モグリッチョのフィールドノート

八丈島の自然などを紹介しています。

スーパー台風

2019年10月09日 | 独り言
 
 私が小学生の頃に八丈島は最大瞬間風速:67.8 m/s の猛烈な勢力の台風に襲われました。それは忘れもしない台風13号、1975年10月5日の出来事です。翌日は台風一過で晴天となったため道路へ出てみると、暴風でコンクリート製の電柱が根元部分から折損(根元部分のコンクリートは砕け散り、内部の鉄筋が露出し飴のように曲がっていました)、道路に沿って延々と唐黷トいる光景を目の当たりにし言葉を失いました。“途方に暮れる”とは、こういうことをいうのかも知れません。どれほどだったかは記憶にありませんが長い期間、停電していました。また、浴室の屋根は吹き飛ばされ、そこには悲しいほど爽快な秋の青空が広がっていました。

 自衛隊のジェット輸送機が飛行場に引っ切り無しに離着陸し救援物資を届けてくれていました。毎晩、夕食は蝋燭の灯りの下、缶詰ばかり食べていたのも記憶に残っています。

 当時、私の通っていた八丈町立大賀郷小学校は木造校舎であったため暴風により全壊。現在使用されている鉄筋コンクリート製の校舎はその際に建て替えられたものです。校舎建替中は校庭の隅に設置された仮設のプレハブ校舎で、約2年ほど授業を受けていた記憶があります。立替中は校庭も狭かったりと色々な面で学校生活に制約を受けていました。学校創立100周年をピカピカの新校舎で迎えたことも鮮明に脳裏に焼き付いています。

 そういえば、日本全国から沢山の支援物資が届いていた中に、ブラジルの日系人の方々からの鉛筆もあり、開拓団としてブラジルに渡り苦労された方々からの支援に小学生ながら驚かされました。いや、小学生だったからこそ、思いもよらなかった海外の同邦の方々からの支援に感銘を受けたのかもしれません。当時、まだ災害復旧のためのボランティア活動はありませんでしたが、沢山の方々からの支援に本当に勇気付けられました。ありがとうございました。

 以前とは異なり島嶼部だけではなく本州などにも甚大な被害をもたらすスーパー台風、いよいよ本格的に発生頻度を上げて日本列島に襲い掛かって来る兆しが現れ出したような気がします。災害列島“日本”。これから災害対策にどれ程の国家予算を費やしていかねばならないのでしょうか? もう、あだんもかだんも…。
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