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日本歴史紀行

歴史紀行 80‐1 腰越状 満福寺 1


満福寺 山門
神奈川県鎌倉市腰越


足かけ4年余りに及んだ源平合戦は、20年来の平家政権による奢りに対し、平治の乱以降 源氏と平家に屈した全国の武士が積年の恨みを爆発させ、ついに壇ノ浦の戦いにおいて滅亡へと追いやり、終わりを迎えました。



圧倒的な軍事力を持っていた平家を様々な奇策と戦略で打ち破り、滅亡させた一番の要因は、稀代の英雄〜源義経の存在でしょう。


上洛を目指した宇治川の戦いによる先陣争いに始まり、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと、奇襲や放火、それに戦いに加わらない水夫、舵取りを狙って勝利を決定付けた壇ノ浦の戦いの戦法は、互いに名乗り合い雌雄を決する従来の坂東武者達の考えの及ばないゲリラ戦の様なものでした。


ただ、英雄の如く働きをもって源氏と坂東武者に勝利をもたらした義経ですが、戦後、主君たる兄の頼朝と破局を迎えることになります。


2に続きます。




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