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ありがとうルーム

人生は楽しむもの!音楽・グルメ・旅・三行詩など好きなことを気ままに書いてます。

小林正観さんから聞いた話

2012年09月06日 | スピリチュアルな話

859 「小林正観さんから聞いた話」

神様ありがとうございます。

いつも愛読してる「精神世界の鉄人のメルマガ」 を書いてる
トーマさんが小林正観さんの話をメルマガに紹介しました。

トーマさんも10年前に「ありがとうルーム」を作った時に
初めて宿泊して頂いた方です。

ト―マさんは10年前の時のことをブログの記事を書いてました。
「ありがとうルームのこと書いた記事」
10年前はパッチさんという昔の名前で出てました。(笑)

私も札幌で小林正観さんの講演会は3回ほど開催して
正観さんからいろいろ学びました。

斎藤一人さんも正観さんの本がでると何百冊も買って
いろんな人に配っていたようです。

正観さんの写真はありませんが、正観さんと似ている絵です。

昨年の10月に正観さん亡くなられたけど
懐かしさもあり、良い話ですので、ご紹介します。

***********************************

トーマ様へ

浜松のSです(^^)

フェイスブックの御友人になって下さり、有難うございました(=^・^=)
フェイスブックにてご縁を頂けました事、心よりお礼申し上げます。

お礼と自己紹介をさせて頂きます。
投稿下さる記事や写真等の情報を、楽しく拝見させて頂こうと思っています。
ちょっと良い話や温かい厚意、そして学びも頂けますように
思いましてワクワクしています(●^o^●)

出身は愛知県で、現在は静岡県浜松に住んでいます。

僕からは嬉しい話・楽しい話・幸せな話・役に立つ話に思います事や
小林正観さんのファンですのでその関連の事を
身の丈レベルで掲載させて頂こうと思っています。

僕自身は結婚後引っ越した浜松で転職を繰り返したり、
人生初のクビを経験する中でどん底となり辛くて車ごと落ちようとした事もありましたが、
正観さんとご縁を頂けたお陰様で今は毎日を明るく・軽く・楽しく暮らしています。

正観さんのファンでしたらそれらのお話もお伺い出来ましたら、至福に思います(#^.^#)
素晴らしいご縁頂けました事、心より感謝致します。

今後もお世話になりますが、宜しくお願い申し上げます。
私事で恐縮ですが、正観さんとのご縁を頂きまして
大変幸いに思った事を記載させて頂きます。

正観さんに出会う前は、現在・過去・未来のうちの「過去と未来」に
注目して悩んだり・考えたり・落ち込んだり・不安になったりする自分がいました。

またその場にいない人の事を考えて、不安になり悩んだりする事もありました。

過去・未来・そして現在の話でも今ここにいない人の事で
あーじゃこーじゃ考えても、結局はなんともなりません。

それをうすうす感じても、繰り返すような自分がいました。

正観さんから「念を入れて生きるの姿勢だけで宜しい」事を教えて頂きました。

今目の前の人・事に、自分が出来る範囲で心を込めて
誠意を持って→念を入れて対応するだけで良いんだ、との気付きを頂きました。

そして何時も感謝する、全てに感謝の気持ちを常に持つ・・

世間一般では不幸とかショックとか言われる事も、
実は自分にとって糧になる有難いものかもしれません。

不幸とかショックとか言われることにも感謝出来たら、
生きるのが楽になる事を教えて頂きました。

また「水のようにおまかせで淡々と生きるのが良いらしい」と教えて下さいました。

出来事に対して良し悪しを自分で判断している←現象は
一つであり良いも悪いもありません。

水のようにお任せの姿勢で、そして良いも悪いも判断せず淡々と受け入れながら、
全てに感謝して生きるのが良いらしいとの、貴重な学びを頂きました。

そのような知識を実践しようとしているとふと気がつきますと、
日々の生活がとても明るくなり・軽くなり・そして楽しくなっていきました。

正観さんのお陰様と心より感謝しています。

また自分の器の範囲内で念を入れてすれば良いと教えて下さいました。

正観さん豊橋茶話会である方がこんな質問をしました。

「自分の住んでいる所には図書館がありません。
その為図書館を作ろうという運動をしていますが、
なかなか上手くいきません。どうしたらいいでしょうか」というものです。

正観さんはなんて答えるんだろう、と身を乗り出しました。

正観さんの答えは当時の自分にとって意外なものでした。

「自分の力以上の事をしようとするのはやめなさい。
あなたがお金が沢山あって自分の一存で図書館が建てれるなら話は別です。
そうではないのでしたら、自分で出来ない事をしようと思わない事です」

「自分の器以上の事をしようとするのを傲慢と言います。
自分の器の範囲内でやろうとするのを謙虚と言います」

自分の器を超えた事をしようとして、出来なくて苦しむ時があります。

僕自身の体験ですと東北の地震・津波災害時に
「何故僕はそれを事前に察知して皆さんを避難させれなかったのか・・」と
落ち込みそうになりました。
でもそれってエスパーではない普通の人間の僕に出来る訳もない事ですよね。

自分の器以上の事をしようと思っても出来ない・・と考えたらすっと楽になりました。

ご縁を頂いた方の話を伺いますと自分の器以上の事を求めて・やろうとして、
それが出来なくて落ち込む・・系の話を少なからず拝聴する機会があります。

自分の器以上の事をしようとするのは傲慢らしいですよの話をさせて頂くと、
はっと気がつかれる方もいらっしゃいました。

僕は以前は、お金を使う事に対してとても慎重でした。
特に自分に利益が無いと判断すると少額でもケチルような姿勢がありました。

それはもしかしますと昔お付き合いした女性にどんどんお金を使い、
預金口座残高が0になった事によるお金のきれめが縁の切れめになった
経験からの反動でそうなったのかもしれません。

ですが「喜ばれると嬉しい」の見方・考え方を
正観さんから教えて頂きまして、生き方が変わりました。

人に喜んで頂ける事にお金を使うのでしたら
OKなのではないかとの考え方を持つようになったんです。

今ではお誕生日にプレゼントを贈ったり家に遊びに伺う時等に
お土産を用意するのが普通になりました、以前では考えられなかった事です。

そうしているうちに友が増えました。現在多くの方とご縁を頂いています。

これも正観さんのお陰様と心より感謝しています。

正観さんの世界を実践しますと自分がうたしになりますし
そしてふと気がつくと周りもうたしになってたりします。
なんて幸せなんだろうと嬉しく感じています。

正観さん・皆さんとのご縁を頂けました事を心より幸いに思います。

それは自分の人生ってなんて幸運なんだろう(^^)と感じる機会でもあります。

これからも正観さん・皆さんを大切にしながら
うたし(うれしい、楽しい、幸せ)に生きていこうと思います。

今後もお世話になりますが、宜しくお願い申し上げます。

ありがとうルーム開催募集イベント

  9月15日 セッション練習会 (定員まで残り1名) 


目標と今ココの現実

2012年08月02日 | スピリチュアルな話

846
目標と今ココの現実

神様ありがとうございます。

今日は立花大敬さんの「しあわせ通信」から
「目標と今ここの現実」という話が面白かったので
紹介させて貰います。

立花大敬さんの禅の会で、こんな質問がありました。
将来こうしたいという「夢(目標)」があります。
それと「今ココ」にいるという自分の現実があります。

そのどちらを大切に生活してゆけばいいのでしょうか?
という質問です。

たとえばA地点からスタートしてB地点に向かうとします。

その途中を歩いていると、その間ずっと
「Bに行かなきゃ、Bに行かねば・・・」
と思い詰めて歩いていることはないですね。

歩いている時は信号に注意したり、車や人に気を付けたり
今ココの現実をしっかり意識をおいて行動しなければなりません。
そうしないで未来の方ばかり、意識を向いていると事故に
あってしまうかも知れません。

いったんゴールを決めたら、今度はそのゴールを
今ココ、今ココしてゆけばいいんですね。

それでも心さんは決して、ゴールを忘れていないんです。
いつの間にかB地点に到着していたことになるのです。

未来に夢を抱いて、しかし現実に命の重心をすえて
今ココにしっかり勤めあげて行けば
ゴールへのたどる道は「運び屋の心さん」にお任せします。

昨年大活躍されたソフトバンクホークスの多村選手の話です。

絶好調の理由を記者にたずねられて

「これまでは、バッターボックスに入っても
『打たなきゃ、打たなきゃ』という気持ちが強くて
プレッシャーを感じてまし。
(未来のゴールに意識が飛んでいってしまって
今ココ(バッターボックス)に命の重心が定まっていなかったのです。)
今年はバッターボックスに入ったら、もう何も考えずに
「きっと何かが起こるんだ」と期待して
どんな結果が起こるのか、それを楽しむような気持ちで
いられるのが好調の原因だと思います」

語っておられました。

別にうまく打たなかったも、どんな形ででも
チームの勝利に貢献できれば良いので
そのシナリオは心さんに、お任せして
ワクワク期待して結果を楽しにしていればいいのです。

立花大敬さんは、今は
未来に具体的な目標を持たなくなりました。

「きっと神様のお役にたてるような
私にふさわしい仕事をさせて下さる。
それは当然なことなんだ」

その思いだけで、力まず自然に生き
具体的な形(目標)は心(神様)に任せて決めないで
神様がいったいどんな形の役割を用意してくださるのか
それをワクワクと期待し楽しみにしてます。

思い通りの展開なんてちっとも面白くない。
思いもおよばぬ
「エッ、こんなこともありなの!」
という展開こそ面白いだと思います。

ありがとうルーム開催募集イベント
   8月18日 セッション練習会


車に感謝して、お祓いする。

2012年07月03日 | スピリチュアルな話

835
車に感謝して、お祓いする。

神様ありがとうございます。

立花大敬さんの「しあわせ通信」に
このような話がありました。

立花大敬さんの禅の会でTさんが面白い報告をしました。

Tさんは車を買い替えることにしました。

それで旧車に乗って神社にに行って
お祓いの申し込みをしました。

神宮の方が車を見て
「あれ、これは新車じゃありませんね」と不審顔です。

Tさんは「ええ、このたび車を買い替えることになりまして
この車は廃車にするのですが、これまでさんざん世話になってきたので
感謝の気持ちを形にしたいと神前での、お祓いをお願いしました。」

すると神宮の方はとても感激されて
「いやあ、新車のお祓いは毎日やっていますが
手放す車に感謝するために神前儀式というのは
これまでやったことがありません。
しっかり心を込めてつとめさせて頂きます」
と喜ばれました。

そしてとても丁寧な儀式をして下さいました。

それから晴々した気分で新車のディーラー店へ出かけました。

その店の方が旧車の点検をして
「Tさん、この車はあなた方のために精一杯勤めあげてくれたのですね」
と言われたそうです。

Tさんが「えっ、それはどういうことですか?」とたずねますと
お店の方は
「この車はもう寿命ぎりぎりの所まできていて
あと数十メートル走ってもエンジンストップするという
ギリギリの状態ですよ」と言われたそうです。

もう寿命は尽きていたんだけれど
お祓いを受けた車さんが感激して
もうひとふんばりしてくれたのです。

そういうことがあってからのことです。

Tさんの経営する会社の調子が良くなったのです。
次々注文が入るようになりました。
「今や大車輪で働かせて頂いております」ということです。

自分の使ったもの、ご縁のあったものに感謝して使わせて貰う。

感謝の気持ちが豊かさを運んでくれます。

車は自分を運んでくれる、大切な仲間であって
物ではないと考えると、とても感謝の気持ちがわきます。
毎日そんな気持ちで、車に感謝します。


周りの評価は自分の鏡

2012年06月05日 | スピリチュアルな話

821
周りの評価は自分の鏡

神様ありがとうございます。

自分の周りに言われてることに
凄く気になることがありますよね。

小林正観さんの言葉に

周りの評価で一喜一憂するから、すぐ落ち込んで
すぐ有頂天になる。
以上でも以下でもない私。

周りが自分に敵対心を持ってる!
あの人はバカにしてる!
嫌な態度の人だ!

そのような現象が起こったら

自分が周りに敵対してたり
あの人はバカだ!
あの人は嫌な人だ!

言ってたり思ってませんか?

最近心が良く通じる時代になってきました。
「ウォーター」の映画でも水は意識を情報として伝え
外国のいても、その人のことを思うと意識が伝わることを実験でやってました。
人間の体も70%は水でできてます。

なので本人に直接言わなくても、心は相手に通じるので
言われてる相手は何を言われているか感じます。

「私は直接本人に言ってないのに、嫌な態度をされる」と言っても無駄です。(笑)

自分の評価=他人の評価はイコールの鏡です。

私の好きな言葉に

人が馬鹿に
見える時は
八方ふさがり
人の偉さが
わかりかけると
運はひらける

他人や周りを批判するのは結局は、自分の中の鏡で
自分自身を批判してるのと一緒で、自分自身を傷つけます。
批判することが多いと、周りの批判の評価も過剰に気にします。

自分を認めて、周りの人のことも認めて始めて
正観さんの言う「以上でも以下でもない私。」になれます。

鏡があるから自分に気づき磨かれることになります。

まずは自分を好きになることが大切ですね。

 

ありがとうルーム開催募集イベント

 6月7日 セッション練習会inありがとうルーム

 6月11日 落語&ものまねライブinここで笑うよ。 

 6月30日 第6回5セッションinありがとうルーム

 


中野裕弓ロミ・コミ「反省はいらない」

2012年04月12日 | スピリチュアルな話

791
中野裕弓ロミ・コミ「反省はいらない」

神様ありがとうございます。

私も考え方をいろいろ教わったメンターの一人に中野裕弓さんがいます。

中野裕弓さんには札幌に何回も来てセミナーを開催して貰いました。

中野裕弓さんの大切にしてることに「自分を愛する」という
考えがあります。

自分が嫌い、自分を変えたいと思っている人に
自分を責めすぎて反省ばかりしてる人がいます。

中野裕弓さんの毎朝無料で送ってくれる
「ロミ・コミ」というメルマガがあり反省好きな方に
ピッタリのメッセージがあったのでご紹介します。

4月10日 ロミ・コミ「反省は いらない」!?

新刊『幸せになるために捨てるもの 84のリスト』(日本文芸社)で
最初に目に入るのがコレです。

わたしってなんてダメなの と自分を責めてばかりの自己批判型の反省をしていても
事態は変わりません。それではいつまでも自分に自信が持てません。 

おまけに自分で自分のことをダメだと思っていたら
周りの人も同じようにあなたにダメ出しばかり。 

でも幼いころから、反省するところにのみ進歩ありと
教えられていた私は毎晩、一人反省会の常連でしたね。

反省することに“逃げていた”のだと思います。

必要なのは事態を冷静にふりかえり
次にはそうしないように考え、工夫をすること、以上!

反省の数 = 幸福感 ではありませんね。

4月11日ロミ・コミ「ただ今、楽しく発展途上中」

昨日のロミ・コミ「反省はいらない」を読んだ方から
今の自分じゃだめだ、と思って反省・改善してきたが
そう思わなくても目標達成できるかというご質問がありました。

自分にダメ出ししながら進む道も、自分によしよしと
愛を持って励ましながら進む道、どちらもアリです。
どちらもいずれ目的地に達するでしょう。 
その違いは途中の道のりが、楽しいかどうか。

日々、足りないところを反省するところに向上がある、と思っていると
ダメな自分とどう向き合ったらよいか考えてしまいますね。

そんな時、便利なのが今日の一言です。

至らない自分、足りない自分は、ただ今、発展途上中なのです。 
ダメ出しよりも、日々、懸命に生きている自分をまるごと受け入れて
いとおしいと思えたら、自分をもっと好きになれます。

お互い 発展途上中の身の上、エールを送り合いましょう。

ロミ・コミは 中野裕弓ホームページ から登録できます。

毎朝元気の出るメッセージが頂けますよ。

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4/14 セッション練習会inありがとうルーム (残席3名)


4月8日は花まつり&イースター

2012年04月08日 | スピリチュアルな話

788
4月8日は花まつり&イースター

神様ありがとうございます。

今日の4月8日はお釈迦様が生まれた「花まつり」の日です。
 またイエスが復活したことをお祝いするイースターの日でもありました。

イースターはいつも4月8日ということではありません。
イースターは春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われます。
2012年のイースターは4月8日になりキリスト教では
クリスマスと同じくらい大事な日です。

何かとても記念すべき日なので、今回は
札幌のお寺&教会巡りを企画して4人で一日楽しみました。

まずは9時に「ありがとうルーム」に集合してから
すすきのの真言宗のお寺「新栄寺」に参拝しました。 


「新栄寺」で甘茶を飲みながら、仏教のお経の解説をしながら
本堂で「般若心経」や「観音経」を読みながら参拝です。

その後1階の「光明殿」にも行きました。

新栄寺の次は近くの曹洞宗「中央寺」に行きました。 

玄関にお釈迦様の像が置いてあり
像に甘茶かけてここでも甘茶を頂きました。

甘茶の由来はお釈迦さまがお生まれになったとき
九頭の竜が天から香ばしい水(甘露)を吐いて
お釈迦様に産湯を使わせたという言い伝えがあります。 
なので甘茶をかけたり飲んだりします。
中央寺の御本尊は「釈迦如来」です。

中央寺では日曜日にはいつも座禅会をやってます。

次に「カトリック北1条教会」に行きました。

札幌で唯一神父さんより位が上の司教がいる教会です。

古い歴史があり聖堂の中も自由に見学できます。

聖堂にはイエス様、マリア様、ヨセフ様が祭られていて
中に入ると祈りの歴史を感じ雰囲気の教会です。

北1条教会の次は浄土真宗の「東本願寺札幌別院」に行きました。

すすきの近くの大きな敷地のお寺です。

御本尊はもちろん「阿弥陀仏」です。

東本願寺の参拝が終わった後に
丁度お昼でお腹が空いた時間になり
大好きなフレンチのお店「ラ・サンテ」で昼食をしました。 

今日のメニューは










一品くることに、みんなで美味しい幸せと感激のグルメ修行です。

食事が終わってからタロットグループセッションです。
私が引いたイーチンタロットを解説しながら
みんなで思ったことをアドバイスする楽しいセッションです。
タロットもその時に状況を的確にメッセージを伝えますが
みんなで意見を出すと、とても共感がわきワイワイ楽しくセッションしました。

食事を終った後に山の手の曹洞宗「浄国寺」に行きました。

浄国寺で座禅会に参加しましたが
本堂の入るのは今回が初めてでした。

御本尊はキラキラ弥勒菩薩です。



凄く輝いて荘厳です。
本堂の所で写経もできますし本堂のエネルギーとても良く
ここで今度ゆっくり瞑想したいです。

最後は夕方から友人の知ってる手稲のプロテスタントの教会
「ニューホープ札幌」に行ってイースターに参加しました。

ハワイアンの踊りやゴスペルありの楽しいイースターでした。

2012年の4月8日が仏教とキリスト教のお祝いの日が一緒なんて
2012年は東洋と西洋の陰陽の統合のスタートの
1年の流れが起こってくる時なんでしょうね。

今回いろんな仏教のお寺やキルスト教の教会を周り、宗教のいろんな歴史を
感じましたが、これから良いも悪いもなくお互いに認め合いながら
共存していく時代が、やってきたと思います。

ありがとうルーム開催募集イベント
4/14 セッション練習会inありがとうルーム 


津留晃一 「無礼講」

2012年03月20日 | スピリチュアルな話

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津留晃一 「無礼講」

神様ありがとうございます。

私の人生の影響があったメンターの一人に
津留晃一さんがいます。

精神世界の鉄人トーマさんのメルマガ に
津留さんの講演録が載りましたので紹介します。

私は津留さんとは1996年にお会いして、津留さんを札幌に呼んで
セミナーを1999年に開催しまた。 
懐かしい思い出です。

津留晃一さんは2000年10月に亡くなりました。
年齢は斎藤一人さんと同じような年です。

今は津留さんのお姉さんの山口潤子さんが津留さんの昔話した
講演会のCDやDVDを「津留晃一の世界」のホームページで紹介してます。

今でも津留さんが死んでも影響を受ける方がいます。
深い思想を持った人でした。
津留さんの話は今読んでもちょっと震えがくるような感動があります。

21世紀の生き方を伝える先覚者でした。

津留晃一 「害をもたらすもの」(1997年6月の講演会より)

「自分のイライラをどうすればいいのだ」
そんな思いを持っている多くの方がいらっしゃると思います。
あなたがイライラするには訳があります。

あなたに害をもたらすイライラの源は
一体あなたのどんな考え方からやってくるのでしょうか? 
あなたを被害者に仕立て上げる、あなた自身の考え方はどれでしょう。

「勝手なことしないでよ」

と、人は自分の許可もなく勝手にした他人の行為を咎めます。
「一言ことわればいいのに、無断でやるなんて、ちょっとひどいじゃない」
このときあなたは犠牲者の立場を選択しています。
加害者はことわらなかった相手です。

本当にそうでしょうか。
一言ことわればすむのだったら、ことわりがなくてもすむはずです。
でもあなたの怒りはおさまりません。
一言いってやらないと気がすみません。

300ccの献血が出来たことは喜びであるのに
1gの血を蚊に吸われたときには腹が立ちます。

承諾していることは喜びなのに、無断だと腹が立ちます。
血をぬかれるという行為に意味を与えているのは私達です。
取られたと解釈したときに人は被害者となり
あげたと解釈したときには犠牲者となりません。

あなたの解釈があなたに害を与えます。

献血が喜びである人は、蚊に血を与える事が出来たことも喜びであるはずです。

「そんな事をして蚊が増えたら困るじゃないか」

とエゴは主張するかもしれませんが、実際には創造主であるあなたにとって
不必要なモノが大量発生する事はありません。

「無礼講」という言葉があります。

「今日は無礼講じゃ! 何でも勝手にするが良い」

いちいち許可はいらないから勝手にしなさいという大変に太っ腹な考えです。
そうするとその日に起こった事は全て許せます。

「俺が認めたのだから良いよ」
という事です。

だったら毎日これをやって見ませんか? 
朝起きたら一番に、大きな声で宇宙に向けていって下さい。

「今日は無礼講じゃ! 地球の皆のもの勝手にするが良い」 と・・・。

通勤電車の中が満員だったとしても
「よいよい俺が許したのだ、『おしくらまんじゅう』楽しむがよい」
と、いつもと様子が変わります。

人身事故で電車が途中でストップしても
「よいよい俺が許したのだ、動き始めるまでここでゆっくり瞑想しよう。
またとないチャンスに恵まれた」
と喜びだけを体験します。

遅刻して会社に着いたとたん、上司がやってきて
「困るじゃないか大切な会議があったのに」
と、あなたに言ったとします。

「よいい今日は無礼講じゃ、好きなだけ不満を言えばよい、何でも私が聞いてやろう」

ただしこれは自分の心の中でだけ独り言として言って下さい。

こうなると、もはやあなたにイライラはなくなってしまいます。
あなたが許しているのですから、あなたが被害者になることはありません。

「俺はそんな事は聞いてない、そんなこと許した覚えが無い」

こう判断した瞬間、あなたはすでに犠牲者です。
もう二度と誰かの犠牲になりたくないのであれば、ことは簡単です。

あなたの宇宙で起こる全てに責任を取ることです。
毎朝、無礼講を言うのも面倒です。

皆さん一緒に言って見ませんか

「これからは全て無礼講じゃ、全てを私が許す
宇宙の皆のもの勝手にするが良い、全て私が責任を取ろう」と。

その日からあなたは自分の宇宙の支配者として生き始めます。
ですからあなたの心を傷つけるどんな出来事も消滅してしまいます。

新聞を見たら
「震度6の地震」
とありました。

私の心はこう言います

「地球さんご苦労様、のどが気持ち悪くて咳をしたのですね
私はあなたが咳をすることを許します」と。

テレビのスイッチを入れ、こんなニュースが流れてきたとします

「××地区で戦争が勃発、死傷者多数」

全てを許している創造主であるあなたは

「私はあなた方の苦しみを理解します。自分を傷つけ、
人を恨むという体験をあなた方が選択した勇気を私は心から受け入れます」
と言うことが出来ます。

母から
「お父さんが死んだよ」
と突然電話がかかってきたとします。
「よいよい許そう」
というのに抵抗があったら、ちょっとだけ意識的に人間意識に戻ってみましょう。

意識的にというところに気付いていて下さい。
きっと涙があふれ出てくるかもしれません。
どうぞたっぷりとそこにいて下さい。
それもあなたの大切な大切な役割であるからです。

あなたは自分を表現するために

「今・ここ」

に存在しています。

あなたのそんなかけがえのない感情を大切に表現して下さい。
自分の目からあふれでる涙が、とても清々しいものである事に気付かれるでしょう。

人間の感情の素晴らしさに、感動が押し寄せてくる事でしょう。
全ての体験が、これまでの苦しみのパニック感のそれではなく
別の種類のマイナス感情があった事を発見されるでしょう。

それが気付いているという事なのです。
たっぷりと感情をかみしめ終わったら、また元の創造主に立ち返り

「父よ、お疲れさまでした。私はあなたが人間としての生を終えられることを受け入れます。
私は、あなたがやって来た目的を全て無事果たされ、帰還していくことにエールを送ります。
長い間、父としての役割を演じて下さったことに感謝を捧げます。不自由な肉体を離れ、
自分の本性を取り戻した瞬間にやってくる至高の至福体験を祝福いたします」

と言ってみましょう。

「全てを許すといってもこれだけは例外だよ」
というものはありませんか? 
「イヤ、このベンツだけは勝手にされては困る」
「当然、命だけは別物だ」と。

無礼講だといっておきながら

「そんなことをして良いわけないじゃないか、それぐらい常識でわかるだろ」

とイライラがやってきたとしたら、相手を咎める前に
それが今の自分の限定された意識からなされた判断かもしれないと、
一度疑ってみて下さい。

命でさえ例外ではありません。

どうぞ自分こそが創造の源という立場に立ちかえり、勇気を持って、
他人ではなく自分の価値観に意識を戻し、自分の思考の限界を探って下さい。
あなたの宇宙で、してはいけないことはないのだという言葉を思い出して下さい。

これには例外はありません。
例外があるとしたら、それこそがあなたの限界です。

自分という責任のとれない未熟な創造主に気付いて下さい。
あなたが責任を取れないところにだけ恐れが潜んでいます。
あなたは自分が責任を放棄したものによって害されます。

「俺は聞いてない」
と責任逃避するのは止めましょう。

「承認した覚えはない」
というのは止めましょう。

「あいつは間違っている」
というのは止めましょう。

「あの情報はおかしい」
というのは止めましょう。

何故なら、そこからあなたは被害を受けるのです。
本当はあなたが承諾していない事は決して起こりません。
あなたの宇宙にはあなた一人しか生存していないのですから・・・。
別次元のあなたが承諾しない限り、あなたは蚊にさされることさえありません。

トータルなあなたがOKを出さない限り、あなたには何事も起こらないのです。
ですから事故なんかあり得ません。

全ての出来事は自分自身であるハイヤーセルフが
承諾しているのだという立場を選択し続けて下さい。
そんなあなたはもはや決して犠牲者になることはありません。

あなたの出会う全ての人は、自分の招いたお客さんという事になります。
夜遅くに聞こえてきた隣の部屋からのへたなピアノの音も、
電車の向かいの席に座った酔っぱらいの酒臭さも
ラーメン屋のテーブルの上をはいまわるゴキブリさんも、例外にしないで下さい。
しつこい新聞の勧誘さえ、自分が招いているという態度を失わないで下さい。

もう一度言います。

私達は自分の知らないところで起きたことに腹を立てます。
「こんな風にされた。そんな事されるいわれはない」と。

受動的態度を選択した時に必ずあなたは傷つきます。
自分を真に愛するとは、決して受動的態度を選択しないことです。
理由は良くわからなくても
「これは私の体験したかったことなのだ、私が望んだことなのだ」
と、能動的態度で接して下さい。

「先に一言いってくれればよかったのに」
「一言ことわってから持っていけよ」
「黙ってちゃわからんだろ」
「俺は聞いてないぞ」

こんな発言こそがあなた自身を傷つけていることに気付いて下さい。
源は全て自分である。
この超能動的態度をくずさない限り、あなたが被害を受けることはなくなります。

忘れないで下さい、自分が現実の創造主であることを・・・。


人を助けると神様から助けられる。

2012年03月13日 | スピリチュアルな話

779
人を助けると神様から助けられる。

神様ありがとうございます。

この間は「元気玉」の小野清美さんの紹介で
「一歩を踏み出す会」で渡辺誠さんのお話を聴いてきました。

渡辺さんは天理教の当別の教会「ほっとハウス」をやられています。

ほっとハウス(代表)渡辺 誠
北海道当別町太美1467-31
電話 0133-26-4490


渡辺さんの「ほっとハウス」には天理教の方だけでなく
宗教に限らず、いろんな方が出入りでしてます。

ホットハウスには生活で困った人方と
いろいろ面倒を見ながら一緒に暮らしてます。

渡辺さんはまずは「人を助ける」を信念に「ほっとハウス」で
みなさん助け合いながら生活してます。

運営は皆さんの善意の寄付金でまかなってますが
ある時に渡辺さんの奥さんが
「あと2日で米が無くなるけど、おかゆにすれば
4日は持ちますけど、どうしましょうか?」と相談にきました。

渡辺さんは「米が無くなったら、みんなで断食すれば良いさ!2日で食べてしまおう」
言って2日目の夜で米が無くなる日のお昼に

以前旭川の娘さんを、お世話した人から突然
米を一俵届きました。

旭川の米を送った人は、渡辺さんの所で米が無くなることは
全然知らずに送ったそうです。

まさに「人を助けている」渡辺さんへの「神様の手」の助けです。

渡辺さんは今まで40人くらいの方を面倒みて
生活を一緒にしてましたが、お金を盗んでいなくなる人や
また刑務所の入ってしまう人など
社会生活に復帰して戻れる人は1割くらいしかいないそうです。

「野球でも3割は打てれば良い成績だけど
1割では成績が良くないのはどうなんだろ?」

悩んでいた事を天理教の先輩に相談したら

「渡辺さん あなたの所に来て頂いた方は
神様があなたの心を磨くために来て頂いた方だから
どんな人も感謝しなさい」

心を開かれるアドバイスを頂きました。

私のセラピストの仕事の、お客さんもまさに
私の心を磨いてくれるために来てくれる
お客さんです。

お客さんは神様です。


神想感瞑想

2012年03月09日 | スピリチュアルな話

777
神想感瞑想

神様ありがとうございます。

毎日瞑想を習慣にしてます。

この瞑想は「スピリチュアル覚醒セミナー」でも教えてる瞑想です。

瞑想の「やり方」や「意味」は下記の記事に説明してます。

神想感瞑想

瞑想は自分の活かしてくれる、内なる神と
感謝と共に一体となることで、自分の中の本来の
心を取り戻し、内なる英知に気づき自然と導かれるように
人生が幸せな流れに進むことに、とても役たちます。

瞑想は、とても心地が良いですが、瞑想を
唯やることが目的でなく、瞑想することによって
どう日常生活で活かせるかが大切です。

「ひたすらに神を想いて合わす掌の 
 それさえ消えてただに青空」(五井昌久作)

毎日がこの詩のような、澄んだ心で毎日を送るのに
瞑想はとても役たちます。

私が体験した瞑想の効用です。

【瞑想の効用】
・心の平安になる
・考えが前向きになる。
・イライラがすくなくなり、ストレスが解消される
・健康の増進に役だちます
・運がついてくる
・直感がさえてきます
・アイディアが湧いてくる
・人間関係が良くなる

神想感瞑想法を紹介します。

神想感瞑想

☆瞑想のやり方☆

背骨を伸ばして(腰骨を伸ばして)、印を組んで目をつぶり座る。

1 ゆっくり腹式呼吸します。
自分の頭の上に「愛の光の神」の姿である光輝いてる「太陽」をイメージします。

2 頭の太陽から愛の光が流れてきて、自分の体が太陽のように光輝いてる
イメージをしながら祈り言霊を唱えます。
「神様ありがとうございます。 神様の無限の大愛に包まれています。
神様の愛の光と一体です。神様ありがとうございます。神様ありがとうございます。」
瞑想中は「神様ありがとうございます」を繰り返し祈り
腹式呼吸でゆっくり鼻呼吸をします。
「神様ありがとうございます」で吸い「神様ありがとうございます」吐いて祈ります。
神様と一体化する感覚で、神様への感謝の祈りをします。

3 瞑想が終わったら、ゆっくり目を覚まして、深呼吸をして丹田に氣をおさめる。
 
背筋を伸ばし太陽に向かって日向ぼっこするような感じで
リラックスして瞑想してください。
瞑想は呼吸も体も心も、全て神様にお任せする。

 瞑想中に雑念は出ることがありますが、雑念に気付いたら
また1のやり方に戻り「愛の光の太陽」をイメージし
「神様ありがとうございます」を繰り返す。

雑念が多く出て瞑想が深く入れなくても、瞑想後に心が
スッキリするので、雑念が出ても気にしないでください。
 神様が必要あって、雑念を出して心の掃除をしてくれた事です。
 
 瞑想が深く入ると体に肉体感覚がなくなり、体が光明化して光の世界に入ります。
時間感覚がなくなり超越します。


 これは飯田史彦さんが臨死体験した経験を書いた
「ツインソウル」(PHP研究所)「トーク&ライブCD付き)
(2、100円+税)という本の一部です。
すぐ買って読みましたが「光の存在」との対話が、人生の生きる意味を
教えてくれ、とても素晴らしい本でした。
瞑想の意味についても良くわかります。

※「私」は福島大学教授飯田史彦さんです。「光の存在」は本の中では
  名前は言ってませんが「神」または「宇宙」と解釈して頂いて
  結構だと思います。

光の存在「人を心の底から動かすのは、『愛』でしかあり得ません。
そこに『偽りではない、真の愛』を感じれば、
人は、たとえお金を失ってでも、喜んで手を貸してくれるのです」

私「その『愛』というものについて、率直にうかがいたいのですが、
『愛』とは、いったい何なのでしょうか?」

光の存在「それほど簡単な質問はありません。
あなたもそしてほかの誰もが、その答えなど、
すでに知っているはずだからです。
その答えを知らないままで生まれていく魂など
ただのひとつも存在しません。

なぜなら、それぞれの魂が、『愛』そのものだからです。
したがって、もしも、あなたの問いに対して、
人間の言葉で答えようとするならば
『愛とは、あなたである』と、お答えするしかありません。

つまり、人生を通じて、『自分とは何か』を自問し続ける過程そのものが
すなわち『愛』を問う過程でもあるのです」

私「それでは、『人生』とは、いったい何なのでしょうか?」

光の存在「それもまた、きわめて簡単な質問です。
あなたも、そしてほかの誰もが、その答えなど、
すでに知っているはずですよ。
その答えを知らないままで生まれていく魂など
ただのひとつも存在しません。
なぜなら、魂が人間として生まれていく目的は
ただ『学ぶ』ために尽きるからです。

したがって、もしも、あなたの問いに対して
人間の言葉で答えようとするならば、
『人生とは、学びである』と、お答えするしかありません」

人生でもっとも大切なこと

私「それでは、その『人生』という学びの過程において
『愛』そのものである人間にとって、
いちばん大切なことは、何なのでしょうか?」

光の存在「誇り高く生きることつまり
『自分は、愛そのものなのだ』という自信を
決して失わないことです」

私「それが、なかなかできないのです。
その自信を失わず、誇り高く生きるためには、
いったい、どうすれば良いのでしょうか?」

光の存在「愛そのものである自分を、ありのままに愛することです」

私「しかし、自分を愛そうとしても、人間はみな、数多くの罪を犯しながら生きているので、
自分に対して厳しい人ほど、なかなか自分を愛せないのですが…」

光の存在「たとえ、あなたが自分を愛せなくても
あなたが愛そのものであることには、変わりはありません。
どれほど罪深い人でも、どれほど自分に自信を持てない人でも
どれほど自分か嫌いな人でも、みな、愛そのものであることに
変わりはないのです。そのことを、思い出すのです」

私「でも、なかなか、そのことを思い出すことが
できないのです……どうすれば、思い出せるのでしょうか?」

光の存在

「祈るのです………心に光を念じながら、まぶしいものに対して祈るのです。
まぶしいものを心に描きながら祈るということは
まぶしい光の次元に、魂をつなげるということです。
そうすれば、あなたの傷ついた魂に、立ち上がって歩き出すための
エネルギーが送られるのです」

私「祈りには、力が……効果が、あるのですね?」

光の存在「確かな、大きな力をもっています。ただし
その力は、祈りの力を信じる程度に応じて異なります。
なぜなら、祈りの力を強く信じる者ほど、より波高の高い次元に
つながることができるからです」

私「ということは、祈りの力を信じていない人が
半信半疑で神様や仏縁に祈っても、
せいぜい波高の低い次元にしかつながることができないので
たいした効果も得られない、ということなのですね?」 

光の存在「その通りです」

メールは以上です。

ここでは「祈り」と言ってますが、私の言ってる「瞑想」と
まったく同じものです。

自分が感じていた「光の中で瞑想する」とはこういう意味だったのか
というのを改めて確認しました。

必要なことが必要な時に現れる。
瞑想によって「光の存在」の英知のメッセージは
常に教えてくれてます。


神様の祝福

2012年02月17日 | スピリチュアルな話

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神様の祝福

神様ありがとうございます。

今朝はいつも愛読してるブログ「いまここ」より
素晴らしい話は書かれてましたので紹介します。

ブログ「いまここ」2012年02月17日記事より

わたしはかつて、浄土真宗はなんて自分に都合のいい
身勝手な考え方をしているんだろうって思っていました。
他力?あなたまかせでいいの?
人生は自分で切り開いていくものじゃないのか?って。

ましてや、悪人でも救われる?そんなのありか? みたいな。

でもそれは全く全く正しかった。

一年前、わたしの身に起こったこと。
認知症の母が寝たきりになり、施設に入れたくても空きがなく、
空きがあっても重度であるため入所費用も半端なく、
手段がないため仕事を辞め自宅介護にふみきりました。

そんな折かみさんが鬱になり、リストカット。
長期の入院を余儀なくされました。
収入は完全に断たれ、かみさんの医療費も高額で、途方に暮れました。

今まででも経済的な困窮はありましたが
こんなに前途が真っ暗な状態になった事はありませんでした。

行政の支援もお願いしましたが
まず資産を処分してから来なさいと断られました。

処分するにも、なんせ、ど田舎の地所ですので
土地も家も買い手などつきません。

困り果てたわたしは
来る日も来る日も思案に明け暮れました。

そして、あきらめたのです。
もう起こる事と戦うのをやめよう。
自分はもう死ななければならないなら死のう。

いや、積極的に死を選択するのではなく
そうなるのであれば受け入れよう。

世界が有るなら、それを現している元の、
なにか偉大な力が存在するはずだ。
生きようと必死になるサバイバルを捨てよう。
そうして、その偉大な力、いわば源泉に、または神に。

わたしはわたしの人生だろうが、身体だろうが、命だろうが
魂だろうが、ありとあらゆる自分に関わる一切を差し出したのです。


そうするとどうでしょう!なんと。
自分の苦悩から解き放されたような解放感に浸れたのです。

そして、ここに!
この胸の、ここに!
説明のつかない、ふくらみのある何かが現れたのです。


それは今まで味わったことのない幸せ、喜び
条件を必要としない愛と共に現れました。

わたしはその至福の故に喜び、その感謝の故に泣き
溢れ出るその愛の故に、酔いました。

それは今でも、ここに。この胸のここから溢れてきます。


それが現れてから数日後、生活も、家のローンも
治療費も出してあげよう。返さなくてもいい。
そんな人が出てきたのです。

まさに神が、わたしの人生の主導権を引き受けた瞬間です。


わたしは自分の内側に、絶対的に信頼できる神を得たのです。
それ以来、わたしは内側に、神の側に向いていて
頭のほうに意識を移動するには若干気力を使わなければなりません。


自分の全てを放棄して、内なる神におまかせし
何であれそのみこころを受け入れる。

全くの他力です。
そして、わかったのです。
だれもが本当は神の要素であることを。

それらは何一つ離れてはいない。
全ては一の中にある数限りない一であって
それらは集まっても全部で一であることを。

だれも生まれたものではない。
だれも死ぬものでもない。
世界は、みこころによって意識に立ち現われた映像にすぎないことを。

この至福の世界こそ、法然の言う浄土であることを。
そしてそれは、あの世にあるのでも、この世にあるものでもなく
ああ、それはほんとうは、全てなんだということを。

しかしながら、ほんとうにこの表現はいいのだろうか?
言葉では言えない。
それは存在しているとしか、これしか言えない。
ただ、他力は、正しかった。
今までほんとうにわかっていなかった。

これは、経験してはじめてわかる事なんだと実感できた。
このことだったんだって、わかったんです。

もう身体を離れるのはいつでもいい。
明日でも、今からでも。

みこころに従います。

コメント(花岡修平)

この話は私が皆さんにお伝えしたいスピリチュアル覚醒セミナーの
神様はこんな素晴らしいという話が、とても感動的にブログで書かれています。

この記事を今朝読んだ後に、夜に天使堂の石橋さんの紹介で
キリスト教の西田牧師の話を聞き、聖書を勉強しました。

今日は聖書の「ルカの福音書」の「ザアカイ」という税を取り立てる取税人の話です。
「ザアカイ」は金持ちしたが、みんなからは「罪人」として嫌われていました。

新約聖書ルカの福音書19章より

ザイカイは、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので
群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために
前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。
イエスはそこを通られるところだったからである。

イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた
「ザアカイよ、急いで降りてきなさい。今日あなたの家に泊まることにしてあるから」。
そこでザアカイは急いで降りて、大喜びでイエスを迎えた。

これを見てみなは「イエスは罪人の家にいって客となった」と言ってつぶやいた。

ザアカイは立って、主に言った「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。
また、もしだれかから不正な取立てをしていたら、それを四倍にして返します」。

イエスが「こうしなさい」と言ったわけではなく、ザアカイは喜びに満たされて
自分で出来る精一杯の善を尽くし、罪を償うことを申し出ます。

イエスは彼に言われた、「今日、救いがこの家にきた。
この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われた人を捜して救うためである」

この聖書の話はザアカイがみんなから罪人として嫌われ、苦しんでいたが
苦しみより、神様を求め信じる気持ちが、群集の誰よりも強く
それを見たイエスよりザアカイが神様から祝福された、聖書の話を学です。

今日は神様からこの二つ話学んだ時に
「自分の力を手放して神様を信頼し委ねなさい」

仏教とキリスト教から念押しされたように学びました。

神様ありがとうございます