mumurさんのブログでハケーン京都府の宮津市はキチガイだらけのようです.
なんでこんなキチガイ発言を行政がするかというと宮津市,被差別でググってみてください.
つまり解放同盟だかなんだかの怪しい団体に文句言われないように「穢れ」とか「お清め」と言う言葉狩りをしたかったみたいです.
宮津市の掲示板は炎上中です.週明けまでは放置でしょうから,みなさん悪戯はいやずら.
「宮津市を指示します,因習を廃止し,特定宗教におもねるバレンタインデーとクリスマスを廃止しましょう」なんて嫌味な書き込みがありますが,行政のお馬鹿さんにこのての嫌味が通じるか?
差別を無くそうと声高に叫ぶ団体は基本的に「差別がなくなったら困る」団体ですから,大阪府のように小学校の頃から「差別,民族差別がある」ことを徹底的に教え込みます.
その結果得られる利権にどっぷり浸かっているのが「自称差別されている人々」です.
行政が住宅を用意してくれる,優先的に市営住宅に入れる,生活保護を無条件で受けられる,その生活保護を貰いに便宜上「他人の名前名義」のベンツで乗り付ける.
うらやましいな
5/1追記
5/1朝,市を擁護する書き込みあるも,串が宮津市(【・∀・】ジサクジエン)であり話題に.
5/1夕刻,当該書き込みがスレごと削除される.
火消しを狙ったのに,新たな燃料投下.
で,あたくしも消される前にログを保存しておいたのでここに晒しておきます.
*よく考えれば* 引用
2006/5/1 (月) 09:13:54 - 通りすがりの人 - <toorisugari@docomo.ne.jp
- proxy.city.miyazu.kyoto.jp
[210.171.143.67] - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0;
T312461) - No.1146442434
------------------------------------------------------------------------
葬儀での「清め塩」は、故人につば吐くような無慈悲な行為です。
日本では、古来より「死は穢れたもの」として、「死穢」をことのほか忌み嫌い
ました。
そもそも、塩とは「調味料」であり、人体を維持していく上で「欠かせぬ食品」
であり、
食物の保存に重要な役割を担ってきています。
冷凍食品が普及する少し前まで、保存食といえば、塩漬けか、干物に限られてい
ました。
この「清め塩」には、死体の腐敗を防ぎ、死臭などを防ぐ効果が、「おまじな
い」とし
て残っているのです。
例えば、神棚に白い紙を張るのも同じことです。神様が「死穢」を嫌われるか
らです。
「塩」を撒くと言う習慣は、そうした中から出てきたようです。
現在は、葬儀で会葬者に振り掛けたり、「清め塩」と言う小袋を渡してこの行
為に代えていま
す。
本来なら、ご遺体に振り掛けなければ意味のないことぐらい考えればわかるこ
とです。
所詮、世間で行われているおまじないなど、この種の行為を大まじめにやって
いるだけのこと
です。
それよりも、生前に縁の深かった方の葬儀に参列し、手を合わせながら、一方
で「穢れたも
の」と
して「清め塩」で「お清め」していくことに、何の疑問も感じないことの方が不
思議です。
私たちは、誰しも死に対する「怖れ」や「悲しみ」を抱えております。
そうした「怖れや悲しみから逃れたい」と言う心が、「お清め」と言う行為に
つながるのでし
ょう。
よく考えてください。
しかし、本当に「穢れたもの」として「お清め」することで、「怖れ」や「悲
しみ」は解決さ
れる
のでしょうか。
本来仏教では、死を穢れとして受け止めることは決してありません。
私たちの逃れることのできない「死」と言う事実を正面から受け止め、見つめ
ていくことこそ
が、
「今生きている私たちの生をも充実させることになる」と教えられています。
「お清め」と言う行為は、亡き人をおとしめるばかりか、私たちの生をも見失
わせることにな
る
迷信であり、「一切不要なもの」なのです。
いかがでしょうか。
- お葬式の後のお清めの塩は人権侵害
- 無意味な因習は無くしましょうと市が指導
- 一般人は(°Д°)ハァ?
なんでこんなキチガイ発言を行政がするかというと宮津市,被差別でググってみてください.
つまり解放同盟だかなんだかの怪しい団体に文句言われないように「穢れ」とか「お清め」と言う言葉狩りをしたかったみたいです.
宮津市の掲示板は炎上中です.週明けまでは放置でしょうから,みなさん悪戯はいやずら.
「宮津市を指示します,因習を廃止し,特定宗教におもねるバレンタインデーとクリスマスを廃止しましょう」なんて嫌味な書き込みがありますが,行政のお馬鹿さんにこのての嫌味が通じるか?
差別を無くそうと声高に叫ぶ団体は基本的に「差別がなくなったら困る」団体ですから,大阪府のように小学校の頃から「差別,民族差別がある」ことを徹底的に教え込みます.
その結果得られる利権にどっぷり浸かっているのが「自称差別されている人々」です.
行政が住宅を用意してくれる,優先的に市営住宅に入れる,生活保護を無条件で受けられる,その生活保護を貰いに便宜上「他人の名前名義」のベンツで乗り付ける.
うらやましいな
5/1追記
5/1朝,市を擁護する書き込みあるも,串が宮津市(【・∀・】ジサクジエン)であり話題に.
5/1夕刻,当該書き込みがスレごと削除される.
火消しを狙ったのに,新たな燃料投下.
で,あたくしも消される前にログを保存しておいたのでここに晒しておきます.
*よく考えれば* 引用
2006/5/1 (月) 09:13:54 - 通りすがりの人 - <toorisugari@docomo.ne.jp
- proxy.city.miyazu.kyoto.jp
[210.171.143.67] - Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0;
T312461) - No.1146442434
------------------------------------------------------------------------
葬儀での「清め塩」は、故人につば吐くような無慈悲な行為です。
日本では、古来より「死は穢れたもの」として、「死穢」をことのほか忌み嫌い
ました。
そもそも、塩とは「調味料」であり、人体を維持していく上で「欠かせぬ食品」
であり、
食物の保存に重要な役割を担ってきています。
冷凍食品が普及する少し前まで、保存食といえば、塩漬けか、干物に限られてい
ました。
この「清め塩」には、死体の腐敗を防ぎ、死臭などを防ぐ効果が、「おまじな
い」とし
て残っているのです。
例えば、神棚に白い紙を張るのも同じことです。神様が「死穢」を嫌われるか
らです。
「塩」を撒くと言う習慣は、そうした中から出てきたようです。
現在は、葬儀で会葬者に振り掛けたり、「清め塩」と言う小袋を渡してこの行
為に代えていま
す。
本来なら、ご遺体に振り掛けなければ意味のないことぐらい考えればわかるこ
とです。
所詮、世間で行われているおまじないなど、この種の行為を大まじめにやって
いるだけのこと
です。
それよりも、生前に縁の深かった方の葬儀に参列し、手を合わせながら、一方
で「穢れたも
の」と
して「清め塩」で「お清め」していくことに、何の疑問も感じないことの方が不
思議です。
私たちは、誰しも死に対する「怖れ」や「悲しみ」を抱えております。
そうした「怖れや悲しみから逃れたい」と言う心が、「お清め」と言う行為に
つながるのでし
ょう。
よく考えてください。
しかし、本当に「穢れたもの」として「お清め」することで、「怖れ」や「悲
しみ」は解決さ
れる
のでしょうか。
本来仏教では、死を穢れとして受け止めることは決してありません。
私たちの逃れることのできない「死」と言う事実を正面から受け止め、見つめ
ていくことこそ
が、
「今生きている私たちの生をも充実させることになる」と教えられています。
「お清め」と言う行為は、亡き人をおとしめるばかりか、私たちの生をも見失
わせることにな
る
迷信であり、「一切不要なもの」なのです。
いかがでしょうか。
これが自作自演だったら最悪としかいいようがないです。
そもそもこんなプライヴェートなことにお上が口を出す事自体あほかと思いますが。
こんなところに税金を納めるなんて考えられない!