arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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うぐいすは何と鳴く? 

2004年07月30日 11時33分13秒 | エッセイ
今日は個性的な表現と 感受性についてのお話です。
「うぐいすは 何と鳴く?」・・・と聞かれて、
「ホーホケキョーに決まっているじゃないか」・・・と答える人は、ただ日本人の古い習慣に従って、自分独自の感受性に対して無頓着な人ではないかと思います。
一般の人なら それでもかまわないのですが、物を創作している人にとっては ちょっと疑問を感じます。

数年前のある日、 「ホーホケキョーというのは、仏教の経典の法華経から来ているのではないか」と思い付きました。
そういえば小学校の授業で、「ブッポーソーと鳴く鳥がいる」と習った事がありましたが、これは仏のブツ、法典のホー、 僧侶のソウで、仏教の言葉から来ているわけです。
ブッポーソーという名前の鳥もいます。
ふくろうの鳴き声でも同じように、仏教の言葉から来ているものもあります。

これは日本の歴史のある時期に、仏教を広める為なのか ただの遊び心なのかは分かりませんが、鳥の鳴き声に仏教の言葉を当てはめるような事が流行したのかもしれません。
その中で一番上手くはまっているのが、うぐいすの「ホーホケキョー」なのではないでしょうか。



物を創作する時に、個性的な表現をする以前に 個性的な感受性が存在すると思います。
例えば室生犀星の小説の中に、「女はうどんのように笑った」という表現があるそうですが、その独特な表現以前に、室生犀星独自の感受性があるわけです。
ですから「自分独自の感受性を育てる」という事は、個性的な表現をする上で とても大切な事ではないかと思うわけです。



鳴き声の話に戻りますが、日本では犬は「ワンワン」、にわとりは「コケコッコー」、カラスは「カーカー」ですが、どこかの国では、犬は「バウワウ」、にわとりは「カッカ・ドゥードゥルドゥー」、カラスは「アーアー」だそうです。

ですから、うぐいすも 外国人には「ホーホケキョー」とは聞こえない筈です。
あなたの独自の感受性も、実際は「ホーホケキョー」とは受け取っていない筈なのです。



数年前の事ですが・・・
ある朝、何羽かのカラスが鳴いていましたので、良く聞いていると「カーカー」や「アーアー」と鳴くものもいれば、また違った鳴き方をしているものもいました。
その時突然、頭の上の方で大きな声で、「コラー」という声が聞こえたのです。
その声もカラスなのですが、私には何か 悪い事をして 怒られているのではないかと思ったほどビックリしました。
たぶん他の人には「クァー」とか「カー」に聞こえたのだと思いますが・・・
私には確かに「コラー」と 怒っているように聞こえたのです。

ところで、うぐいすの鳴き声は、私には「ヒイ・ヒ・ヒョー」と聞こえた事があります。
今聞けばまた違って聞こえると思いますが・・・。
あなたには何と聞こえるでしょうか?
一度じっくり聞いてみるのも良いかも知れません。



自分の感受性というものは とてもデリケートなもので、最初は自分でも気が付かないほど小さなもののようです。
日頃何となく自分の感受性で受け取っていると思っている事が、実は「日本人の古くからの習慣にすぎない」という事は、けっこうあるのではないでしょうか。

先入観を捨てて、自分に素直に正直になる事が、独自の感受性を育てる上で大切な事ではないかと思います。
そして、それが個性的な表現へと繋がっていくのではないかと思います。

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