昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

「中国はピンハネの国」「最弱点の食糧問題を突くことだ」 加地伸行氏が講演  

2014-09-12 02:53:51 | 特亜三国
名古屋「正論」懇話会の第23回講演会が、名古屋市中村区の名鉄グランドホテルで開かれ、大阪大名誉教授の加地伸行氏が「中国とのこれから」と題して講演した。

 加地氏は、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の問題や軍事費増大などで中国の軍事的圧力が高まっていることについて「中国の『本質』を見極めないと対応を誤る」と指摘。「中国はピンハネの国。軍事費が増えても多くは将校の懐に入る。しかも陸軍の権益が圧倒的に強い」とし、うまみの少ない海軍が利権を求めた結果が東シナ海や南シナ海への進出の構図だと説明した。

 その上で、中国との間で有事が発生した場合の対処法について「中国の最弱点の食糧問題を突くことだ」とし、「例えば、日本の商社などが市場で穀物価格をつり上げれば中国は音を上げる。武力を使わずに勝利できる」と訴えた。


この懇話会自体は非常に前のことであるお詫びをまずいたします。非常に示唆に富んでいる事だと思い、敢えて掘り出して述べさせていただきます。
加地伸行氏は月刊誌WILLの最初のページに永く連載をしておられる、それは「朝四暮三」というコラムなのだが、まず中国の諺や五言(七言)絶句などを挙げ、それを世情に照らして解説してくれている。
頭の切れる人なんだろうな~といつも感心して読んでいるのだが、ここでの役職紹介は立命館大学フェローとなっている。
*ここ数年企業等組織体のトップの呼称が現役を退いた私には分かりにくい。このフェローもそうだし、やたらCEOなどが使われる。
会長~社長~専務の時代が私にはいいな~・・・・・

脇道にそれました・・・・・・
国と国との争いは太古からあり、恐らく今後もなくなることはないでしょう。
領土、資源、民族、宗教、歴史・・・・これらで今も紛争は絶えない。
しからば紛争は最後は武力の衝突か、行き着くところはそうであるかもしれない。仮に今、A国と日本が抜き差しならない状態にあるとしよう。武力で衝突するのは私とて賛成などしない、このA国が戦争などとんでもない国情になってしまえばよいのだ。

そのことを加地氏は教えてくれている。
日露戦争~ロシア革命に至る過程ではそうした事が実際にあったようだ。日露戦争を早く終えたかった日本がロシア革命を扇動していたのだ。
それは明石元二郎大佐という帝国陸軍の軍人で日露戦争中にヨーロッパで諜報活動を行っており、その際にロシア革命を支援した。
また当時ロシア領であったフィンランドの独立運動も支援していた。
当時の金額で100万円(現在の400億円以上)とも言われる巨額をを工作資金とした。

以下はコピペです。
当時のロシア国内にはツアー(帝政ロシア)の圧政への不満が充満していた。一握りの皇帝関係やそれを取り巻く貴族などエリート階級のみが優雅な暮らしをしていたが、その他大勢は重税に苦しんでいた。この不満のエネルギー(マグマ)が政府に向けられないように、外部に目をそらす目的があって、南下政策をとった。

ちょうど、昨今の北朝鮮や中国みたいに、国内の不満分子(政府批判)の注意を、外交政治へと目を向けさせる、国内の引き締め政略である。
この南下政策(国家戦略)に対抗せざるを得なかった日本の軍事力の比較は、10対1というハンディーキャップがあった。であるから、日本側も、満州の荒野にロシア軍の膨大な軍が溢れるほどに勢ぞろい集結する前に、此れを叩く打算があった(乾坤一擲の決意で)一方ロシア軍側も、国内の政情不安を抱え、全軍隊を総動員するわけにいかずに、国内(皇帝の守護の常備軍および、前線への予備軍)の措置を図っていた。それでも、陸軍の前線の兵数では、日本軍を遥かに凌駕してあったのです。

そこで日本軍としては、ロシア軍の後方霍乱の戦略をとった。
前線では、満州馬賊やロシアに反発する中国人を招聘し、此れを日本軍人や義勇軍(政治結社の玄洋社の一員)などが指揮しゲリラ活動でロシア軍を大いに悩まし混乱させた。
また、影のMVPといわれる、陸軍大佐赤石元二郎の敵地深く潜伏し、諜報活動があって、ロシア側に、一層の政情不安を掻き立て、ツアーお膝元の都(サンクトペテルブルグ)でも、前線の兵士にも、厭戦気分をもたらした・・この赤石の工作活動で、ストライキやデモは頻発し、社会運動は激しくなり、戦争どころではなくなった・・このときに赤石がその諜報活動(社会運動のリーダーらに渡した運動資金など)に使った資金は、当時何百万円という大金で、これが、後のロシア革命の付け火的な存在になって行ったのです。

このことは史実なのだが、ロシアの革命史には赤石の名前は削除されてるようで、ロシアの国自身として、外国人に扇動された革命の源などと記録として残すなど恥辱としたようです。
また日本国内でも、赤石の大変な功績は、乃木将軍や東郷元帥に匹敵するのだが、時の明治政府は、赤石の諜報活動は、共産主義革命に加担した形になり、イコール天皇制を否定するに等しく、国内ではあえて彼の功績を、高く評価しなかったのです(当時ロシア共産主義革命に至る社会運動に、日本政府は非常に警戒、ナーバスになっていたから)。

逆に、海外での赤石元二郎の評価は抜群に高く、陸軍の何十万の兵力に匹敵するとか、バルチック艦隊を撃破した連合艦隊に匹敵すると賞賛されたものでした。
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