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「父さんに近づきたい」 亡き夫を見習い介護の道へ 3.11から8年

2019年03月11日 20時45分18秒 | 本日の我が家の話題
 岩手県山田町の花崎明美さん(60)は東日本大震災でタクシー運転手の夫を失った。震災後、人への気遣いを忘れなかった夫の姿を思い浮かべながら、介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格を取得した。「父さんに教えてもらった仕事への気配りを引き継ぎたい」。そんな思いで日々仕事に励んでいる。【井口彩】

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 愛車のトランクから泥がついたジャンパーの切れ端を取り出した。町内の駐車場で、明美さんは夫の秀利さん(当時57歳)がいつも着ていた形見をそっと抱きしめた。「父さん、もう8年だね。そっちはどうですか」

 秀利さんは高校卒業後間もなく、明美さんの家族が経営するタクシー会社に就職した。明美さんはひたむきに仕事に取り組む秀利さんにひとめぼれした。結婚後、ともにタクシー会社で働きながら2人の子供を育てた。

 秀利さんは誰にでも気を配り、自他共に認めるきちょうめんな性格だった。利用客との待ち合わせ場所には30分前に到着し、急ブレーキや急発進といった不快感を与える運転はしない。客に尋ねられても答えられるように飲食店の情報をいつも集めていた。

 会社は2004年から高齢者の訪問介護事業にも取り組み、2人はホームヘルパーの資格を取った。秀利さんの細やかさは介護の現場でも評判だった。介護タクシーで砂利道を通る時は「ガタガタ揺れるから気を付けて」とゆっくり進んだ。車椅子の利用客を乗せる際は「車内に今入りますね」と細心の注意を払った。明美さんは「指名するお客さんも多かったのよ」と振り返る。

 あの日の午後2時46分、激しい揺れに襲われた。秀利さんは「どうしてもタクシーを出してほしい」と頼まれた客を降ろした後、高台に避難しようとした途中で津波に巻き込まれたとみられる。隣の宮古市にいた明美さんが町に戻ったのは4時間後。町は津波による火災で、夜空がオレンジ色に照らされていた。

 秀利さんが見つかったのは7カ月後だった。既に荼毘(だび)に付されており、対面したお骨を前に涙が止まらなかった。

 「大変だったね」「良い人だったのに、可哀そうに」……。夫の話を聞くのがつらく、人に会うのを避ける日々が続いた。沈む気持ちから立ち直ろうと、仕事の合間を縫ってケアマネの資格を取るための勉強に打ち込んだ。当時合格率1割台だった難関を突破し、13年に合格。「父さんが見守ってくれた」と思った。

 今はお年寄りの介護計画を立てたり、病院からの連絡を受けて駆けつけたりと忙しい。それでも「人への気遣い」を忘れない。お年寄りの体をベッドに移す時や砂利道を車で通る時には必ず一声かける。利用者やその家族の話に耳を傾け、皆が納得のいく介護計画を立てられた時が何よりの喜びだ。「父さんはきっと『まだまだ』と言って笑っている。父さんに近づけただけでもうれしいな」

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最終更新:3/11(月) 13:54
毎日新聞

元記事はこちらから


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