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日本歴史紀行

家康のつぶやき 13 〜主君と家臣の様子で察しがつく




〜主君と家臣の様子で察しがつく〜



本能寺の変は、家康、秀吉、そして関東の大国、小田原の北条氏の運命も変えました。


1584年 天正12年
家康は、秀吉に賤ヶ岳の戦いの戦勝祝いとして、名茶器〜初花肩衝(はつはなかたつき)を石川数正に持たせて献上します。

秀吉の動きを特に警戒したのです。


これに対し、大国として驕り高ぶる相模の小田原、北条氏とは、緊張状態にありながら、家康は巧みな外交手腕を発揮して講和してみせ、三河、遠江と新領の駿河、甲斐、信濃を抑えた家康の戦力は五カ国、約4万の兵力程度で、旧織田信長の勢力を囲い込んだ秀吉とは、約4倍もの差が開いていました。

家康は、かつてない太守にまでその地位を向上させていましたが、秀吉の勢いはその上を行く有り様のため、単独で対抗するのは絶望的でした。


家康は東国、関東の覇者である小田原 北条氏と同盟を結ぶことを決意しました。

広大な関東平野を領有する北条氏の総戦力は約7万もの総兵力で、手を組めば秀吉に充分対抗できるようになるからです。

家康にとってこの同盟を成り立たせるのは、後に生死を分けた必須条件ともなる出来事で北条氏の領地に出向いて会談の席を設けることにします。

五カ国を治める太守が出向くということに、
(これでは我らが北条に臣従するかのようではないですか)と重臣から反対を受けますが、家康はかまわずに会談に赴きました。


そして北条氏の現当主、氏政とその子で、家康の娘婿となった次期当主の氏直とはじめて顔を合わせました。

家康は家中ではまずやらない宴会芸を披露して見せて氏政や北条家中を盛り上げ、いじらしい程の舞を演じてみせます。


そして重臣の酒井忠次にも得意の蝦すくいを踊らせて場を笑いの渦に巻き込みます。


酒の席で酔いも回ったのか、北条氏政が家康に寄り掛かり、ついには家康の脇差を抜き取ってみせ、

〜信玄も討てなかった東海一の弓取り、家康殿の刀を取った。この氏政は大功を上げたぞ!〜

と上機嫌に、北条家臣も、〜家康殿は我が北条家中になられた〜

と声を上げる始末。



家康は北条氏政が明らかに図に乗った態度を見せ始めても、怒ることはなく、冷静に観察を続け、北条氏政、それに北条家中もつぶさに見定めていました。


この会見が功を奏し、家康は北条氏との同盟の締結に成功し、家康の背後には東国の雄〜北条氏がいるという構図が出来上がり、秀吉に簡単に攻め込まれない状況を作り上げました。

会見の後、家康は家臣にこう告げます。

〜北条は遠からず滅びる〜

家臣が訳を聞くと、

〜主君と家臣の様子で察しがつく〜

と述べます。

噂では、大酒呑みの北条氏政。
主君が主君なら、家臣も家臣である。

6年のうち、北条氏は家康の危惧した秀吉により滅ぼされます。





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