめに。
本人はとても楽しんでいたようなので連れて行って良かったと思う。




次男はこの頃リアル運転に夢中の様子。
もちろんエンジンは切ってある。

今日の写真#395

2017-05-13 | 風景

新潟市東区にある旭カーボン株式会社の工場にて夜景撮影。
多分知る人ぞ知るわりと有名な撮影スポットかと思う。
この日はあいにくの曇り空であったが、夜10時30分頃でも
このようなライトアップ(というわけではないのだが)された機械的風景を
撮影することができた。

晴れていて雲が少し出ていたり、満月などを構図に捉えられれば
もっと味のある夜景になったことだろう。
さらに言えば、この日は単なるテスト撮影のつもりだったので
三脚も持たずに現場合わせで撮った。
ちょうど良い角度で橋げたの上にカメラを乗せることができたので
それなりの写真が撮れた。
たまにはこういった人工物を撮影するのも楽しいものだ。





今日の写真#394

2017-05-08 | 

どうしたらうまく写真が撮れるようになるのか。
それには色々な方法があると思う。

とにかく何枚も何枚も、数千枚数万枚と撮りまくるのもいいだろう。
そのうち撮影技術が勝手に身に付くと思う。
あるいは、目標とする(共感できる)写真家の作品をまねるように撮ってみるのもいい。
人はまねることで上達するものでもある。
またあるいは、自分なりのやり方(スタンス)を早期に見つけ、続けていくのもいい。
続けるというのは力になるし、個性を磨くことにもなる。

どんなやり方であっても、すべて正解だと思う。
自分に合ったやりやすい方法で写真を撮っていけばいいのだ。
写真はセンスという人もいるだろうが、私はそうは思っていない。
撮影枚数を重ねることで、構図の作り方、光の加減、ピントや画角などの基本技術は一定の水準まで
自然と高まるはずである。
自分流のカタチが出来上がるはずである。

あとは、これだと思った瞬間に、カメラが手元にあるかどうかと
長く続けていけるかどうかの問題なんだと思う。





今日の写真#393

2017-05-03 | 

写真を撮るという行為は、絵を描くことに似ているように思う。
ただ撮っただけのものでなく、作品としての写真を意識するときに。

良い写真とはどういうものか。
きっと明確な定義などないだろう。
そもそも何をもって良いとするか、その基準は個人によって千差万別であろう。
もちろん一定の水準というか基本を押さえることは言うまでもないが
個人の感性により感じ方は変わるのだから、普遍的にこれが最高の写真というものは
ないのかもしれない。

ただ、私なりに良い写真について一つの定義がある。
それは「何度も観たくなる写真」である。
私の感性にぴったり合うような一枚に出会うと、嬉しくなるものだ。
そういう写真は額にでも入れて飾っておきたい。
つまり、絵画と同じようなものである。

このブログに載せている写真は、ただ撮っただけのものばかり。
綺麗だな、いい風景だなと感じたものを写したにすぎない。
そこから生まれるストーリーや、心に伝わる何かがあるわけではない。
作品へ昇華させるには、まだまだ一歩も二歩も足りないのだ。