arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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自分の個性と使命感について・・・

2006年06月24日 03時03分20秒 | エッセイ
自分の人生を振り返ってみて、自分の「個性」や自分自身がどういう「存在」なのかを「自己発見」する時というのは、一体どんな時だったのかをちょっと考えてみる事にしました。

例えば自己発見の一つの方法としては、座禅や瞑想などのように「自己内省的」になる事によって自己発見をする事もありますが、これは実際には中々難しい面があります。

また、大きな苦悩や肉体的苦痛を体験した直後に自分を発見する事がありましたが、これは不思議な神秘体験であり、自己発見というよりも他人への共感とか「他人との共通点」の発見でした。
こういう経験はオリジナリティを考える上では非常に大切な事ではありますけれども、誰しも自分から苦しみの中には入ろうとはしない訳です。

また肉体的には、小さな鏡を覗き込んでばかりいた思春期の頃の事を懐かしく思い出しますが、これでは大した自己発見は出来ないと思います。
お洒落に敏感な人たちというのは、小さな鏡ではなく常に自分の全身が映る大きな鏡を見て工夫をしているようです。
センスの良いお洒落というものも、自己発見なくしては出来ないものだと思いました。



もっと簡単なのは・・・
「他人の美意識」に感動したり理解したりする事によって、自分の美意識を発見する事。
またその逆に、他人の美意識が自分と全く異なる事によって、自分の美意識を再認識することがある事。

私の具体的な方法としては・・・
自分の好きな画家は誰なのか?
自分の好きな小説家は誰なのか?
彫刻家は・・・? 映画監督は・・・? 
作曲家は・・・? 宗教家や思想家は・・・? 
科学者は・・・? スポーツ選手は・・・?

音楽については・・・
クラシック音楽ではどんな作品に感動するのか?
映画音楽ではどんな作品に感動するのか?
ジャズでは・・・? 流行歌では・・・?
童謡では・・・? 民謡では・・・?
このように、自分が共感出来るもの探し続けていました。

20歳の頃には多くの小説家の代表作(短編作品が多いですが)を沢山読みましたし、20代後半の頃にはピアノのレッスンの帰りには必ずデパートに寄って、絵画、焼き物、活け花、書道、人形などの展示会を見ていました。(これらはほとんど無料でしたから)
映画に関しては、日本の新しい映画にはほとんど興味はありませんでしたが、海外の古典的な名作だけを上映しているような小さな映画館を探しては見て歩きました。
このように、自分の「好きなもの」や「共感出来るもの」を集めていますと、そこに何かしらの共通するものを感じるようになりました。
そこから自己発見をする事がある訳です。

何故私がこのように他人の作品を見て歩いたかという理由の一つに、「他人の作品を理解出来ない事が悔しい」という気持ちがありました。
世の中には分からない事が沢山あり過ぎて劣等感が強かったものですから、何でも理解したかったのです。
これらのものは、初めの内は全く理解出来ないものが多いのですが、何故かある日突然に、理屈抜きで「感覚的」に理解出来る事があるのです。
その時には非常に嬉しくて、自分の心が少し大きくなったような気がしたものです。

一般的には「劣等感を無くして、自信を持って強く生きなさい」などと言われると思いますが、私にとってはこの「劣等感」は非常に大切なもので、「劣等感を生かす」事で進歩があったような気が致します。



このように私にとっては、作品に対して「見る目を養う事」や「共感出来る人物や作品を見付け出す努力をする」という事は当たり前の事だったのですが、それとは全く違う考え方の人たちも当然いました。
ある人は私に向かってこう言いました。
「理解出来ないものを、無理に理解する必要なんてないじゃないか!」
その人はジャズのミュージシャンでしたから、ジャズだけに自信を持って生きているような人で、世の中に知らない事が多くあっても劣等感などは持たないという人でした。

そういう人にとっては、絵画も文学も理解する必要はない訳です。
ですから当然「自信満々」に生きて行けます。
その人もそうでしたが、ジャズの世界では「自分の未熟さを棚に上げて」、他のミュージシャンの事を批判するのが当たり前のように考えている人たちに度々出会いました。

私はフリーター生活を20年ほどやっていましたから、色々な職場で色々な人たちが自分の劣等感を隠しながら表面上は自信満々に生きている姿や、他人を軽蔑し合っている光景を何度も見ていますから、珍しい話ではありません。
ある工場では技術課と製造課が仲が悪かったり、学歴の無い肉体労働者が大学生のアルバイトをバカにしたり、
非常に単純で分かりやすいお話です。



では次に、他人の美意識との違いによって、自己発見をした時のお話を致しましょう。

それは、ある人の文章を何度も読んでいる内に、「ふと」ある事に気が付いた事があったのです。
簡単に言いますと、この人の文章というのは「上の立場」から「下の立場」の人に向かって語りかけているような文章だったのです。
例えば学校の先生が生徒たちに向かって、
「こういう場合には、こうしましょうね」・・・というような文章です。
非常に常識的な内容ですから、一般の人であればその言葉に逆らう人は全くいない事でしょう。
「No」と言う言葉は出て来そうにありません。
もし言ったら、その人は相当な「ひねくれ者」です。
ですからこの人の文章は、多くの人たちから「Yes」を求めている文章なのだな、と感じた次第です。
これは私とは全く正反対なのです。



では私のエッセイや音楽というものは、どのような気持や立場で書いているのでしょうか。
これは「使命感」にも通じる重要な事でもありますので、いくつか書き出してみる事に致します。

1.私のエッセイでは、常識的な話や理想論や正しい話(正論)を書きたくない事。
私の個人的な体験談を元に書いていますから、同じような体験をしていない人たちには分かりにくい事が多い事と思います。
つまり多くの人たちに「Yes」を求めていないのです。
ごく一部の共感してくれる人がいてくれればそれで満足なのです。

2.自分はエリートではないという事。
天から与えられた自分の才能というのは、それほど大したものではないと自覚しています。
しかし、「才能」というものは、産まれ立ての赤ん坊のように「天からの授かりものである」と考えていますから、これに不満を言ったり自分勝手に作り変えたりするような気持ちはありません。

世の中には、男と子が欲しかったのに産まれて来たのが女の子だったので、無理やり男の子のように育てようとする人がいたり、自分の子供を絶対に医者にさせるとか、自分の職業の後を継がせるとか、大学を卒業させるとか考えている人たちも多く見かけますが・・・

私は「天からの授かりもの」である「才能」というものを甘んじて受け、自覚しながらもそれを「育てる事」が一番大切な事だと考えています。
作り変えるのではなく・・・

また私は、自分は優秀ではなくとも「優秀な人たちとお付合いをしたい」という気持ちを強く持っている事に気が付きました。
これは向上心を持ち、自分を育て進歩させる事によって、自然に少しずつ優秀な人たちとのお付合いが始まるものと、のんびりと考えています。

3.学歴や普段の才能によって、人生の勝ち負けが決まるとは思っていない事。
どんなスポーツの戦いでも、将棋や囲碁などの勝負でも、日頃の実力だけで決まってしまうのであれば、戦う必要などは全くない訳です。
勝負に強い人やその逆に日頃の実力が出せない人たちがいる訳で、これだから「戦い」や「勝負」というのは面白い訳で、またそれによって人生も面白くなってくる訳です。

例えば私が十代の頃は、色々な作曲のコンクールに挑戦して来ましたけれども、コンクールというのは実力勝負の世界ですから、ベテランだろうが初心者だろうが、学歴があろうが無かろうが、有名だろうが無名だろうが全く関係がありません。
「良いか悪いか」、「面白い作品か、つまらない作品か」という事で決まる訳です。
普段の知識や技術よりもアイデアで勝負・・・という訳です。

4.私がエッセイを書くのは、「ヒラメキ」を得たから書いているのだという事。
閃きは何時やって来るかが分かりませんから、定期的にはエッセイを書く事が出来ません。
これは当たり前の事のようですけれども、色々な人の文章を読んでみますと実際はそうでもなさそうです。
閃き(インスピレ-ション)が無いのに書いている文章を時々見かけるからです。
それがベテランや有名人であっても・・・

「閃き」というのは面白いもので、、日頃の自分の才能よりも「レベルが高い」という性質があるように感じられます。
ここが面白く、また重要なところです。

5.私のエッセイにしても音楽にしても、先ほどお話した人とは逆に、
「下の立場」から「上の立場」の人たちに向かって発信している事。
「私は大した才能の持ち主ではありませんけれども、今日こんな面白いアイデアを思い付きました」
「皆さんどう思いますか?」・・・
といった風です。
私はある日突然思いついた内容に驚きを感じて、それをエッセイに書く事が多いですから、私のエッセイを読んで面白く感じてくれる少数の人たちにも、それが感じられるのではないかと思っています。

6.世の中が優秀なエリートだけの音楽だけになってしまったら、全く面白味のない社会になってしまう事。
いくらクラシックやジャズが好きだからといって、TVやラジオからクラシックやジャズばかりが聴こえてきたらどうなるでしょうか?
優秀な芸術家の音楽だけが優遇されて、ラジオから現代音楽のようなメロディの無い不協和音?ばかりが流れて来たらどうでしょうか?
ですから、「好きな音楽だけでなく、嫌いな音楽も聴こえてくる社会」・・・というのが平和な社会だと考えている次第です。

さて、ここに来てやっと私の「使命感」が登場する訳です。
「私はエリートの人たちが書かない音楽を書こう」
「私は自分の体験から得た言葉でエッセイを書こう」
という事なのです。
ここに私の存在価値が出てくると思うのです。
例え技術的には未熟であろうとも・・・

言葉にすると非常に当たり前の単純な事のように見えますが、これを自分の「使命」と感じるまでには数十年もかかったのです。

物作りをする人たちが一度は考える深刻な問題・・・
世の中には図書館や大きな本屋さんが沢山あり、そこには非常に多くの優秀な作品が並んでいます。
それなのに何故、文章作法も知らない未熟な自分がエッセイやショート・ストーリー書く必要があるのか?
音楽にしても全く同じ事です。
これを真剣に考える事によって、自分が生きている事の意味(使命)というものが分かってくる訳です。

私は自分だけのオリジナルな作品が出来上がると、ただ嬉しいと思うだけではありません。
一般の人から見ると、極端に感じるかも知れませんが、
「自分は、まだ生きていてもよい人間なのだ」
「自分は、ただ単に惰性で生きている訳ではない」
「自分が産まれ出て来た事には意味があるのだ」
と思うのです。
例えそれが世の中の人たちに認められなくとも・・・

7.人は技術には感動はしないと考えている事。
世の中には非常に耳の良い人たちがいて、ヒット曲などを聴くと直ぐにその内容が分かってしまい、同時に技術を持っている人であれば、簡単にコピー(つまり人真似を)してしまう人たちがいます。
明らかに「パクリ」だと感じさせるような作品を平気で公表する人さえいます。
そういう人たちの作る作品というのは、確かに格好が良くテクニックも感じますが、しかしながら残念な事に「感動しない作品」が多いのです。
ここが面白いところです。
要するにオリジナリティに深く関わっていないからだと思います。
もちろん例外も多々ありますが・・・

「上手い絵」を描けるから芸術家になれる訳でもなく、感動する訳でもないのです。
「上手い絵」にはただ単に「本物とそっくりでお上手ね」と感心されるだけの事が多いような気がします。

8.今までは流行に関係なく曲創りをしてきた事。
ですから、特に流行に敏感な若い人たちには私の音楽は全く理解されないだろう、と考えていたのです。
ところが昨年面白い事がありました。
18歳の男の子が私の7拍子の曲「Lucky 7」をFLASHゲームに使いたい、という連絡をくれたのです。
そして曲の紹介に「7拍子の曲ってすごい」などと書いてある訳です。
確かに考えてみれば、今の若い人たちにとっては7拍子の曲などは何処を探しても見当たらないと思います。
流行とは関係のない曲ではあっても、そういう事であるならば若い人たちにも敏感に伝わるのだな、と嬉しく思った次第です。



さて、大分長くなりましたのでこの辺にしておきますが、
私が若い頃に読んでいた宗教関係の本などには、「感謝の心を持ちなさい」とか「自分が生まれて来た意味(使命感)を理解しなさい」などと書かれていましたけれども、その頃には全く理解出来ませんでした。
しかし、それは考えてみれば当然の事であって、そのような話は若い人たちには要求すべきではないと考えています。

それは宗教などに対して拒否反応の方が強くなったり誤解を生むからです。
また理屈で理解して「分かったつもり」にさせる事は良くないと思うからです。
こういう事は、色々な人生経験によって、自然に「実感」で分かってこなければ全く意味がない事だからです。

そんな訳で、今日は個性と使命感のお話をしてみました。
お退屈様・・・

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4 コメント

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こんにちは! (ユウ)
2006-07-31 14:40:43
HPから来ました。

Q&Aからブルグに来たのですが、音楽について書いていらしたのを以前、何度か読まさせていただきました。(同じ方だったとは…)なんだか嬉しくなりました。



今回のエッセイも共感する部分が多かったです。
返信する
コメントをありがとうございます (arata-tokyo-jp)
2006-07-31 15:43:09
ユウさん、こんにちは。

コメントをありがとうございます。

2年前頃の私の初期のエッセイには、いくつかの力作があるのですが、最近は作品の質が落ちたせいなのか、反応があまりなかったので嬉しいです。



ユウさんは「goo ブログ」をお持ちなのですね。

私は以前は、このコメントのコーナーのお名前の部分が、リンクされている事を全く気が付かなかったものですから、今日初めて拝見しました。

「母と娘の珍道中」ですか?

何だか面白そうですね!

ではまた、お時間の空いた時には遊びに来て下さい。
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おひさしぶりです (tottimo)
2006-09-12 16:32:02
arataさんどうも。 

ログ読ませて頂きました。 

私も音楽をやっているのですが、通じる部分が 

多く、共感を覚えながら読みました。 

優しく、押し付けが全くない文は、良質の 

音楽を聴いている様な感じでした。 

 

私もまだまだですが、前向きに頑張りたいと思います。 

それから、昨日から私もgooでブログを始めました。 

まだ記事はこれからですが、ぜひお越しくださいませ・・・。 

 

では、失礼致します。
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天才少年かな? (arata-tokyo-jp)
2006-09-13 11:25:50
tottimo さん、コメントをありがとうございます。

確かCM音楽などもやっていらっしゃる方でしたよね。

今ブログを拝見しましたけど、秋には曲が沢山出来るのですか?

楽しみですね~!

それから、黒人の少年の話を読んでいて思い出しましたけど、

セルジオ・サルバトーレというジャズ・ピアニストをご存知ですか?

やはりCDデビュー(1993年)が10歳か11歳だったと思いますが、チック・コリアとデュオをやったりしているのです。

全く驚きましたよ。
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