阿羅漢果までの道のり

悟りの階梯 阿羅漢果までの道のりで感じた事、
この世界の真理について時間の許す限り記事を書いていこうと思います。

そもそも悟りって何?

2013-07-04 16:18:34 | 悟りの階梯
すいません、私は人のブログにお邪魔する事が多いんですが、
(許可を取って、コメントしまくるとか。)

そこで感じた事があったので、それを記事にしようと思います。

“悟り”という言葉を理解しないまま、なんとなく、

で使っている人が多い気がします。

“悟りの階梯”という言葉がある時点で、

ある一点を指して、“悟り”と言っている訳じゃありません。

預流果の人も、阿羅漢果の人も、同じ“悟り”の人なんです(言葉で言うなら)。

ただ、そこには月とスッポン、アリとゾウ、人と神、ヤムチャと孫悟空、
ぐらいの違いがあります。

預流果と阿羅漢果ではものすごい差があります。

預流果や一来果ぐらいは、正直、ブログを見る限り、ちらほらいます。
(ご本人たちは悟っていないと言い張ってますが。)

批判してる訳じゃないんです。
ただ、正しく言葉を使って欲しいんです。

“悟り”というものへの幻想を抱くのを止めて欲しいんです。

お釈迦様の教えは、人のために書かれたものです。

つまり、“悟り”っていうのは、誰にでも出来るものなんだという事を
わかって欲しいんです。



3 コメント

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“悟り”っていうのは、誰にでも出来るものなんだ (修行者)
2020-07-18 14:44:04
....ということは、絶対にありません。
虚実を語り、それに欺かれた人が悟りを得ないまま失意に自死することを危惧して、批判しておきます。
修行者は行の過程で一切を捨てていきますので、
そのときにそれでも期待する精神的状況を得られなかった場合に、呪うように死ぬ可能性があります。
それゆえ私は、安易に道の人(の生活に他人が入ること)をすすめません。
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このブログ主は (修行者)
2020-07-18 14:51:04
ほとんど仏教経典を読んでいない、即ち、ブッダの教えを知らない。スピ本かなにかの、だれかの見解をブッダの説くそれと勘違いなさっているのではないでしょうか?
だとすれば、ここに要は無いですね。
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しかしここまで預流果、阿羅漢果に固執し、 (修行者)
2020-07-19 01:09:52
普通に「解脱」の文字列を使用しない仏教者も、謎と言えば謎だけれども、
https://j-theravada.net/world/study/
をルーツとすれば、成程、とは思える。
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