阿羅漢果までの道のり

悟りの階梯 阿羅漢果までの道のりで感じた事、
この世界の真理について時間の許す限り記事を書いていこうと思います。

四向四果について

2014-06-22 03:28:41 | 在り方
仏教ではない感じ方としての目安として

四向四果について書いていこうと思います。

あくまでも判断するための目安程度です。
(預流向、一来果、不還果、阿羅漢果について)


預流向:真理に気付く。本質を追究している。

一来果:常に、感謝している状態。
    (感謝を心がけている人は一来果には該当せず)

不還果:欲への執着がない。

阿羅漢果:自分がない。ただそこにある存在。


以下、補足として
四向四果、それぞれの段階に達したとしても、それで安泰という事はないです。

一来果に達したとしても、すぐに一来果ではなくなる、という事はあります。

それは預流果、不還果、阿羅漢果然りです。

悟りの階梯では、振り子のように進んでは下がり、下っては進んだりします。
もちろん、進んでさらに進む、下ってさらに下がる事もあります。

ただ、一度到達した者が再度、到達しようとするのは
全くの未到達だった時に比べて、難易度は下がると思います。
(中には堕落し過ぎて、難易度が跳ね上がる人もいるかもしれませんが…)


“諸行無常” 

この言葉の示す通り、変わらないものはないんです。



話変わって

阿羅漢果に到達するには出家しなければいけない、
と悟りの階梯(日本テーラワーダ仏教協会)には書かれてあります。

これは間違いないと思います。

全ての欲、欲を起因とする物・事象から離れる事が一番の方法だと思います。

阿羅漢向に到達した時、一番意識したのは欲から離れるという事でした。

言うは易し、行うは難し、でしたけどね。

昔は出家すれば、俗世から離れる事が出来たのだと思います。

不還果、阿羅漢向に到達した人は“欲から離れる”という事を意識してみて下さい。



2 コメント

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普段の状態で得られないのは、出家しても得られない (JHVH)
2018-06-02 22:36:21
少しヒントを・・・・

諸行無常と言われますが、諸行無常も一つの行ではないのですか???

では、諸行無常と言う行は無常なのでしょうか。無常であるならば、諸行無常も移り変わるものであり、諸行無常は成立しないとなります。
このため、諸行無常を真理とする以外になく、こうすると諸行無常は常となり、ここに無常でない行が存在するのです。

煩悩を断つための修行???

ははは、無駄、無駄。

煩悩の正体も見極めないで、それを断つ事などできませんよ。

人は、自分を主体として物事を観る限り、そこに煩悩が働くのです。

つまり、自分の煩悩を断とうと修行する事自体が煩悩によるものであり、この状態でいくら修行しても煩悩を断つことなどできないのです。

そして、自分を中心として物事を観るのを愚痴と言います。

では、自分を中心として物事を観るのが煩悩ならば、世界全体を中心として、また、他の人を中心として物事を見定めるのを何と言うのか。これが菩提であり、煩悩と菩提は、実は見定める時の中心が変化しているだけで、同じものなのです。

そして、これを知恵と言います。

煩悩も菩提も同じもの、愚痴も知恵も同じもの。

ただ、物事を観る中心が変わっているだけ。

ところが、この変化は劇的なものがあります。





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Unknown (Unknown)
2023-12-31 02:07:28
四向四果に到達した人は元に戻りません。
そのような基礎も理解していないブログは参考になりません。
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