旧 江戸城 富士見櫓
明治元年 4月11日 (1868年5月3日)
江戸無血開城
慶応3年10月15日、江戸幕府か大政奉還により朝廷に政権を返上したことで、武力討伐を考えていた薩摩、長州藩ら倒幕諸藩練り直しを計ります。
慶応3年12月9日
討幕の密勅により徳川幕府を倒す計画を立てた薩摩、長州藩らは追放されていた倒幕派の公卿 岩倉具視を担ぎ出して明治天皇から勅許を得て、徳川幕府の廃絶、摂政、関白の廃止、総裁、議定、参与による三職の設置を決め、天皇親政による王政復古の大号令を打ち出します。
徳川慶喜は、小御所会議で失脚しますが、前土佐藩主の山内容堂の働きかけで三職の議定として復権がなると、徳川家の新政権入りに危機感を抱いた薩摩、長州は謀議します。
西郷隆盛は藩士を江戸に送り込み、殺人、強盗、強姦、放火を繰り返して江戸市中の治安を悪化させて幕府を挑発、幕府親藩の庄内藩が薩摩藩邸を砲撃したことにより幕府と薩摩藩の亀裂は決定的となり、慶応4年1月1日、徳川慶喜は討薩の表を発令し、3日、会津、桑名藩を加えた幕府軍は京へ向けて進軍。薩摩、長州を中心とした新政府軍は京、鳥羽街道、伏見街道で迎え撃ちます。
1万5千の軍勢を擁した幕府軍ですが、新政府軍が錦旗【錦の御旗】を翻すと静観していた土佐藩、幕府軍として参加していた津藩が寝返り状況は一変、幕府軍は敗走して勝敗は決しました。
恭順の姿勢の徳川慶喜の処遇をめぐり、新政府軍は西郷隆盛を参謀に東征軍を編成して江戸を目指します。
3月9日
駿府城下の本陣に着いた西郷隆盛を幕臣 山岡鉄舟が訪ねて徳川家と慶喜の助命を談判し、大方の処遇が決します。
3月13~14日
江戸に着いた西郷隆盛を全権を委譲された勝 海舟が薩摩藩邸に訪ね、徳川家の存続と慶喜の助命、そして江戸城の明け渡しが取り決められました。
4月11日
前将軍 徳川慶喜が水戸へ去り、
江戸城が無血開城され、新政府軍が入城しました。