阿羅漢果までの道のり

悟りの階梯 阿羅漢果までの道のりで感じた事、
この世界の真理について時間の許す限り記事を書いていこうと思います。

預流向を迎えた後の効率の良い悟りの階梯の上り方

2013-07-03 17:35:56 | 悟りの階梯
初めの記事で預流向を迎えたきっかけを書きました。


この時、ある日、何かに導かれるように
“悟り”というものを調べ始めていました。

説明できません、じゃ、このブログをやってる意味がないので、
なぜ、そのような行動を取ったかと思われる原因を書いていきます。

病気(異常)が発覚してから、ありふれた病気じゃなかったので
あらゆる原因を疑ってました。

もちろん、それにはストレスも含まれました。
当時、非常に寝付きが悪かったので(これもあとでわかりましたが、病気が原因)、
自律訓練法を試しました。
結果、良く眠れるようになりました。
たぶん、これが預流向を迎える事が出来た理由じゃないかと思います。

自律訓練法は瞑想に良く似ています。

世間では“瞑想法”で“瞑想”が有名になっていますが

そもそも“瞑想”とは“状態”を指す言葉です。

“瞑想状態”とは“リラックス状態”とイコールです。

つまり、“リラックス状態”を作り出す“やり方”を

人は“瞑想法”と呼んでいるに過ぎないのです。

私から言わせると、これで商売をする人も、
その商売に乗っかる人も理解が出来ません。

人によって嗜好が違うのに、誰かがやった“やり方”に固執して
“リラックス状態”になろうとしてる訳なんですから。

預流果で消える煩悩の“戒禁取”に囚われている証拠です。


上記の事からもわかるように、人の数だけ、

“瞑想法”は派生すると思っています。

この記事をお読みになっている方に忠告するなら

あなた独自のやり方を見つけて下さい。

あなたが一番リラックスできると思える姿勢、場所、など。

“自分がリラックスできる状態”を他人任せにすること自体、

私は間違っていると思います。
だって、あなたの事を一番わかっているのはあなたなんですから。

ただ、自分のやり方に他人のやり方を参考にするのは良いと思います。
だからと言ってそれにお金を払うのは馬鹿げているように感じますが…



前置きが長くなりましたね、
そもそもこのブログ来る人はたぶん、預流向を迎えてますよね。

じゃないと辿り着かないですよね。

本題の預流向を迎えた後の効率の良い悟りの階梯の上り方について
話していきます。

そもそも、なぜ、効率の良さを考えたか、ですが

“死”というものがすぐそばにあったからです。
自分には時間があまり残されていないのではないか?と考えたからです。

“悟りの階梯”を進めるに当たって、
“悟りの階梯”を進める以外の事をやるのは無駄でしかありません。

効率の良さを求めるのは至極当然かと思います。


効率の良さを求める、と言っても、楽をする訳じゃありません。

世の中に伝わっているお釈迦様の教え(仏教)は
人が介在する事によって生まれた偽りが混ざってます。

その偽りを省く、っていうのが効率の良さを追求する事に他なりません。

具体的にどうするかっていうお話です。
(ここから先は、私がやってるやり方ですが、
 これじゃなきゃいけない訳じゃないです。あくまで一例です。
 合わないならご自分に合うやり方を見つけて下さい。)


まず、“悟りの階梯”に関する知識を学ぶ。

このサイトをよく読んで、全体像を把握して下さい。

ただ、最初の頃はよく分からないと思います。
私も自分が体験するまではよくわかりませんでした。

体験すれば良くわかるんですがね。

それと“八正道”をよく読んで下さい。

“八正道”に関しては
北海道出身の大便のような名前の男のブログが良いと思います。
(たぶん、有名なのでわかりますよね?)
この方に対して、批判的な方もいると思います。
ただ、私の知る限り、八正道を
一番わかりやすく書いているのはこの人だと思います。

読んで欲しいのはこの方のブログの宗教関連カテゴリの
“八正道”に関してです。
ただ、注意して欲しいのは
“正命”の記事は間違いです。
あれは“正しい仕事”と解釈する前に
“正しい生活”と解釈する必要があります。

現代では生活に伴って仕事があるからといって、
そこをすっぽ抜かすのは間違いです。


この方の記事を読むかどうかはあなたが決めて下さい。
一つ言えるのは、昔は良い記事を書いていた、と思います。


それと“八正道”は“やり方”ではなく“在り方”のお話です。

“しよう”とするのでなく、“あろう”として下さい。
でなければ、道を踏み外すと思います。

こういうようなものは、文章化する事で弊害が生まれています。

文章化する事で“守るべきもの”という概念に縛られるからです。

“八正道”というものは“守らないと気持ちが悪いもの”です。


ちょっと長くなってきましたが、次で最後です。


最後に、一番重要な事を書きます。

“悟りの階梯”を上るにあたって一番有用だと思うやり方です。

それはΘ波の音楽?音?を聴くという事です。

Θ波はyoutubeで聴けます。
私はCDを買いました(アマゾンで購入)が、無理に買う必要もないです。

なぜ、ここに来て、Θ波なのかというと、
そもそもΘ波って瞑想状態の脳波らしいです。

私が思ったのは、瞑想状態の脳波を浴び続けたら、
瞑想初心者でもすぐに、瞑想できるのでは?
っていう安易な疑問からでした。

それは間違いじゃなかったと思います。

具体的にどうしてるかっていうと
布団の上に仰向けで寝て、CDをかけながら、
(腹式)呼吸を意識して寝るだけです。

最初の頃は、ぐっすり眠れるようになるだけです。
ただ、ある程度、数をこなすと、“瞑想状態”を体験できるようになります。

“瞑想”が出来るようになったら、
そのまま寝ずに“瞑想”をやればいいだけです。


ここまでをまとめると、

“悟りの階梯”を学んで、目的地までの概要を知る。

“八正道”を学んで、“在り方”を知り、正しく在る。

最後に、自分の“瞑想法”で“瞑想”する。

“悟り”は“瞑想”だけでは到達出来ません。

世界の真理を理解しなければ、絶対に到達出来ません。

次の記事は、預流果を迎えるためのキーポイントを書こうかと思います。

ご愛読ありがとうございました。


9 コメント

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Unknown (仙人老師)
2013-07-03 17:45:01
悟りの階梯のサイトを記事内で
貼ったのですが、記事を読む時に
貼られていないので、
ここで貼ろうと思います。

http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
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では早速ですが質問させて頂きます! (あるる)
2013-07-04 00:13:54
仙人老師さん はじめまして。
=精神世界 最後の戯言=というブログでのご紹介でこちらのブログを知りました。
八正道の説明 ご紹介して頂いた方のブログでとてもよく理解することができました。

ありがとうございます!

前回載せられていた記事の内容のことになりますが、*悪魔の誘惑*の存在、私もひしひしと感じています。
個人的な話で恐縮ですが、私の場合は恋愛です。
しかし、アジャシャンティさんの著書「あなたの世界の終り」という本に随分助けられました。その件では特に第7章です。
そこでは、著者本人の体験とその時の苦しみがリアルに書かれており、深い共感と共に、(こうやって悟りを得た人でも悪魔の誘惑に出会い、乗り越えるべきところはちゃんと直面して乗り越えたんだ!)と勇気ももらえ、まためげてしまそうな時は何十回と読み返しています。(特にP127~130にかけて。。。)
少しずつ弱まってはいるものの、今でも断ち切れてず、日々、悪魔の誘惑と戦っています。

その他は特になにを求めるでもなく淡々としており、日が立つにつれ、いろんな欲がどんどんフシギなくらい、自然に消褪していっている感じです。したいこと、行きたいこともなく時間さえあれば只管打座の状態です。

ところでご質問なのですが。。。仙人老師さんはただ生命がある、純粋な喜び、のようなものはありますか。(時々でも。。。)
私は今は別に鬱とか無気力ではないのですが欲が消えていくにつれ心がぽか~んとしている状態がここ6か月ほど続いています。
恋愛のことも含め半ばあきらめの境地もあります。
こればかりはどうしようもないことだとは思っていて、変わらなければ、とか自分をコントロールするつもりはなく、 欲ほどではないですが、どちらかといえばそういうものがあった方は覇気があっていいな~と単純に思うときがあります。
またよろしければ教えて頂ければ嬉しいです。

それでは 今回はこの辺にて失礼します。

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あるるさんへ (仙人老師)
2013-07-04 01:33:47
コメントありがとうございます。

>>仙人老師さんはただ生命がある、純粋な喜び、のようなものはありますか。(時々でも。。。)

質問にお答えします。

今の私にはないです。
ただ、少し前の私にはありました。
あるるさんが仰る“ただ生命がある、純粋な喜び”を
感じていた時期はありました。

ただ、それも“無常”であると、
その感覚すらも“終わりがある”と感じてしまうのが
今の私です。
悪魔の誘惑と戦っている時以外、
平穏な状態、安穏な状態があるだけです。

>>自分をコントロールするつもりはなく、 欲ほどではないですが、どちらかといえばそういうものがあった方は覇気があっていいな~と単純に思うときがあります。

この感覚は申し訳ないですが、
私にはよくわかりません。
悟りの階梯が進んでる状態は(不還果、阿羅漢向辺り)
波一つない水面をイメージしてもらえば、
わかりやすいと思います。
一瞬何かを感じたとしても、
その“ざわつき”はすぐに消える状態です。

あるるさん、コメントありがとうございます。
質問に答えれているかわかりませんが、
また、コメントして下さい。
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Unknown (あるる)
2013-07-05 00:06:26
仙人老師さん、こんばんは。
ご返答ありがとうございます。
悟りの段階を踏んでいく過程の中で起こるいろいろな感覚に対して、仙人老師さんは
 =ただ、それも“無常”であると、その感覚すらも“終わりがある”と感じてしまう=のですね。
それくらいクールでないと、段階を踏んでいけないですものね。

私も、生命を直接感じられる喜び、静かな躍動感は以前あったことがありましたが今はなく、心持は穏やかな老人のようです。

覇気が出てこないかなーと時々思うのは、仕事上(接客業ではないですが、人と接する仕事です)その方が場が明るくなってお役にたてそうな気がするからです。(これもただのイメージだとわかってはいるのですが・・・)
人と接していないときはそんなことは全く思わないんですけどね。

仙人老師さんは 今は波一つない、ざわつきもすぐに消える状態。。。なのですね。

いろいろ教えて下さってありがとうございます。
またコメントさせて頂きます。









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あるるさんへ (仙人老師)
2013-07-05 00:34:48
>>覇気が出てこないかなーと時々思うのは、仕事上(接客業ではないですが、人と接する仕事です)その方が場が明るくなってお役にたてそうな気がするからです。(これもただのイメージだとわかってはいるのですが・・・)

これは“八正道”のように振る舞えば良いと思います。
あるるさんが正しいと思う、仕事をする時の在り方で仕事をすればいいだけだと思います。
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Unknown (Unknown)
2013-07-05 23:21:57
仙人老師さん、連日こんばんは。

仕事の在り方については*八正道*の様に振る舞う。。。実に納得がいきます。

これからより、改めて瞬時意識して仕事に臨みたいと思います!


アドバイス ありがとうございます。
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Unknown (あるる)
2013-07-05 23:23:30
すみません 前回のコメント入力時、名前入力飛ばしてしまいました。
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ヴィパッサナー瞑想法 (修行者)
2020-07-19 02:22:44
ヴィパッサナー瞑想法の本を読むとき、いつも探しているのは、この作者は解脱しているか否か、なんですが、私の読んだそれ本の中で、自称でも解脱者は0でした。しかも何十年も行じていてヴィパッサナー瞑想法は確かにプロ、でも解脱はしていない、「いやいや、いいからそんな本読みたくね~」とこうなるわけです。ヴィパッサナー/上座部とくれば、期待するでしょ?でも「解脱したんじゃないかなと思ったことは何度もありました」とか、断定で「実際解脱していません」書いちゃってるんですね。そこで、何だ、イラネ、となるわけです。まあ嘘こかれるよりはマシだけど、本買う気にはならんですねえ。やり方って、入門書買うほどのもんじゃないし。
なんでかねえ。ゴエンカさんも「ゴメン、実は悟ってませんでした宣言」だしたり、嘘こかれるよりはマシだけど、本買う気にはならんですねえ。
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仙人老子は5年前に死亡してる (修行者)
2020-07-19 02:30:18
と思う。
死者「仙人老子」に「仙人老子よ、我に、道を開きたまえ」って10万回唱えても、その効果は0ですってブッダは説いているし、はあ~。
「仙人老子よ、我に、道を開きたまえ」って10万回唱えて効果アリの場合、理屈では創価学会の「南無妙法蓮...」を10万回唱えれば御利益がある、と言っていることと同じ理屈になるらしい。
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