とりあえず、自分がこれから歩みそうな道は大きく分けて2つです。
1つ目は、“死ぬ”ことです。
推論ですが、“この世”と“あの世”の大きな違いは
時間の感覚だと思ってます(自分には確かめる術が今はないですが)。
ここで死ぬと、効率が悪いなって思いますが、
自分ではどうすることもできませんからね。
2つ目は“生きろ”って言われた時ですね。
(生死は強引な手段を使わない限り、コントロール出来るものじゃない、
と思ってるので、こういう表現をしました。)
不食なり、ものすごい少食で元気に生きていけないと
生きていくのは厳しいですから。
私からすると、それは“奇跡”に感じます。
(不食を実践できている人は阿羅漢果の精神レベルに到達してる気がします。)
この“生きろ”と言われた場合、重要になってくるのは
何を生業にして、仕事を通して、この世に貢献していくか?、です。
お金のために仕事をするのは私には不可能です。
私は山(一応火山)のある県に住んでいるのですが、
そこに移住して、仕事をしようかと思ってます。
(今も同じ県内の田舎にすんでますが、
さらに田舎なので、秘境のように感じます。)
具体的に何をするかは、まだ、決めてません(見当はつけていますが)。
体が元気じゃないと何もできませんからね。
移住するために準備がいるのかどうかまで、きちんと考えてやるつもりです。
それと、精神世界関連で商売する気はありません。
(だって在り方に反するから。)
前から言っているように、記事更新は今日で終わりです。
(コメント返しはすると思いますが)
これ以上書けないんです。
書けば書くほど、蛇足になるので。
今の私に悟りの階梯に関して書けるのはここまで、って事です。
もし、記事更新する時は阿羅漢果に到達した時だと思います。
これも以前に書きましたが、生かされている間は
日月神示に専心しようと思ってます。
それに関してのブログはここ以外でやってくと思います。
間違いなく言えるのは日月神示に出会えたのは
悟りの階梯を上ったからだと思います。
凡夫のままでは、日月神示に出会えなかったでしょう。
人を介在する事の弊害は大きなものがあります。
それは宗教も同じです。
誰かが言っているから、こういう文献が残っているから
だから、正しい、って事はありません。
いろんなことを参考にしながら、
真理を自分で探し当てるしか道はありません。
1つ目は、“死ぬ”ことです。
推論ですが、“この世”と“あの世”の大きな違いは
時間の感覚だと思ってます(自分には確かめる術が今はないですが)。
ここで死ぬと、効率が悪いなって思いますが、
自分ではどうすることもできませんからね。
2つ目は“生きろ”って言われた時ですね。
(生死は強引な手段を使わない限り、コントロール出来るものじゃない、
と思ってるので、こういう表現をしました。)
不食なり、ものすごい少食で元気に生きていけないと
生きていくのは厳しいですから。
私からすると、それは“奇跡”に感じます。
(不食を実践できている人は阿羅漢果の精神レベルに到達してる気がします。)
この“生きろ”と言われた場合、重要になってくるのは
何を生業にして、仕事を通して、この世に貢献していくか?、です。
お金のために仕事をするのは私には不可能です。
私は山(一応火山)のある県に住んでいるのですが、
そこに移住して、仕事をしようかと思ってます。
(今も同じ県内の田舎にすんでますが、
さらに田舎なので、秘境のように感じます。)
具体的に何をするかは、まだ、決めてません(見当はつけていますが)。
体が元気じゃないと何もできませんからね。
移住するために準備がいるのかどうかまで、きちんと考えてやるつもりです。
それと、精神世界関連で商売する気はありません。
(だって在り方に反するから。)
前から言っているように、記事更新は今日で終わりです。
(コメント返しはすると思いますが)
これ以上書けないんです。
書けば書くほど、蛇足になるので。
今の私に悟りの階梯に関して書けるのはここまで、って事です。
もし、記事更新する時は阿羅漢果に到達した時だと思います。
これも以前に書きましたが、生かされている間は
日月神示に専心しようと思ってます。
それに関してのブログはここ以外でやってくと思います。
間違いなく言えるのは日月神示に出会えたのは
悟りの階梯を上ったからだと思います。
凡夫のままでは、日月神示に出会えなかったでしょう。
人を介在する事の弊害は大きなものがあります。
それは宗教も同じです。
誰かが言っているから、こういう文献が残っているから
だから、正しい、って事はありません。
いろんなことを参考にしながら、
真理を自分で探し当てるしか道はありません。