昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

靖國参拝の批判は何故おきるのか

2015-04-17 04:33:07 | 歴史・神秘
私はなぜ靖國に行くのか・・・・・それは単純、簡単な事だ。
今の先進国日本、国力が落ちたとは言え安全で安心して暮らせる有難い国家で、世界各国と比べても大変に恵まれた国だ。

作家の曽野綾子さんがこう言っている
「日本の庶民生活は、ほとんど世界最高水準にまで達している。私流の感傷的な言い方によると、日本は天国に近い国と言える。
水栓からそのまま安全に飲める水が各戸に配られ、断水がない。誰もが電気、都市ガス、またはボンベに詰めた天然ガスの供給を受けられる。テレビを見られないという人も例外だ。
誰もが、かりに金がなくても医療の恩恵を受けられ、学校にも安全に行ける。誰でもが移動の自由を持っている。今夜食べるものがない、という人はいない。警察や軍隊は、例外の少数者を除いて、正しい目的意識を持ち、その機能を最大限に発揮している。
そして日本人は、男女共に世界最高の長寿を記録している。これを天国と言わないで、何を天国と言うのか。」

この国はこうした状況に最初からあった訳ではない、特に直近の大東亜戦争ー敗戦を経て、その後の国を挙げての努力で成し遂げたものだ。
その戦争で多くの人たちが命を落とし、その大半は若者であった。この人達が靖國神社にお祀りされている。
その人達に感謝の気持ちを捧げ、御霊安らかにを願うのは日本国民として当然の事だと思うからだ。


この際問題になるのが靖國にA級戦犯(B級、C級も)が合祀されているということだ。
つまり戦犯をお参りすることになり戦争賛美につながるという訳の分からない理屈につながっているのだ。
この点では二つの視点から私は否定をしたい、そして、この視点が案外理解されていないというか、知られていないのだ。

まず日本に戦犯などいないのだ。
東京裁判でたしかに戦犯は生まれ幾人もの人がそれで命を奪われた。
しかし、勝者が敗者を一方的に裁くというこの裁判は後年批判にさらされているし、裁判途中でもインドのパール判事などがそれを訴えたが採り上げられる事はなかった。その事は置いておいて

まず日本国内では昭和28年第16回特別国会 全会一致で改正遺族援護法成立。東京裁判その他で戦犯となったものを通常の戦死者と同様に扱うことを社会党・共産党を含む全会一致で決定しています。
当時の国会は、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにした。「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正した。
これらの関係法を根拠に、国は元戦犯にも恩給を支払い、元戦犯の遺族にも年金を支払うなどを行ってきた。

勝手に戦犯をなくしたのか、そうではない。サンフランシスコ講和条約第11条第2項には、東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになっていた。
わが国はこの規定に基づき、国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。「A級戦犯」は昭和31年(1956)3月末までに、「B・C級戦犯」は昭和33年(1958)5月末までに、全員赦免・釈放を勝ち取った。
つまりこの段階で戦犯などいないと国会が全会一致で決定、いわば名誉回復措置をとったのです。これは日本国民も皆と言ってよいほど賛同したのです(戦争受刑者釈放を求めた署名運動がはじまり、国民運動として大きな広がりをみせ4千万人という署名を得た)。
こうした経緯を無視していまだに「戦犯合祀」と言っているのが、そもそも大間違いなのです。

しかし、戦争を引き起こし結果的に多くの国民の命を奪う結果になった責任者ではないか・・・・のご意見もあろう。
これについても終戦後に日本駐留の責任者であったマッカーサーがアメリカの議会で「この度の日本の戦争は大部分が自衛のためであった」と証言しているのが案外採り上げられていない。

昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答の一部です。
日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです
ついでに言うとマッカーサーは朝鮮戦争に介入せざるを得なくなり、この時初めて中国大陸に共産勢力が手を広げる危険性を認識した。
つまり、日本のこれまでの主張が正しかったことが初めて分かったとも言っている。

もう一つは日本の「死生観」に対するものです。
我々日本人の発想として、亡くなれば皆仏さんになり、生前の事は厳しく問わない心根・風習がある。
しかし中国や韓国では日本と違い、死んでからもその人の墓を暴くというのだ。
鞭屍(ビエン・スイー)と言う言葉が中国にはある、言葉通り死者(屍)に鞭打つのだが、そのためには墓を暴かねばならない、暴いた墓は跡形もなく破壊してしまうというのだ。
我々には考えにくいが敵対する人物の先祖の墓を暴き、死体をバラバラにしたり(韓国の愛国者の金玉均)、鞭で打ったりして辱める行為(中国の愛国者の汪兆銘)をしてきたのである。
このような風習が中国・韓国にはあり、かつて清朝最後の皇帝であった溥儀は、自分の先祖である清王朝の墓を中国人に暴かれた為に、日本と手を組み中国から離れて満州国を建国したのである。
墓を暴く、死者を冒涜する行為は日本では考えにくいが中国では今も行われている。文化大革命の時、祖先の墓を暴かれるのを恐れた小平の故郷四川の親族たちは、日夜その墓守をしたそうである。

宗教観に基づく死生観はみな異なる、例えば仏教とキリスト教を比べてみれば明白だ。
キリスト教はいまだに”土葬”である、これは復活(キリストは死後3日目に復活した)を信じその為には遺体を残しておく必要があるのだ。
仏教はどうか、宗派によって考え方の差はあるが霊魂の存在、輪廻転生が基本にある。だから肉体は仮の姿で重視しないから火葬をするのだ。
思わぬ方向にいってしまった、次回に続きます。
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