阿羅漢果までの道のり

悟りの階梯 阿羅漢果までの道のりで感じた事、
この世界の真理について時間の許す限り記事を書いていこうと思います。

一来果に到達するのに重要な事。

2013-07-05 18:51:42 | 悟りの階梯
今回も一来果についての話から書いていきます。

一来果は煩悩が弱まるだけ(こっから転載)。

>>預流果に達してからは、説法を聴くだけではもう進みません。瞑想修行もして、もう一瞬だけ、「私がいない、何もない」瞬間を「体験」すると、第二段階の一来果に達します。

ここからは、“瞑想”と日常生活が重要になってくると思います。
日常生活を通して、不自由を経験しつつ、
より深いレベルで“諸行無常”と“諸法無我”を理解していく事になると思います。


>>一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。


>> 一来果の次の不還果がまたちょっと劇的に段階が上がりますので、この一見中途半端な一来果は、学界では「阿羅漢果が当然第一に確定し、それから預流果と不還果、それからだいぶ後に一来果が加わって、悟りが四段階に揃えられたのだろう」と、四沙門果「説」が時代を経て徐々に発展したその最後に付け足しのように成立したものと見られています。


ここの文章は間違いに思います。


一来果を体験した事のある人間がこんな文章を書く訳がないと思います。

 預流果 → 一来果 → 不還果 → 阿羅漢果

一段階、上がる際に、分厚い壁があります。

預流果と一来果には大きな差があるように感じます。

“四沙門果「説」が時代を経て徐々に発展したその最後に付け足しのように成立したものと見られています。”
一来果を体験したのなら
決して、“最後の付け足しのように成立したもの”とは言えないと思います。


>>「私がいる」という最大の邪見が消えて預流果に達してから第三の不還果に達するまでのこの一来果は、煩悩が完全に消えたわけでもない、禅定に入って梵天の世界に遊べるわけでもない、ただひたすら仏道を学び瞑想修行に明け暮れ、それでも心が成長した気配は、もう一瞬の「無我」の「体験」以外およそ感じられない地味な段階です。でも、自分でも気付き難くても「以前のように激しくしつこく欲しがらなくなった、激しくしつこく怒らなくなった、以前よりはものごとを明晰に処理できるようになった」など、心のレベルは進んでいます。


言葉にすると、一来果もあんまりすごくないんじゃないか?
って思うかもしれません。
言葉にすると大した事じゃないと思うかもしれませんが
体感してみて下さい。
一来果まで来たら、人生における苦しみはかなり薄らいでいると思います。

それと、一来果に達した後の生活と“八正道”を比較してみて下さい。
自然と“八正道”に書いてある“在り方”になっていると思います。

私が一来果で経験した変化は

自然と、日常の全てに感謝している“状態”になった事です。
微妙な意味合いがわかりますか?
感謝“する”じゃなくて、常にしている“状態”なんです。


欲や怒りが薄らいだ事によって、
感謝している“状態”になり、幸せを感じる“状態”になりました。

この変化って小さく思えるかもしれませんが
大きな変化だと思うんです。


それまでの自分を振り返ると
感謝する事は大事、心がけているけど中々できない。
ある日常の一点や心がけている時は出来るけど、
そうじゃない時は忘れてしまう感覚、と言えば、いいですかね。

それをごく自然と出来る状態、
また、平凡な日常や、当たり前に出来る事に“幸せ”を感じる事が
出来るようになるのは大きな変化なんだと私には思います。


>>その進みの度合いも、千五百もある煩悩のどれが特に弱まるかも、おそらく人によってそれぞれ微妙に違うのでしょう。それを全部まとめて一言で表現すると、釈尊がおっしゃったように「三結が消えた、プラス、欲、怒り、無知が弱まった段階」になるのです。


>>一来果に達すると、輪廻が後たった一回だけで済むようになります。完全に悟ったわけではありませんし、禅定に入って梵天界に遊ぶこともまだできません。完全な悟りのために、もう一回だけ再挑戦しないといけません。もう一回だけこの世界に戻るから、「一来」と呼ばれるのです。


――転載ここまで――


預流果に到達した人が、日常生活を送りながら、
瞑想状態の機会を作っていれば、自然と到達できるようになると思います。

ただ、この段階でも
油断、慢心、驕りがあれば、すぐに堕ちる気がします。


それだけ“自我”の支配時間が長いと言えばいいのでしょうか。
それと、この段階でも、
まだ、“無我”というよりもどちらかと言えば“非我”です。
あと少しで、溶け合わさりそうな段階、かと思います。
(あくまで私の感覚ですので、こうじゃないかって思ったらコメントして下さい)


次回は、不還果についてお話します。
悟りの階梯の記事は阿羅漢向まで、書く予定です。
それ以降は、自分の今後について触れた後、
(そこで、阿羅漢果について少し触れます、すごく抽象的に終わると思います。  阿羅漢果じゃない者が、阿羅漢果について語るのは不適切だと思うので。
 話の構成上、触れないといけないというか… 数日後にはわかります。)


基本的に記事の更新はしないと思います。
ブログにお邪魔することはある、と思います。
(私の事が嫌なら、来るな、と言って頂ければ行きませんので)


1 コメント

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もう一つの疑惑。 (修行者)
2020-07-23 22:17:45
お前、老い先みじかかったなら「病名くらい言ったらいけなかったのか」。
お前は全てを抽象で誤魔化す。おまえのような解脱者は存在しない。
まあ抽象でかいとけばいくらでも逃げれるからな。

本当にお前が嫌になった。


   さらば精神に異常をきたしている君よ。
   脳にまで転移していて狂った、のセンもありだ。

アルファー音楽で1~4禅定&無所有処、非想非非までいったんかのお。
じゃあ説明してみろ非想非非想を。
まあお前の頭じゃ説明できんか....(´η°)・・うぷぷぷぷぷ
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