クレオパトラ7世 CleopatraⅦ(30) ナイルへの船旅 3
アレキサンドリアを出発してから、4,5週間後に船団はアスワンの第1瀑布の前に到達した。クレオパトラはテーベから先は初めての旅であった。ナイルは6月頃から9月頃までが増水期で豊富な沃土を上流より運び込み、秋から冬にかけて農民は麦や野菜の種を蒔き、春に収穫期を迎える。ナイルは古代よりエジプトの繁栄の源であった。
アスワン周辺にはフィラエ島などの小島が多数あり御影石の浅瀬でこれから先は大型の船は航行が出来なかった。
フィラエ島にはオリシスの妹であり妻でもあるイシス女神を祀るフィラエ神殿があり、クレオパトラはシーザーと一緒に拝礼したことでささやかな結婚式になったと心の中で喜んだ。
シーザーはこの地で更に上流を探索しようとしたが部下たちはこれ以上の遡上を拒否して船首を下流に向けて抗議行動にでた。
その時、シーザーは突然、手足が激しく痙攣(けいれん)して、その場に倒れそうになったが、その場に居た将校らによって抱きかかえられて船室に運ばれた。クレオパトラはシーザーに何が起きたのかと心配したが、数時間してシーザーは笑顔でクレオパトラに「心配かけて済まなかった。あれは癲癇(てんかん)という私の持病で1年に1回か数年に1回ぐらい発作が起きるのだよ」。「そうだったの、元気になってよかったわ、癲癇は昔から神の病と聞いていたわ」。シーザーはこの事件もあって、やむなくアスワンから引き返した。
この船旅はクレオパトラにとっては3度目の旅であったが、領内の神々や祖先を拝して神官や市長や住民とも信頼を再確認することができた旅であった。
シーザーにとってはエジプトの偉大さとナイルの豊穣の源を知り、アスワンから先の印度に至るアレキサンダー大王の軌跡を確認することができた旅でもあった。この船旅は2ヶ月ほどかけてアレキサンドリアに帰った。(前47年7月)
*1 フィラエ神殿の中心になるのがイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代(BC4世紀)に建設されてからローマ時代に増築されている。このあたりは水と緑に囲まれていて「ナイルの真珠」と呼ばれてきた。
*2 フィラエ島の上流には新王国時代の第19王朝の王、ラムセス2世の建造による岩窟神殿などがある。そこには大神殿と小神殿があり、大神殿には太陽神ラーやラムセス2世を、小神殿はハトホル女神を祭神としている。小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造された。
*3 (*1、*2)エジプトは19世紀から20世紀初頭にイギリスの支配下でアスワンやアシュートなどにダム堤防が建設されて水位が上昇して遺跡などが水没してきた。1971年にはアスワン・ハイダムが建設されて自然の氾濫は制御されたが、 古代からの美しい景観は失われて、古代遺跡も水没してきた。このため世界60ヶ国の支援を受けて遺跡の調査、移転が行なわれた。
アレキサンドリアを出発してから、4,5週間後に船団はアスワンの第1瀑布の前に到達した。クレオパトラはテーベから先は初めての旅であった。ナイルは6月頃から9月頃までが増水期で豊富な沃土を上流より運び込み、秋から冬にかけて農民は麦や野菜の種を蒔き、春に収穫期を迎える。ナイルは古代よりエジプトの繁栄の源であった。
アスワン周辺にはフィラエ島などの小島が多数あり御影石の浅瀬でこれから先は大型の船は航行が出来なかった。
フィラエ島にはオリシスの妹であり妻でもあるイシス女神を祀るフィラエ神殿があり、クレオパトラはシーザーと一緒に拝礼したことでささやかな結婚式になったと心の中で喜んだ。
シーザーはこの地で更に上流を探索しようとしたが部下たちはこれ以上の遡上を拒否して船首を下流に向けて抗議行動にでた。
その時、シーザーは突然、手足が激しく痙攣(けいれん)して、その場に倒れそうになったが、その場に居た将校らによって抱きかかえられて船室に運ばれた。クレオパトラはシーザーに何が起きたのかと心配したが、数時間してシーザーは笑顔でクレオパトラに「心配かけて済まなかった。あれは癲癇(てんかん)という私の持病で1年に1回か数年に1回ぐらい発作が起きるのだよ」。「そうだったの、元気になってよかったわ、癲癇は昔から神の病と聞いていたわ」。シーザーはこの事件もあって、やむなくアスワンから引き返した。
この船旅はクレオパトラにとっては3度目の旅であったが、領内の神々や祖先を拝して神官や市長や住民とも信頼を再確認することができた旅であった。
シーザーにとってはエジプトの偉大さとナイルの豊穣の源を知り、アスワンから先の印度に至るアレキサンダー大王の軌跡を確認することができた旅でもあった。この船旅は2ヶ月ほどかけてアレキサンドリアに帰った。(前47年7月)
*1 フィラエ神殿の中心になるのがイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代(BC4世紀)に建設されてからローマ時代に増築されている。このあたりは水と緑に囲まれていて「ナイルの真珠」と呼ばれてきた。
*2 フィラエ島の上流には新王国時代の第19王朝の王、ラムセス2世の建造による岩窟神殿などがある。そこには大神殿と小神殿があり、大神殿には太陽神ラーやラムセス2世を、小神殿はハトホル女神を祭神としている。小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造された。
*3 (*1、*2)エジプトは19世紀から20世紀初頭にイギリスの支配下でアスワンやアシュートなどにダム堤防が建設されて水位が上昇して遺跡などが水没してきた。1971年にはアスワン・ハイダムが建設されて自然の氾濫は制御されたが、 古代からの美しい景観は失われて、古代遺跡も水没してきた。このため世界60ヶ国の支援を受けて遺跡の調査、移転が行なわれた。