私は子供の頃から、友だちとはほとんど喧嘩をした事がありませんでしたが、その事について特別に問題意識はありませんでした。
しかし、大人になった頃に考えてしまったのです。
自分は怒るべき時にも「怒れない人間」なのではないかなと・・・。
そうして自己反省した時に、やはり「そうだな」と認めざるおえないところがあるのに気が付きました。
その頃から「怒る(おこる)」という事には、「しかる」という意味と「いかる」という意味があって、これは分けて考えなければいけないと思うようになりました。
「しかる」というのは絶対に必要な事であって、相手の間違いを指摘し、反省を促さなければならない訳です。
これは一つのコミュニケーションです。
しかし「いかり」は自分だけでカッカと興奮している状態だけであり、相手は何を怒っているのかが分からない場合もあり、コミュニケーションにはなっていない訳です。
子供の頃にはこれを混同して、小さな事で「おこってはいけない」と考えて生活していましたが、それに気が付いてからは、「しかる」ことはしなければならないが、「いかってはならない」と考えるようになりました。
そうして見ると、世の中にもこれを混同している人達がたくさんいる事が分かって来ました。
しかし、大人になった頃に考えてしまったのです。
自分は怒るべき時にも「怒れない人間」なのではないかなと・・・。
そうして自己反省した時に、やはり「そうだな」と認めざるおえないところがあるのに気が付きました。
その頃から「怒る(おこる)」という事には、「しかる」という意味と「いかる」という意味があって、これは分けて考えなければいけないと思うようになりました。
「しかる」というのは絶対に必要な事であって、相手の間違いを指摘し、反省を促さなければならない訳です。
これは一つのコミュニケーションです。
しかし「いかり」は自分だけでカッカと興奮している状態だけであり、相手は何を怒っているのかが分からない場合もあり、コミュニケーションにはなっていない訳です。
子供の頃にはこれを混同して、小さな事で「おこってはいけない」と考えて生活していましたが、それに気が付いてからは、「しかる」ことはしなければならないが、「いかってはならない」と考えるようになりました。
そうして見ると、世の中にもこれを混同している人達がたくさんいる事が分かって来ました。
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