武士の一分
話題作「武士の一分」を見に行った。
最近、映画館に行くことが少ない。
先回は、「デスノート2」を見に行ったが、
それ以前は、5~6年、行っていないのではないだろうか。
ストーリーは、公式HPを参照。
http://www.ichibun.jp/
「一分」とは、辞書では、次のような意味。
(1)その人の面目。
(2)分相応。それなりの。
「どうしても譲れない、守らなければならないこと」
だと個人的には解している。
物語は、妻をだました男の仇討ちの話であるが、
その「一分」として守ったのは、
武士の面目であったというより、
愛する妻を騙して、妻を苦しめたことに対する
「一分」であるように感じた。
それは、騙した相手と
妻への信頼心を一時的にも無くした自分に対して。
疑心と信頼心を無くすことは違う。
疑心は、必ずしも信頼心を無くすことへつながらない。
主人公は、その自分を諌めたのだ。
それが、命を掛けた決闘へとつながる。
その行動は、「一分」を取り戻すためである。
その「一分」の目的は、
人としての生きるうえで大切なものを守るため。
それは、自分の強い意志無しには、まっとうできない。
山田洋二監督作品は、
常に人の「心情」をテーマにしているように思う。
生き方の上手・下手はある。
しかし、どのように生きるかは、
その人の意思によるものである。
話題作「武士の一分」を見に行った。
最近、映画館に行くことが少ない。
先回は、「デスノート2」を見に行ったが、
それ以前は、5~6年、行っていないのではないだろうか。
ストーリーは、公式HPを参照。
http://www.ichibun.jp/
「一分」とは、辞書では、次のような意味。
(1)その人の面目。
(2)分相応。それなりの。
「どうしても譲れない、守らなければならないこと」
だと個人的には解している。
物語は、妻をだました男の仇討ちの話であるが、
その「一分」として守ったのは、
武士の面目であったというより、
愛する妻を騙して、妻を苦しめたことに対する
「一分」であるように感じた。
それは、騙した相手と
妻への信頼心を一時的にも無くした自分に対して。
疑心と信頼心を無くすことは違う。
疑心は、必ずしも信頼心を無くすことへつながらない。
主人公は、その自分を諌めたのだ。
それが、命を掛けた決闘へとつながる。
その行動は、「一分」を取り戻すためである。
その「一分」の目的は、
人としての生きるうえで大切なものを守るため。
それは、自分の強い意志無しには、まっとうできない。
山田洋二監督作品は、
常に人の「心情」をテーマにしているように思う。
生き方の上手・下手はある。
しかし、どのように生きるかは、
その人の意思によるものである。