山田太一の『終わりに見た街』を見ていたら、二十年も前に亡くなった祖母の話を思い出した。その話とは、祖母が若かりしときに経験した東京大空襲のときの話だ。当時深川に住んでいた祖母は、あの大空襲で被災した一人なのだが、避難時の混乱で家族と離ればなれになってしまい(後に再会するが)、気がつくと、早朝の瓦礫の中にいたのだという。 目が覚めて起きあがると、そばに青年が横たわっていた。祖母のほうを見ていたので、「大丈夫ですか」と声をかけると、こんなことを言ったのだという。
「すみません、今日は何年何月何日でしょうか」。
祖母は、その青年が空襲で一時的にパニックになっているのだと思い、「昭和20年3月10日です」と答えると、それまでぐったりとしていた青年がびっくりしたように起きあがり、「えっ、昭和56年ではないですか」と言ったのだという。祖母が「昭和20年です」と再度答えると、その青年はがっくりしたような表情を浮かべ、「そうですか」と言い残して、息をひきとった。その話を祖母がしたのは、空襲というのはそのように人の記憶まで一瞬にしておかしくするのだという結末であったが、このドラマの結末を見ていたら、何か鳥肌が立った。
「すみません、今日は何年何月何日でしょうか」。
祖母は、その青年が空襲で一時的にパニックになっているのだと思い、「昭和20年3月10日です」と答えると、それまでぐったりとしていた青年がびっくりしたように起きあがり、「えっ、昭和56年ではないですか」と言ったのだという。祖母が「昭和20年です」と再度答えると、その青年はがっくりしたような表情を浮かべ、「そうですか」と言い残して、息をひきとった。その話を祖母がしたのは、空襲というのはそのように人の記憶まで一瞬にしておかしくするのだという結末であったが、このドラマの結末を見ていたら、何か鳥肌が立った。