阿羅漢果までの道のり

悟りの階梯 阿羅漢果までの道のりで感じた事、
この世界の真理について時間の許す限り記事を書いていこうと思います。

預流果に到達するために重要な事。

2013-07-04 22:55:57 | 悟りの階梯
預流果に到達するために重要な事を話す前に、

預流果について書いておきます。
悟りの階梯からの転載なので、そちらを読んでもらった方が良いと思います。

預流果に到達して消える煩悩は3つ(以下転載)。

>> 一つ目は、「有身見」と呼ばれる煩悩。
これは欲でも怒りでもなく無知に分類される、誤った見解・邪見です。「私の身体」「私という心身集合体」など、どう呼んでもいいのですが、とにかく何か「私」というものがいると錯覚している煩悩が、まず根こそぎ消えます。瞑想したり集中して仏法の話を聞いたりしている最中に、一瞬でも「私」がいない、何もない瞬間を「体験」して、「ああ、『私』がいるわけではないのだ」と納得した智慧が生まれ、有身見が消えるのです。

>> 「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だけでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分かるのではなく、本当に消えるのです。

正直、預流果の体感では、どちらかというと、“無我”というより“非我”
だと思います。
自分という存在が薄まる感じ。
“非我”という言葉を知らなければ、“無我”と表現してしまう感じです。
それほど、微妙な違いです。
“私以外の存在が私の中にいる”という感じでしょうかね。

>> 二つ目と三つ目は、一つ目の有身見が消えれば、自然に消える煩悩です。
この二つも無知に基づく邪見です。「疑」と「戒禁取」です。

>> 「疑」とは、「何が真実か分からないままぐずぐずウジウジしていること」です。預流果に悟ると、このウジウジ状態や真偽を見誤ることがなくなります。

>>三つ目の消える煩悩は、戒禁取。
しきたりや苦行などにこだわることです。このこだわりも、預流果に悟ると消えます。

>> 女人禁制の山や寺、火渡り、滝に打たれる行など、大変な意味や宗教的意義があるかのような奇習や奇行が、世の中にはたくさんあります。どれも伝統文化ですから、それを守る人々をないがしろにするのはよくありません。せっかく人が歩いている炭火に「無意味だ」と言っていきなり水を掛けたりするのは失礼です。でも、そこに文化以上の、何かの真実があるわけではないと分かっていますから、ありがたがる気持ちはなくなるのです。


――転載はここまで――


前回の記事で預流果はちらほら見かけるって言いましたが、

私の判断基準は、三つ目の消える煩悩、戒禁取、が消えている事、
(一番、目につきやすいから。)
真理の偽物の流布を行っている輩に対して、遺憾の意、あるいは怒りを
抱いているという点です。


預流果に到達した特典を以下に書きます(これも転載です)。


>> 預流果に達した人は、真理を一瞬だけでも「体験」していますから、それだけでも心はガラッと変わっています。心が変わってしまいましたので、心が決めるその後の進路も、悟りの方向に大きく転換しています。
いつか必ず、と言われても、いつまで頑張れば済むのか分からないと結構心配ですので、釈尊は、「八回目にはもう生まれ変わりません。七回生まれ変わる間には完全に悟れます」と限定しておられます。これも釈尊が決めたことではなく、天眼通で他者の生まれ変わりをたくさん観察して、事実として確認されたことです。経典には、預流果に悟ってから今生ですぐに阿羅漢果にまで達した根性のある人のことも多く記されていますが、この一生涯で決められなくても、死んでまた生まれ変わって七回輪廻する間には、必ず悟れるのです。

>>それでも、地獄や餓鬼(幽霊)に生まれ変わるのは、誰でも嫌です。お釈迦様は念のため、「預流果の人は天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」ともおっしゃっています。輪廻自体は苦しいですが、その中でも善趣と呼ばれる、悟りを目指せる好い境涯にだけ生まれ変わるのです。

>>善趣にだけ輪廻するのですから、預流果の人は当然、それをすれば必ず地獄に堕ちる六種類の悪業だけはできなくなっています。母殺し、父殺し、阿羅漢殺し、仏陀の身体を傷つけること、仏教の家族・サンガを仲違いさせること、仏陀の教えを貶したりその偽物を流布させること。この六つの悪業だけは、預流者は拒否反応を起こして、できないのです。

――転載ここまで――

“仏教の家族、サンガを仲違いさせること”、“仏陀の教えを貶したりその偽物を流布させること”が、それをすれば必ず地獄に堕ちる悪業となっています。

それを平然とやっている輩がネットの中にはよく散見されます。
“激しい怒り”という煩悩が消えていない預流果の人には、
その行為を行っている人に対する
不信感や怒りを感じるのではないか、って思います。



さてと、本題に入っていきます。

過去の記事でも、瞑想だけで悟りの境地に至るのは無理だと言いましたが、
入口の預流果で消える煩悩が、無知の煩悩だからです。

もちろん、瞑想で“無我(非我)”を経験しなければいけないと思いますが、
それだけでなく、真理も理解しなければ、“有身見”は消えません。

ここでいう真理とは

“諸行無常”と“諸法無我”、この二つです。

この2つの真理を理解出来れば、一来果もすぐです。
一来果の所で書きますが、上記の2つの真理をより深いレベルで
理解してるのが一来果だと思います。
申し訳ないですが、この辺は言葉にしにくいです。

四法印で知られていますが、

諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静。

この言葉の並び通りなんです。

 諸行無常 → 諸法無我 → 一切皆苦 → 涅槃寂静 

こんな感じです。

私は表現力が豊かな方ではないので、
頑張って、理解して下さい。応援してます、としか申し上げられません。
(正直、参考になるサイトは探せばけっこう出てくると思います。)

ゆる~く書きますと、

この世に不変なものってないよね。 
→ 不変なものがないってつまるところ私もないよね。
→ 私がないんだったら、なんで今苦しいんだろう?もしかして幻想?
  苦しみがなくなった。やっぱり幻想だったんだ。
→ ああ、こんなに楽なんだ、居心地がいいな、

こんな感じでしょうか。
(幻想という言葉を使いましたが、もう少し的確な言葉があれば教えて下さい。)


結論として
預流果に到達するのに重要なのは

“諸行無常”と“諸法無我”、この2つの真理の理解です。



記事とは直接関係ありませんが

現在、日月神示の情報を探しています。
参考になる本、サイトなどがありましたら教えて下さい。
お願いします。

次回の記事は、一来果のお話です。
ついでに、悟りの階梯(以前紹介したサイト)の一来果に関する訂正、
を記事にしようと思います。


11 コメント

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おじゃまします (ATDX)
2015-04-18 10:10:35
はじめまして

預流向~一来果に関心を持っているものです。
関心を持ったのは実際は12年も前のことです。某大手掲示板でも初心者にも関わらず悟りをテーマにして書き込みも行っておりました。
管理人様は比較的簡潔な表現で各段階のポイントを整理されていると思います。
また表現には無くともしかしその間にはかなり大変なご苦労があったこととお察しいたします。

さて、管理人様は預流果と一来果の間には大きな壁がと仰せでしたね。
その壁の正体についてお言葉を頂きたいと思います。
仏陀の言葉を借りればその間には最大で7回の転生があるとのこと。その間はいろいろな落とし穴も一杯存在しているだろうと思います。
しかしながら預流果とは流れに入るものであり、速やかに彼岸に到達することが望まれることでしょう。
そこでは過去における残置カルマの消化も加速されるのではないかと思います。
預流果の初心者と思しき方をたまたま見かけることがあります。人柄も良く、能力もあっててきぱきどんどん仕事を進められます。しかしながらどんなにかすばらしい良い方であるのに非常に冷遇され、時にはその自身の実績すら否定される理不尽を垣間観て気の毒にさえ思います。

彼は否定され尚、自分を否定するものが何者かはまだわからない。それが自分自身であってそのこと自体が実は大いなる慈悲であったと気づくその瞬間がやってくる。そんな気もします。

管理人様が一来果に到達された時、極自然な感謝の気持ちが続くと仰せでした。それは全ての望まない経験も何もかもがそれぞれが大切なステップであったと気づいて居られたんのでしょうか。
管理人様に現世でどんあ悪事を働くものにさえあなた様の中でその悪人がなぜそういうことを働いたのか、相手の立場でつぶさに見て取られるのでもはやそのことに対するも諸々の怒り、疑心、関心は消失するのではないだろうかとお察しいたします。この件でお言葉をいただければ嬉しく思います。

尚、この質問が貴ブログの趣旨に反するものであると判断された場合は即座の削除でお願いいたします。
また、ご回答いただけるのであればそれは幸いですが、時期はいつでも結構です。
貴方様にとってこうした若輩ものへのメッセージが何かの障害になることは私も決して望みません。
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預流果 (H)
2015-11-22 02:38:49
Hと申します。 2008年3月頃、預流果になりました。

悟りの4段階では、預流果になる事が一番重要です。凡夫の方は、預流果になる事だけに集中して、精進して下さい。他の段階の事を妄想すると修行が進まなくなります。

①預流果の性格を明確に理解して下さい。いつも預流果の性格にあこがれて、真似をすることが大切です。
②四聖諦を学ぶ事です。特に、ドッカ(苦と不満とむなしさ)の仕組みについて、心の底から理解する事です。
これらは、不可欠です。

私の場合は、「わたしたち不満族」という本を読み終わったら、預流果になっていました。私には不還果になるよりも、預流果になった時の方が強烈な心の変化でした。

集中力の育ってない方は、座禅(ウィパサナー)と、慈悲の冥想を両方ともやることをお勧めします。

悟りが近づくと、不安感があったり、落ち着かなかったりする場合があります。その時は、もう少し精進して下さい。チャンスかもしれませんから。
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預流果になりました~ (修行者)
2020-07-18 19:46:25
とか、聴くと嫉妬していましたが、確かにここに書き込む人のテンションで聴くと、「ああ、そうか、預流果になったんだ、この人は。」と聴こえます。ということは自分の思っていた方向と全く別次元の方向に涅槃があるのかな、と考えを改め始めました。
というのも、極めて長期に渡り、行じてきて、未だ、全然、というより、もはやもう駄目なんだろうな...、という自分と、「根本的に違うこと」は、都合が良いからかもしれません。
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あの~ (修行者)
2020-07-23 01:05:56
ええと、何故、わからないように書くのか?がわかりません(笑)。
もう死亡しておられるから、やりとりができないのが残念ですが、このブログ自体、仏教初級者にあきらかな説明不足ですが、
書けることは、はっきり正しく書いておけよ~、とはいいたくなりますね。とくに死亡された後のことも考えて。
つまり、預流に至るまでは大便のような名の男のブログ、とか書くなよ、ということ。
そうゆうわけで「無駄な時間」を他人や読者から奪った、この方のかわりに私が調べておきました。
預流に至るまでの参考サイト大便ブログはここです。
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/c/42924184528f92d4d770506781073366
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他のサイトとの比較ですと (修行者)
2020-07-23 01:21:30
このブログは「最もわかりにくく」書かれた仏教悟りサイトです。又、(最悪蛇足といわれている)アビダルマベースの仏教解説の「悟りの4階」の本も、ある人に言わせれば、「キチガイが書いた本」とまで言われています。で、他の悟りサイトと比較して、同じアビダルマ仏教で論じているでも、このサイトが1等です。わかりにくさ、において。
で、ただ、「α音楽CDかけて寝ながら瞑想に入る法でOK」は画期的と賞賛したいと思います。
しかし、これは予想ですが、その方法で「誰でも」預流果へいけるとは限らないとは思います。
論蔵アビダルマ仏教は、もともと三蔵経典の経蔵と律蔵の補助解説から作られた蛇足なので、
このアビダルマ的解脱への道しるべ解説は、
個人的には「キライ」です(笑)。
ただ、このブログ筆者は解脱しているような「気がします」(笑)。しかし仏教の初級者はこのブログはあまり役に立たないとおもいますので、
上座部仏教サイトhttps://j-theravada.net/world/study/pali-sutta3-1/と大便ブログhttps://blog.goo.ne.jp/namagusabose/c/42924184528f92d4d770506781073366
で、研究してみると良いと思います。この仙人様の特殊瞑想法「α波音楽瞑想」、と。
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残念だが (修行者)
2020-07-23 21:20:59
この人のめんどくさい隠語で書いたpageやら、回ったり、一時完全に信じていたこのブログ主のハチャメチャを知ってしまった。ということはこの方は、
預流果と呼ぶのも汚らしい。解脱者であるなどとはおこがましいにも程がある。
ちゃんと説明できんのに、ブログなんかで、仏教解説などすんな。ブッダが汚れるわ。
死んでいて良かったね、君が死んでいなかったなら、私は君をただでは済まさないとこだったよ。

死人にこれ以上言えないが、
まあいいわ、さいなら~。
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お前が仰いだ大便君は (修行者)
2020-07-23 22:58:27
およそお前とかけ離れた詐欺しだぞ。
なんで詐欺師のサイトに「信」をいて修行し、預流までいけるんか?あ?
お前も狂っているのかな。
お前みたいな奴は仏典にものってねーぞ。
やっぱお前もキチガイ&詐欺師か
麻原にでもなりたかったのか?

http://play.linemp3.com/20200723224615
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お前の説法は (修行者)
2020-07-23 23:01:15
まるで見当違いであさっての方向向いてんだよ。
なにがスピ本数冊でさとれるか。
じゃあなんでアーナンダはああなったんだ?

何がだれでもできます、だ。バカが。
責任とれるんかその言葉に。
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Unknown (Unknown)
2020-08-01 10:09:52
“仏教の家族、サンガを仲違いさせること”、“仏陀の教えを貶したりその偽物を流布させること”が、それをすれば必ず地獄に堕ちる悪業となっています。

それを平然とやっている輩がネットの中にはよく散見されます。


         お前のことだ。愚か者よ。
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Unknown (死人に言ってもどうにもならんが)
2020-08-01 11:25:33
α音楽を聴くだけで預流果~阿羅漢への道へ、だと?

そんなことが事実なら、現在大量に解脱者がでているはずだ。
しかし、現実を見よ。
適当なこと騙ってんじゃねぇ。
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