速記文字より生まれた流形文字をフォントにしました。

流形文字をダウンロードして文章を作成出来ます。魅惑的な文字が4つの方式で表現出来ます。ご利用をお願い致します。

古代エジプトの社会と生活  4

2011-07-28 14:53:22 | Weblog
古代エジプトの社会と生活 4

ツタンカーメンの時代に将軍であったホルエムヘブ(前1323-前1295)は後継者とされていた軍司令官を打倒してファラオとなっている。  
第20王朝時代末期ではラムセス11世とは別にアメン神殿によるアメン大司教祭国家と下エジプトを支配するスメンデス1世の3者が共存している。その後、リビア人である軍司令官シェションクは第22王朝を開いた。ヌビア人のビアンキが第25王朝(前750)を興し、その後、エジプトはペルシャの支配下(前343)になるが(前332)にはアレキサンドロス大王により征服されて(前305)プトレマイオス将軍がファラオになった。そして(前30)クレオパトラ7世の死によって王国は消滅し、ローマの属州となった。偉大なる文化遺産を育み、勃興と没落、栄華と、惨劇を繰りひろげた古代エジプト王朝の歴史に終止符を打った。

古代エジプトの社会と生活  3

2011-07-19 13:22:17 | Weblog
書記

書記はその当時の憧れの職業であった。民衆の1パーセント位しか文字を読める人はいなかったといわれる。裕福な中産階級の人は子供を書記にさせようとして書記養成の学校にいれた。「書記はどんな職業よりもよい。重い石を運ばなくてもよい。土を耕さなくてもよい。ナイルの川に出て魚をとらなくてもよい。
人の汚れを洗わなくてもよい。暑い思いをして金属を溶かさなくてもよい。とにかく勉強して書記になりなさい」といって子供に書記の勉強をさせた。男の子しか書記にはなれなかった。当時の職業では書記の社会的地位は高かった。
新王国時代にはヌビア地方への遠征が行われて軍人の地位も高まったが、これに対して書記側からは軍人蔑視の風潮がたかまり外国人傭兵が主力となってきた。

Hieroglyph ヒエログリフで遊ぼう(4)ー13 アルファベット

2011-07-09 12:29:26 | Weblog
ヒエログリフからアルファベットへ

イギリスの考古学者であるフリンダース・ペトリー(1853~1942)はシナイ半島の鉱山跡地で神殿の壁面や女神像に書かれていた27個のヒエログリフに似た文字を発見した。文字を持たないカナーン人はエジプトの文字から自分たちの発音する言葉とあう文字を取り込み、このことで現代のアルファベットが誕生したと言われる。雄牛「アレフ」のAという音、家「ベート」にBの音をあてた。これがアルファベットの起源となったと言う。
フェニキア文字、ヘブライ文字、アラビア文字など、多くの文字が右から左へと書かれていたのが、初期ギリシア文字からギリシア文字は逆転している。初期ギリシア文字も右から左へと書かれていたが1行目が左端までいくと、2行目は右に戻らないで左から右へと書かれた。5世紀頃から現在のように書かれるようになった。
参考文献
図説 古代エジプト誌
ヒエログリフを開く
著者   松本 弥
発行所  株式会社 弥呂久