apiDiary

[こころひかれること]

ひっかかっていたこと

2009-08-29 18:33:58 | 09weblog
何か明日やらねばならないことがあったような。。。
と、何かが心の奥底にひっかる。

あっそっか。
明日、選挙だ。

思わぬ助け舟

2009-08-28 07:26:20 | 09weblog
仕事ですごいタイミングな思わぬ提案。
すごくうれしかった。

他者に何かを要求したり、コントロールしようせず
きちんと目的を追い求めていると
逆にすんなりと道が開けることがあるのかもしれません。

知り合い、、、ではない

2009-08-22 00:36:00 | 09weblog
お昼にお弁当を買おうとビルの1階へ。
歩いていると向こうから見たことのある顔。

知り合いかと思ってとっさに挨拶しようとした
その0.3(?)秒後、

違う!!

チュートリアルの福田さんに似てるんだ
と気づいた。

よかった。。。間に合った

どっかで見た顔=知ってる人
ではなかった。


変容

2009-08-21 00:21:21 | 09weblog
昨日見た夢の話です。

私は(多分)子どもで(多分)男の子と一緒に
どこかへ走って急いでいた。

その途中、半分ベニヤ板で隠された穴に白い子犬がいるのを男の子が見つける。
私は急いでいるのでそのまま早く行きたかったのだけど、
その子が立ち止まってどうしても世話をしたいという。

犬は見ればほんとにかわいい。
白くて毛がフカフカしててつぶらな瞳。
犬泉くんのようだった。

キャウン、キャウン。
仕方なく私も男の子に同意する。

で、時が流れたようだった。
その犬は大きくなり親となって家族を持っていた。
私たちが発見した穴でその家族は暮らしていた。

そして犬はメスだったようで
なぜか顔は犬だが手足が長く半人間化していた。
穴の中にあるソファに座って

「あんときはさぁ、大変だったのよぉ」

となんだかスナックのママ的な口調で
子犬時代の苦労話をしていたのだった。。。

おわり。

そうめんつゆに入れるンだよ

2009-08-20 08:03:18 | 食べもの
以前、同僚からケンミンショーで見たんだけど、
山形の人ってサバ缶をそうめんに入れるの?
と聞かれたことがある。が、私は知らなかった。



先日、実家に帰ったときにもらった。
父がスイカ(作っている)をあげたお礼にもらったらしい。

ウチではやってなかったけど知ってはいたらしい。
お肉とかあまり食べられなかった時代に出てきて
今に至っているみたいです。


正解です。

2009-08-19 08:24:00 | 09weblog
電車の中で

思いっきり沖縄顔の人が

かりゆしを着てるのを見た。

いえ、特に問題はないです。。。
どちらかと言えば大正解です(笑)

表現の落とし穴

2009-08-18 00:20:27 | 09weblog
今回は芸大でした。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20090817.html

なんだか全部は見なかったのですが、
討論会にて

表現者として世に出ようとするとき
魂を売らなくてはならない局面がいつか必ず訪れる

という話があった。

そこを我慢してでも世に出るか
自分の表現方法は変えない方を選ぶか。

多くの人に知ってもらうためだと腹をくくって
妥協してたつもりがそれしかできなくなっていたり?

そこを何とか通り抜けて世に出たとする。
やっと好きなように自由に自分の表現を発表できるようになる。
それを越えて第一人者的になってしまった場合
中身がどうだなどと吟味されることなく、
ただ有り難いものとして受け取られるのみなんてこともある。
そうなった場合その人が伝えたかったことなんてまったく
受け手には伝わっていないだろう。
何か伝えたいことがあったから表現していたのでは?

あるいは、有り難がられているうちに質が落ちていたり。
ふとしたきっかけで淘汰されることになったりして。

何が言いたいのかというと、
何かを多くの人に伝えたい、表現したいと思ったとき、
どんな段階にいたとしてもすぐ隣には落とし穴があって
それとの葛藤は付いてまわるのだなということ。

この局面ではこれこれの選択が正しいです。
というようなものなのではないのだろう。
葛藤と共に進んでいくイメージ。

逆に言えばそこの葛藤がないものは
なんだか怪しい、のかもしれない。

葛藤しつつも「前に進む」こともポイントかな?
葛藤ばかりしててもね。

帰省:思ったこと編

2009-08-16 22:41:34 | 09weblog
私の家族において、父親だけがなんか違う。
すごいフリーダム。
自分の衝動を抑えること、一カ所にどどまっているなんかが苦手。
我が父親ながら不思議で仕方なかった。

が、私が見ていたものは氷山の一角にすぎなかったらしい。
昨年、父方の祖母が亡くなりお葬式があった。
参列した姉によると父方の親戚関係の多くがフリーダムだったそう。
式を仕切る人はお向かいさん。
…なるほど。
父のフリーダムさは年期が入っているというか
脈々と続くバックグラウンドあり。
父方の祖父は輪をかけてフリーダムだったという話をよく以前から聞いていた。
(早くに亡くなったので私は知らない)

母はとにかく真面目な完璧主義者。
こんなもんでまあいいか、なんて辞書にはない。
種の保存のために違う遺伝子を求めるとはいうがあまりにも正反対。
もう少し中程でお互いバランスをとっていただきたいのが子の本音。

しかし、いかんせんそうゆう状況に生まれたのは動かしようがない。
私はものの見事に、どちら持っている。

ゴーゴーと流れるフリーダム精神。
でも基本真面目なモラリスト。
拮抗する力。矛盾。
慎重なのに自分の思いは曲げられない。
集団行動は苦手だけど、人との交わりは嫌いではない。

私が受け取ったもの。
基本的気質、才能、環境、教育、しつけ、愛情。
私は材料を受け取ったに過ぎない。(与えていただいたことには大いに感謝しなくてはならない)
これらをどう料理して自分を生かしていくかは自分の意思、意識次第なのだとよく分かった。

逃げでも妄想でもなく思った。
だからこそ父でもない母でもない、第3の道をとっていけるかもしれないと。

自分の同世代は次の世代を育てる時期に来ている。
今何かそんな自分の可能性を見いだすなんてこと
遅いのかも、ちょっと笑っちゃうのかも。

でも、大人になっても何か決まった訳でも終わった訳でもないと思う。
それぞれの状況でそれぞれのやり方がその人の人生を作っていくのだろう。

当たり前のことなんだけど、
知っているということと、理屈ぬきで体に染みわたることは違ったりするのです。