古代エジプトの社会と生活 4
ツタンカーメンの時代に将軍であったホルエムヘブ(前1323-前1295)は後継者とされていた軍司令官を打倒してファラオとなっている。
第20王朝時代末期ではラムセス11世とは別にアメン神殿によるアメン大司教祭国家と下エジプトを支配するスメンデス1世の3者が共存している。その後、リビア人である軍司令官シェションクは第22王朝を開いた。ヌビア人のビアンキが第25王朝(前750)を興し、その後、エジプトはペルシャの支配下(前343)になるが(前332)にはアレキサンドロス大王により征服されて(前305)プトレマイオス将軍がファラオになった。そして(前30)クレオパトラ7世の死によって王国は消滅し、ローマの属州となった。偉大なる文化遺産を育み、勃興と没落、栄華と、惨劇を繰りひろげた古代エジプト王朝の歴史に終止符を打った。
ツタンカーメンの時代に将軍であったホルエムヘブ(前1323-前1295)は後継者とされていた軍司令官を打倒してファラオとなっている。
第20王朝時代末期ではラムセス11世とは別にアメン神殿によるアメン大司教祭国家と下エジプトを支配するスメンデス1世の3者が共存している。その後、リビア人である軍司令官シェションクは第22王朝を開いた。ヌビア人のビアンキが第25王朝(前750)を興し、その後、エジプトはペルシャの支配下(前343)になるが(前332)にはアレキサンドロス大王により征服されて(前305)プトレマイオス将軍がファラオになった。そして(前30)クレオパトラ7世の死によって王国は消滅し、ローマの属州となった。偉大なる文化遺産を育み、勃興と没落、栄華と、惨劇を繰りひろげた古代エジプト王朝の歴史に終止符を打った。