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日本歴史紀行

歴史紀行 30 ‐ 22 高野山 奥之院 一の橋



高野山 奥の院 一の橋


和歌山県伊都郡高野町 高野山


高野山 奥の院は、弘法大師 空海が入定された御廟への参道で、一の橋から先は浄域とされています。




正式には、【大渡橋】と呼ばれ、弘法大師が参詣者をこの橋まで送り迎えするという伝承があります。




参詣者は浄域の入口であるここで礼拝してから渡り、約2キロ先の御廟までは、樹齢数百年もの老杉を縫う参道となっており、徐々に帰依する者、墓所の建立を望む者が増えました。

やがて、室町時代後期、応仁の乱を契機に各地で下克上の機運の高まり、戦(いくさ)が頻発し、死がもっとも身近なものとなった戦国時代
が到来します。

もっとも熱心に墓を建立した戦国大名を中心に、様々な時代の有力者の墓所や、戦災、震災犠牲者の供養塔など、およそ20万基があらゆる宗派問わず連なり、日本最大の死者供養の霊場を案内する入口です。


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