教育について

2005-01-29 15:32:26 | Weblog
「朝まで生テレビ」での昨日のタイトルは「激論!こんな教育が日本を滅ぼす?!」でした。自分なりに、日本の教育について考察してみようと思います。

教育の目的というのは何なのか、ということですが、将来の日本を支える人材を育成する、ではないかと思います。日本を支えるとは日本の経済成長に貢献し、国民全体が豊かに暮らせることではないかと思います。

そのために、かつておこなわれていた詰め込み型の教育ではダメで、ゆとり教育が実施されました。画一化され、全体の水準を上げることによって企業ソルジャーをどんどん輩出することで高度成長を進めることができましたが、世界のトップにまで上り詰めたことによって、他先進国の二番煎じでは通用しなくなり違った能力が求められるようになったからです。社会のギアではなく、モーターを排出できるような教育が必要となるわけです。

自ら考える力をもった人間を育成するには、自ら進んで考え、勉強するというモチベーションをもたせることが必要になります。現在の日本ではそれが見えにくい。

今回はじめて知った言葉として「総合科目」というものがあります。複数の科目を横断的にカバーし、応用力をつけるとともに各科目に対する興味も増やそうとする科目です。和田秀樹氏のたとえで言えば、国語、算数が筋トレや基礎練習で、ソフトボールが総合科目に当たります。ソフトボールに興味を持たせることによってそれぞれの基礎練習にも興味を持たせようというものだそうです。内容は各教師に委ねられるそうです。現在はまだ総合科目の時間をうまく利用できるような設備なり、教師なりがいないために、理想的な状態からはまだ遠いというらしいですが、徐々に成果も現れてきているそうです。考え方は自分も賛成です。

現在は総合科目のほかにも中学校のうちから実際の職場での就業体験のようなものを行い、仕事をおこなうことで働く人間の視点を育成し夢を持つヒントとしてもらおうというような動きもあるそうです。こちらも、子供にとっては新しい視野を得ることになると思いますので、非常によいのではないかと思います。自分もインターンシップを行い、学生生活をおこなうだけでは会うことのできないいろんな方に出会い、自分の将来に対する刺激となりました。

上の二つを達成するには、ある程度の躾が必要となっているのではないかと思いますが、家庭事情や学校の状態など様々な理由で公の場での振る舞いができない人間がいるとのこと。親であり、教師であり、地域であり、しっかりと躾がおこなわれる環境が無ければいけません。

そのためにある程度の罰則は必要です。アメリカでは、不祥事を起こした生徒が入れられるところがあるそうですが、そういうのであれ、そうでなくても今のような極端に体罰に対して敏感な状態は過保護と言え、よくないと思いますので、罰則制度を整備する必要があると思います。