鶴岡八幡宮 舞殿
神奈川県鎌倉市雪ノ下
舞殿は、八幡宮本宮拝殿の下に配置されていることから下拝殿とも呼ばれます。
この辺りは、かつて頼朝が奉還した由比若宮の回廊があり、頼朝に社殿を造営した大工への褒美として与える馬を曳くよう控えていた源義経に命じたところ、義経が渋っていたことに頼朝は激怒したことがあります。
やがてこの周囲に神楽坂が設けられました。
平家滅亡に大いに貢献した義経と頼朝の兄弟仲が決定的に破滅した1186年(文治2年)3月、逃亡を続ける義経主従と吉野で別れた靜御前が捕らえられ、鎌倉に護送されました。
4月8日、頼朝は靜御前に八幡宮神楽殿で白拍子の舞を命じます。
【しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな】
【吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき】
靜は頼朝、政子以下、鎌倉の御家人衆らが居並ぶ場で見事な舞を披露します。
義経を恋慕う舞を披露したことで頼朝は激怒しますが、政子が誠に見事な舞と、自分が同じ境遇であったなら、同じく頼朝様を慕う舞を披露するでしょうと頼朝を取りなしました。
吾妻鏡』では、静の舞の場面を【誠にこれ社壇の壮観、梁塵ほとんど動くべし、上下みな興感を催す】と記されています。