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日本歴史紀行

歴史紀行 25 ‐ 2 弘法大師 空海 像 2



静岡県藤枝市本町 成田山新護寺


804年 延暦23年、私費で20年間の留学僧として、遣唐使船に乗り、空海は唐に渡りました。

空海が渡海した第16次遣唐使船団の中に、既に天皇のための祈祷を行う十禅師の一人で、天台宗の開祖、最澄もいました。

出港から約1ヶ月、空海の乗った船は嵐にのまれ、目指した唐の都、長安ではなく、南の福州に漂着し、海賊の容疑をかけられてしまい、福州での待機を余儀なくされました。

空海は、自分たちは唐の長安を目指した留学僧であることを記した嘆願書を福州の長官宛に書く等をして疑いを解き、約二月後、長安へ行くことを許されます。

804年 延暦23年の暮れの12月23日、空海は念願の唐の都 長安に入りました。

長安入りした空海は、最初にインド人の法師、般若三蔵に師事し、梵語(サンスクリット語~インド公用語の一つ)を学び、経典を授かりました。

そして805年 延暦24年5月、空海は密教の最高僧、青龍寺の恵果 阿闍梨を訪ねます。


3に続きます。


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