俺が払った年金は
俺のために払われるわけじゃないだろ?
まともに使ってもらえばいいけど、
天下り人間の収入になったりするし。
それにさ、
「年金払ってない人は将来もらえない」
とか言ってるけど、
年金受給してる年寄りで
年金制度できる前に年とってた奴は
年金払わないで年金もらってるじゃん。
おかしくね?
コータローあんた、その発想は何?
偏った知識らしきもの振りかざして、屁理屈こねて!!
選挙も行かないくせに。
どこでそんな教育受けてきたの。
お前とあんまかわらないよ。
親の顔を見てみたいわ!
それこそお前の親と同じ親だろう。
・・・、姉弟とは思えない価値観の相違だわ。
俺は川の下で拾われたようだからな。
(子供の頃の話、根にもって・・・。
泣かせるほど言い続けたのが悪かったかわ。反省。)
さて、
年金制度がなっかたらどうなるのでしょう
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、
例えば
父母とも高齢で一人っ子のコーターローは
やはり一人っ子の花子と結婚。
二人の子供をもうけ、幸せ生活を送っていた。
そんなある日、
コータローの父が高齢で働けなくなり
専業主婦だった母と二人を扶養することになった。
しばらくして花子の両親も働けなくなりコータロー夫婦を頼ってきた。
自分の子供も成長するにつれお金がかかるというのに、
それぞれの両親の医療代も高く、
また介護に当たる花子は、働きに行く時間もない。
生活は苦しくなるばかり
一方
隣に住む雅夫さんはコータローは同級生。
雅夫さんは良子と結婚し2人の子供がいる。
そして同じく、双方の親は高齢につき仕事ができず、
雅夫夫婦は生活の援助をしている。
しかし、雅夫家の生活はさほど苦しくないようだ。
親が貯金を多く持っていたわけでもないのに
なぜ違いが出たのか・・・
答えは、
雅夫も良子も
10人兄弟だった
ということ。
2人で4人の親を支えるコータロー一家と、
20人の子どもで4人の親を支える雅夫一家。
コータローと雅夫の年収は同じくらいなのにもかかわらず
親を支える兄弟の差によって生活水準の差は目に見えるほどに変わった。
長期休暇には
旅行
へ出かける余裕がある雅夫家と
アルバイト
をしなければならないコータロー家。
もっと兄弟を生んでいてくれたら・・・・。 <`~´>
そう思ってしまう。
さらには、
自分を育ててくれた親でさえ
ゴクつぶし
に思えてくる。
コータローと花子は考えた。
親を山に捨ててこよう。
自分たちの生活を守るためにはしょうがない<(`^´)>
なんだよ。その作り話!!
あら、作り話じゃないわよ。実際にある話じゃない。
今もなお、生活に困って親を殺して庭先に埋めたり山に遺棄したりした
というニュースが報道
される。
現代のように車
がなかった頃、
働けなくなった親をおぶって山に捨てに行く
「姥捨て山」の話は実際に行われていた話。
自分をおぶって
育ててくれた親を、
今度は自分がおぶって山道を登り
捨てに行く。
重たくて、
重たくて、重たくて。
途中何度も休憩をとりたくなるが、
そこで息をついたら、
親の顔を見たら、
捨てられなくなる。
必死に山を登る。
それが働けなくなった親を持つ息子の仕事。
必死で歩いき、
山頂付近で谷底へ突き落とすことになるが
そんな恐ろしいことできず、
山中に置き去りにてくる息子もいる。
また、姥捨てPOINTにはクワがおいてあり、
その平らな面を親の背中に当ててて突き落とす方法もある。
親を捨てた息子はうつろな瞳で山を下る。
そこで仙人にであった。
仙人は、男がしてきたことを知っていた。
自分も昔、同じく親を捨て、
そして今度は自分が捨てられたのだ、という。
仙人は、
子どもに捨てられた後、
空腹をしのぐために山菜や木の実を食べ生命を維持してきた。
そして、
親を捨てにくる子どもたちを見ているという。
と、こんな世の中じゃやでしょ。
・・・・・。
大体、老後の生活を保障してくれる制度がなかったら、
いつまでたっても働かなきゃいけないじゃない。
いつまでも高齢者が働いてて、現代日本のような長寿国じゃ、
若者が働く場所が減っていくわ。
退職制度があってこそ、若者の雇用機会が増えるの。
雇用の機会を譲ってもらって、働いている人皆で高齢者の生活を支える。
これが
年金制度。社会保障ってものよ。
世代間扶養ということよ。
少しはわかった?
年金制度がなかったら、あんた、ちゃんと自分の親を扶養しなさいよ。
年金制度があるから、負担が少なくて済んでるよ。
・・・・・
みちのくの民話
姥捨て山