クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(8) シーザー:ノート 3
財務官としてシーザーはヒスパニア(Hispania.イベリア半島のスペイン・ポルトガル・アンドラ・ジブラルタルの領域の古名)に赴任して、この地でアレキサンダー大王の像を見た時、「自分はアレキサンダー大王の年齢と同じになったが、何もなし得ていない」といい、偉業達成の意気込みを見せている。その後、ローマに戻り、財務官の任期を終えたことで元老院の席を得た。
ローマに帰ったシーザーは宿敵であったスッラの孫にあたるポンペイアと結婚した。ポンペイアは裕福であったので、その財産を買収や陰謀などに使ったという。紀元前65年には上級按察官(古代ローマの政務官職の一つ・主に公共建築の管理、祭儀の管理を行なう)に就任してマリウスの戦勝碑の修復や多額の公費を使い公共事業や公共祭儀を行なった。
紀元前63年、シーザーは最高神祇官(古代ローマの国家の神官職で神官の長で神官団を監督し任期は終身で他の官職との兼任も可能・この職はアウグストゥスも就任して以降はローマ皇帝が兼ねるようになった)に立候補したが、多額の借財を抱えて、落選すれば国外退去をする覚悟であったが二人の対立候補を抑えて当選して晴れて公邸に住み身となった。
この年、ルキウス・セルギウス・カティリナー一味による国家転覆の陰謀が発覚した。この年の執政官であったキケロはカテリーナ一一味を断罪し陰謀者は処刑された。紀元前62年にシーザーはプラエトル(法務官)になったが、シーザーはクラッススと共に陰謀を裏で画策していたとも伝えられ、陰謀者の処刑には反対していた。シーザーがこの陰謀に関わっていたという審議の会議中に、シーザーは部下から手紙を受け取った。それを見たマルクス・ポルキウス・カト(小カト・キケロ派の元老院議員)は「その手紙は陰謀の証拠であるから見せろ」と迫った。シーザーは「これは大したものではない」と途惑う様子を見せたが、小カトは執拗に要求したので中身を見せると、それはセルウィア(小カトの異父姉)からの恋文だったという。「この女たらし!」と罵倒したが、これ以上シーザーを追及できなくなり、議場は大爆笑となり、シーザーへの疑いはうやむやになってしまった。
財務官としてシーザーはヒスパニア(Hispania.イベリア半島のスペイン・ポルトガル・アンドラ・ジブラルタルの領域の古名)に赴任して、この地でアレキサンダー大王の像を見た時、「自分はアレキサンダー大王の年齢と同じになったが、何もなし得ていない」といい、偉業達成の意気込みを見せている。その後、ローマに戻り、財務官の任期を終えたことで元老院の席を得た。
ローマに帰ったシーザーは宿敵であったスッラの孫にあたるポンペイアと結婚した。ポンペイアは裕福であったので、その財産を買収や陰謀などに使ったという。紀元前65年には上級按察官(古代ローマの政務官職の一つ・主に公共建築の管理、祭儀の管理を行なう)に就任してマリウスの戦勝碑の修復や多額の公費を使い公共事業や公共祭儀を行なった。
紀元前63年、シーザーは最高神祇官(古代ローマの国家の神官職で神官の長で神官団を監督し任期は終身で他の官職との兼任も可能・この職はアウグストゥスも就任して以降はローマ皇帝が兼ねるようになった)に立候補したが、多額の借財を抱えて、落選すれば国外退去をする覚悟であったが二人の対立候補を抑えて当選して晴れて公邸に住み身となった。
この年、ルキウス・セルギウス・カティリナー一味による国家転覆の陰謀が発覚した。この年の執政官であったキケロはカテリーナ一一味を断罪し陰謀者は処刑された。紀元前62年にシーザーはプラエトル(法務官)になったが、シーザーはクラッススと共に陰謀を裏で画策していたとも伝えられ、陰謀者の処刑には反対していた。シーザーがこの陰謀に関わっていたという審議の会議中に、シーザーは部下から手紙を受け取った。それを見たマルクス・ポルキウス・カト(小カト・キケロ派の元老院議員)は「その手紙は陰謀の証拠であるから見せろ」と迫った。シーザーは「これは大したものではない」と途惑う様子を見せたが、小カトは執拗に要求したので中身を見せると、それはセルウィア(小カトの異父姉)からの恋文だったという。「この女たらし!」と罵倒したが、これ以上シーザーを追及できなくなり、議場は大爆笑となり、シーザーへの疑いはうやむやになってしまった。