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速記文字より生まれた流形文字をフォントにしました。

流形文字をダウンロードして文章を作成出来ます。魅惑的な文字が4つの方式で表現出来ます。ご利用をお願い致します。

クレオパトラ7世 CleopatraⅦ (3) 運命の女王 3

2011-08-29 08:25:21 | Weblog
   クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(3)運命の女王 3

クレオパトラが遠ざかっていく船団に向かって手を振る姿を妹のアルシノエは敵意の目で見つめていた。港に集まったアレキサンドリアの人たちは自国の船が沢山の穀物を積んで出港していくのを見ていた。アルシノエは姉のことを弟のプトレマイオス13世に告げ口した。3人の執行官はこの機会を逃さずにクレオパトラを非難して民衆の怒りを煽った。
「女王はローマ人の妾になったぞ」「飢饉で食べ物がないのに、沢山の穀物を外国人に渡したぞ」民衆はたちまち扇動にのって宮殿に押し寄せて来た。
クレオパトラはわずかの従者をつれてシリアの砂漠へと逃れて行った。シリアに入るとシリア総督のビブルスとも会い、兵を集めだした。「再びアレキサンドリアに帰り復権をしよう」クレオパトラは弟王と3執行官たちと戦う決意を固めた。
この情報は王側に知られて、アキラス軍司令官らはクレオパトラを撃つべく、大軍を率いてペリシウムの河口に陣を敷いた。

クレオパトラ7世 CleopatraⅦ (2) 運命の女王 2

2011-08-16 13:17:59 | Weblog
  クレオパトラ7世 CleopatraⅦ (2)運命の女王 2

プトレマイオス13世とクレオパトラの共同統治の始めはクレオパトラの意思によって統治されていたようであったが、プトレマイオス13世には3人の執行官がついていて彼らの野望によって王政を動かそうとしていた。伝育官の宦官ボテイノス、修辞学の教師テオドトス、それにエジプト人の軍司令官アキラスである。そして結婚1年後には事件がおきた。それはシリア総督であったビブルスがその息子たちを派遣してエジプトに居るローマ軍団を呼び戻そうとしたが遠征をいやがった兵は反乱を起こして住民にそそのかされて総督の息子たちを暗殺した。
この事件に対しクレオパトラは反逆者達を罰して殺人者たちをビブルスに引き渡した。この処置に3人の執行官は怒り、アレキサンドリアの人達の反発もあった。
その後も若い女王と臣下との一大抗争が勃発したのである。それはポンペイウスの息子であるグナエウスがエジプトに来てエジプトに駐留しているローマ軍団をわたせと言って来た。それと父への援助を同盟国のエジプトに求めてきたのである。
この時、ローマではルビコン河を渡ったシーザーと対立していたポンペイウスはシーザーとの戦いに敗れて逃亡中であった。エジプト側はこの二人に対して中立を保ちたいと思っていたが、クレオパトラは父が世話になったポンペイウスの息子であるグナエウスに一目ぼれして好意的に迎えた。クレオパトラはグナエウスをあちこち案内してまわった。そしてクレオパトラは初恋の人となったグナエウスの胸にもたれてあえいだ。グナエウスは兵士たちを乗せた六十隻の軍船と小麦などを積んだ貨物船とでアレキサンドリアの港を出発した。クレオパトラは宮殿のテラスから船影が見えなくなるまで手を振っていた。これが18歳のクレオパトラの初恋の人との別れとなった。

クレオパトラにも悲しい別れがあったのですね。初恋はいつまでも心に残ります。
あなたの胸に・・・。

クレオパトラ7世 CleopatraⅦ (1)  運命の女王 1

2011-08-04 17:01:20 | Weblog
  クレオパトラ7世 CleopatraⅦ (1)  運命の女王 1

プトレマイオス朝のプトレマイオス1世の時世より254年後にクレオパトラ7世は弟であるプトレマイオス13世と結婚して女王の座についた。その時、クレオパトラ7世は17歳、プトレマイオス13世は10歳であった。プトレマイオス朝は2人の共同統治者となっていた。プトレオマイオス朝は歴代、血塗られた家系で夫が妻を、妻が夫を、王が子を、子が王を、兄弟、姉妹で互いに争い殺し合い、王政を奪ってきた。クレオパトラ7世の異母姉であるベレニケ4世は父のプトレマイオス12世を追放して女王となったが父プトレマイオス12世はローマのポンペイウスに頼りベレニケを殺害してエジプトに帰還した。そして4年後には死亡した。
プトレマイオス朝は従来、マケドニア系の純血を守るために血族婚をしてきたとされていたが、2009年8月2日NHK放送のエジプト発掘第3集「クレオパトラ妹の墓が語る悲劇」でアルシノエの遺骨の発見による研究報告によると、身長154cm、細身のタイプ、死亡年齢16歳前後、ギリシャ系とアフリカ系の混血の可能性が強いと指摘さている。頭骸骨から美しい顔形が推測され、身長は当時の平均身長よりも高い方であるという。
これまでクレオパトラは絶世の美女といわれ「鼻がもう少し低かったら世界の歴史はまったく違っていただろう」とパスカルは言ったとか。彼女は絶世の美女とまではいかなかったにせよ、あの時代、6カ国語を自在に話す、知性と魅力ある話術、小鳥のように囀る声、人を虜にする魅力と行動力を持っていた。現在、ベルリン美術館にクレオパトラ7世頭部像(紀元前40年頃)があるが、これを見ると鼻は高く目もパッチリした知性的な顔立ちにうっとりしてしまいますね。

いよいよ盛夏になりましたが、節電の折がら、体には十分、気をつけてください。流形文字、流星文字もしっかり頑張ってくださいね。あなたの願いを流星文字で書きましょう。クレオパトラに、そうです/あなたのクレオパトラに//
日本女子サッカーも頑張りましたね。拍手、拍手。

古代エジプトの社会と生活  4

2011-07-28 14:53:22 | Weblog
古代エジプトの社会と生活 4

ツタンカーメンの時代に将軍であったホルエムヘブ(前1323-前1295)は後継者とされていた軍司令官を打倒してファラオとなっている。  
第20王朝時代末期ではラムセス11世とは別にアメン神殿によるアメン大司教祭国家と下エジプトを支配するスメンデス1世の3者が共存している。その後、リビア人である軍司令官シェションクは第22王朝を開いた。ヌビア人のビアンキが第25王朝(前750)を興し、その後、エジプトはペルシャの支配下(前343)になるが(前332)にはアレキサンドロス大王により征服されて(前305)プトレマイオス将軍がファラオになった。そして(前30)クレオパトラ7世の死によって王国は消滅し、ローマの属州となった。偉大なる文化遺産を育み、勃興と没落、栄華と、惨劇を繰りひろげた古代エジプト王朝の歴史に終止符を打った。

古代エジプトの社会と生活  3

2011-07-19 13:22:17 | Weblog
書記

書記はその当時の憧れの職業であった。民衆の1パーセント位しか文字を読める人はいなかったといわれる。裕福な中産階級の人は子供を書記にさせようとして書記養成の学校にいれた。「書記はどんな職業よりもよい。重い石を運ばなくてもよい。土を耕さなくてもよい。ナイルの川に出て魚をとらなくてもよい。
人の汚れを洗わなくてもよい。暑い思いをして金属を溶かさなくてもよい。とにかく勉強して書記になりなさい」といって子供に書記の勉強をさせた。男の子しか書記にはなれなかった。当時の職業では書記の社会的地位は高かった。
新王国時代にはヌビア地方への遠征が行われて軍人の地位も高まったが、これに対して書記側からは軍人蔑視の風潮がたかまり外国人傭兵が主力となってきた。

Hieroglyph ヒエログリフで遊ぼう(4)ー13 アルファベット

2011-07-09 12:29:26 | Weblog
ヒエログリフからアルファベットへ

イギリスの考古学者であるフリンダース・ペトリー(1853~1942)はシナイ半島の鉱山跡地で神殿の壁面や女神像に書かれていた27個のヒエログリフに似た文字を発見した。文字を持たないカナーン人はエジプトの文字から自分たちの発音する言葉とあう文字を取り込み、このことで現代のアルファベットが誕生したと言われる。雄牛「アレフ」のAという音、家「ベート」にBの音をあてた。これがアルファベットの起源となったと言う。
フェニキア文字、ヘブライ文字、アラビア文字など、多くの文字が右から左へと書かれていたのが、初期ギリシア文字からギリシア文字は逆転している。初期ギリシア文字も右から左へと書かれていたが1行目が左端までいくと、2行目は右に戻らないで左から右へと書かれた。5世紀頃から現在のように書かれるようになった。
参考文献
図説 古代エジプト誌
ヒエログリフを開く
著者   松本 弥
発行所  株式会社 弥呂久

Hieroglyph ヒエログリフもどきで遊ぼう(4)ー12  奴隷

2011-06-24 10:51:04 | Weblog
古代エジプトの社会と生活  2  奴隷

古代エジプトには古くから奴隷が存在していた。奴隷の主な供給源は戦争による捕虜、奴隷貿易、奴隷から生まれる子供であった。奴隷の構成はシリア・パレスチナ地方のアジア系が主であった。国や神殿所有の奴隷は過酷な農業労働に酷使されていた。
古代ギリシャ(前2600年)においてはポリス間での紛争で負けた側の住民は殺害されたり女性や子供も奴隷にされた。奴隷は主人の意思によって運命が左右され、幸運にめぐまれて快適な生活が出来て、開放されるものや鉱山労働や神に捧げる生贄とされるもの、理由もなく主人の気分で殺されて獣や魚の餌になるものなど、悲惨な運命をたどっている。
古代中国の殷の時代においても王など身分の高い人が死ぬと大勢の人が生贄にされている。
日本では弥生時代に「後漢書」の東夷伝に、「倭国王・師升が生口(奴隷)160人を安帝に献上した(西暦107年)。卑弥呼は碑千人を侍らせ西暦239年以降、魏王に生口を幾度か献上している。戦国時代(1493~1573)には戦闘などによって「人取り」が盛んに行われて日本人奴隷は主にポルトガル商人を通じて世界中に輸出された。その後、豊臣秀吉はバテレン追放令でこれを禁じている。江戸時代には拘引(こういん・捕らえてつれていく)は死罪とされ、奴隷も廃止されたが、年貢を上納するための娘の身売りは認められ青少年の年季奉公も残った。1870年には芸娼妓解放令が出たが、明治時代の島原、天草などの地域からは「からゆきさん」として外国に大量に[輸出]が行われた。太平洋戦争が終了して連合軍司令部は、日本における奴隷階級の開放を宣言するが、日本政府は日本には奴隷制度はないと反論した。

Hieroglyph ヒエログリフもどきで遊ぼう(4)ー11  古代のエジプト 1

2011-06-10 14:27:20 | Weblog
古代エジプトの社会と生活  1

エジプト新王朝時代は紀元前1570~前1070年で18王朝から20王朝に区分される。この時代は他国への遠征によって膨大な戦利品がエジプトに運ばれて、その戦利品は王からの寄進ということで神殿へと流れ込んだ。それとともに戦争で捕らえられた捕虜は奴隷として神殿に寄進された他、労働に携わった。ラムセス(第20王朝)の記録によると、この時代の神殿の有する土地は全耕作地の3分の1、人口の5分の1を占めていた。ハリス・パピルスに記されていた財産目録によると、テーベ神殿群では奴隷86486人、牛421362頭、土地2,363,500㎡、船舶83隻、エジプトの都市56、シリア・クシュの都市9などを保有していた。
神官の上位階級は王につぐ権力をにぎっていましたが、このことは王と神官との権力闘争にもなっていました。
神官は隔日に全身の毛を剃っていました。頭はもちろんのこと、陰毛も。これは清潔を保つためだったのでしょう。現在のイスラム教徒も男女とも陰毛を剃る人が多いとのことです。エジプト人は現在でも割礼をしているとのことですが古代の神官は切り取った包皮を神への誓いの証しとして捧げたという。イスラム教やキリスト教、ユダヤ教徒も割礼が行われている。これらは衛生上からと宗教からとの両面がある。
一方の女性の割礼(女性器切除)はアフリカの各国で多くの女性がクリトリスの切除をされているのが実情であり、女性への儀式、結婚の条件、純潔と処女を保つためといわれて、不衛生な状況の中で行われている。

[流形文字フォントA3] のお知らせ

2011-06-01 14:01:15 | Weblog

[流形文字フォントA3] のお知らせ
皆様には流形文字フォントをご使用いただきありがとうございます。この度、[流形文字フォントA3] をVector(ベクター)より出しましたのでご利用をお願い申し上げます。


このソフトは文書を作成するためのフォントです。流形文字は流形と英字形、絵文字で表示する新しい日本の文字です。それと「ヒエログリフもどき」「ヒエログリフ」でも表示できます。文字は簡単で早く書ける、覚えやすい、魅惑的で流星文字、絵文字もどきがあります。


「ヒエログリフもどき」をローマ字で表示するときは英字の小文字での入力です。


「ヒエログリフ」をローマ字で表示するときは英字の大文字での入力です。


「ヒエログリフ」を流星文字で表示するときは通常の通りです。


いずれも流形文字を表示するときは「フォント」の選択は流形文字(流形の文字で書かれています)を選んで文字の大きさを28以上にしてください。


p>「流形文字フォントA3」はここをクリック

ブックマークの「流形文字フォントA3 ダウンロード」をクリックしてください。


Hieroglyph ヒエログリフもどきで遊ぼう(4)ー10  パピルス-2

2011-06-01 11:34:32 | Weblog

Hieroglyph

ヒエログリフもどきで遊ぼう(4)-10

パピルス(Cyperus papyrus)-2

 

パピルスの製造には20日程度かかり、パピルス1巻の価額は労働者の賃金の3~4日分に相当し1巻は縦30cm(最大で47cm)幅20cmほど、厚さは0.1~0.25mm。これを20枚ぐらいゴム糊でつぎあわたものを巻いて1巻としていました。

パピルスの語原はフェニキア人の都市ビブロス(現在のレバノンのジュバイ)がギリシャ向けの積出港だったのでビブロスの名がパピルスとなり、英語での「ペーパー」。フランス語では「パピエ」、ドイツ語では「パピール」、ロシア語では」パプカ」などになったという。聖書のバイブルもそこから出ています。

パピルスは日本の米(稲)のような大切な作物だったようです。食べ物から、生産や生活資材の原料となり、パピルスを生産することで生計を営んでいました。