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あるくくまもんの居候部屋

【期間限定?】まったりとした空気を届けます

夢見るシャンソンにんぎよう

2021-07-12 11:19:39 | 20世紀の洋楽
フランス・ギャルが1965年に歌った
Poupée de cire, poupée de son 

直訳すると、「ロウ人形、音の出る人形」みたいな題名らしい。

日本語の題名は
「夢見るシャンソン人形」と名付けられた。

一定の年齢以上の人は、どこかで聞いたことのある歌のはずだ。

最初に、彼女の存在を知った時
「フランス・ギャル」って・・・
いくらなんでも、芸名とはいえフランスのギャルなんて名前をつけるとは・・・とかって思っていたんだけど。
実は、ギャルって彼女の本当の苗字だったんだよね。
「フランス人のギャルさん」という芸名。

日本人で言ってみれば
「鈴木乙女さん」っていう人が、「ジャパン・オトメ」っていう芸名で活動している感じかな?

さて
ギャルが夢見るシャンソン人形を歌ったのは17歳の頃
当時の動画を見ると、中学生くらいに見えて少しびっくりする。
この50年くらいで、日本でも欧米でも平均体型はどんどん変わっているんだろうね。

そして、この曲
聴けば聴くほど、怖くなってくる。

簡単に歌詞の中身を言うと(超意訳すると)
★★★★★★
私は喋ることのできるロウ人形よ
みんな私の歌を聴いて、心を踊らせて、情熱的な恋愛をしようとするの
そして、時に誘惑に負けて残念な結果になっちゃうの

でも、私はたまにため息をついちゃうの
こんな私なのに、実際は誰かと愛し合った経験もないんだもの
だから、いつかは男の子の愛を受け止めたいの
今はまだ、喋ることができるだけのロウ人形に過ぎないけどね
★★★★★★


「アイドル」であるギャル自身が「アイドル」という存在を自虐的にバカにするという・・・
ものすごい歌詞だ。

ギャルはこの歌詞のそういう「本当の意味」に気付かずに長い間歌っていたんだけれど
実は、作詞家が、意図的に「アイドルをバカにする=自分自身をバカにする」内容を歌わせようとしていたことにようやく気付いて・・・
ある時期から、ギャルはこの歌を歌わなくなったらしい。
ほんと、切ないし、怖いし、もったいない。
ついでに、この作詞家が他の歌でも、実はすっごく性的に裏意味を含んだいやらしい歌を歌わせていて、その「本当の意味」を知ったギャルがその作詞家との関係を断ち切ったなんてエピソードもある。

いやらし系のおぢさんが、若い女の子に、いやらしいことをしたり、いやらしい言葉を言わせて
「ぐふふふふ」ってニタニタするのは、今も昔も変わらない残念なことなんだね。



さて、ここでもよく言う話題だけど。
ファンの「アイドル」に求める感覚って、本当に異常だよね。

男性ファンは、女性アイドルに
「恋の歌を歌っているけれど、実際は全然男の子と付き合った経験がない」という、いわゆる「処女性」を求める。
でも、現実のアイドルはそんなことない。
見えないところで男とイチャイチャしまくっている。
それがたまにバレると、ファンが大騒ぎをする。

女性ファンは、男性アイドルに
「仕事だから多くの人に『大好き』って言っているけれど、【本当に大好き】なのは、私だけなはず」という妄想をする。
でも、現実のアイドルはそんなことはない。
あなたの存在なんか覚えていない。
覚えているとすれば、よほど「大金を頻繁に払ってくれるお客さん」として覚えられているか、「しつこく付きまとってくるストーカーもどき」として覚えられているかだ。

まぁ、そんな現実に気付けないからこそ
「握手券」とやらを大量に買い占めることができるのだろうし。
ライブチケットをめぐって争奪戦が起こるのだろう。
他人に害を与えない限りは、ただ妄想に浸っているだけなので、特に問題ない。
「幸せな妄想の世界で、たっぷりと癒されてください」と言うだけだ。
それが、妄想で終わらずにアイドルに手を出すような事態になれば、ただの犯罪者なので、徹底的に罰して排除しなければならない。

もちろん、そういうファンを産みだし、作り出しているのは、そのアイドル自身であり、そのプロデューサーであるんだけれどね。
アイドル自身は気付けないし。
プロデューサーは気付かない振りをし続けるんだよね。
いやだねー。



ところで。
1960年代の洋楽あるあるだけど。
ギャルも、【日本語で】この歌を歌っている。

原曲を1度聞いた後
ぜひとも、ギャルの夢見るシャンソン人形【日本語版】を聴いてほしい。

ワーターシーワーユーメーミールーシャンソンニン【ぎよー】
コーコロニーイツ【の】シャンソン アフレルーニン【ぎよー】
ワーターシーワーキレイナーシャンソンニン【ぎよー】
コーノヨワーバライローノーボンボンミッタイネー

ワッタシーノーウターワー
ダレデモキケルーワー
ミンナーワッタシーノー
【ふ】ガタモミエルーワー
(以下省略)

この【】で囲んだ場所。
ちゃんと日本語が発音できていない。
「人形」が「にんぎよう」になっている。
「いつも」が「いつの」になっている。
「姿」が「ふがた」になっている。

これって・・・。
すごい、ヤバいよね。

そういう、ちゃんと発音できていないところが、こんなにも目立つって・・・

どれだけ、他の言葉をはっきりと発音できているんだよ・・・って。

例えば、フランス語の原曲の
「私は、ロウ人形、私は音の出る人形」っていうところ。

題名の通り
Poupée de cire, poupée de son
調べると、発音は
「プーペ ドゥ スィー プーペ ドゥ ソン」らしい。

これを見た日本人のみなさん
カタカナで書いてあるけれど・・・
まず「音程を外さずに」
そして「フランス人にはっきりと聞き取ってもられる発音で」
これを歌える自信ある?
何より、1曲のほとんどで、その状態を維持できるか・・・って。

そう考えると。
数か所しか発音に違和感がないって・・・
怖ろしいよね。

むしろ、数か所の違和感が、活舌が悪い、舌っ足らずのような「かわいらしさの演出」になっているという。
何度聞いても、その発音に驚かされる。

ついでだけど。
★★★
私の歌はー 誰でも聞ける【わー】
みんな私の 姿も見える【わー】
★★★
この文末の【わー】の部分

原曲が
★★★
ドンレーケン(略) ヴォワー
ジュ スィー(略) ドゥ ヴォワー
★★★
って、「ワー」で韻を踏んでいるんだよね。

それを日本語訳する時に、ちゃんと活用するという・・・。
1950~60年代あるあるの、「原曲無視した和訳」という流れと異なる翻訳
これ、本当に日本語版の歌詞を書いた人を尊敬しちゃうよね。


日本語版の歌詞といえば・・・
最後の部分

★★★
私は時々ため息つく
男の子 一人も知りもしないのに
愛の歌うたう その寂しさ
私はただの人形
それでもいつかは
想いを込めたシャンソン 歌って どこかの
ステキな誰かさんと 口づけしたいわ
★★★

この最後の「誰かさん」って言葉がとてもいい。

1960年代らしくて。

5年後の1970年に発表された、ドリフターズの「誰かさんと誰かさん」を思い出す。

★★★
誰かさんと誰かさんが麦畑
ちゅっちゅちゅっちゅしている いいじゃないか
僕には恋人いないけど
いつかは誰かさんと麦畑
★★★

なんか、昭和当時の「淡い恋心」と「早く大人になりたい葛藤」を感じずにはいられない。


そんなフランス・ギャルは2018年に70歳で亡くなったらしい。

あぁ。
50年以上前に活躍した人だけど
10代でデビューしていれば、まだそんな年齢なのかぁ。
ちょっとビックリした。


あるくくまもんも ため息つく
人間のことなんて 知りもしないのに
愛のこと語る そのむなしさ
私はくまもん人形
それでもいつかは
想いを込めたシャンソン 歌って どこかの
ステキな誰かさんと 口づけしたいわ


これを読んでいるみなさんも
ステキな誰かさんと口づけできるような
幸せな日々をお過ごしくださいね。