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引き渡した園児9人、津波で犠牲「自分がした判断は許されない」 震災8年、保育園長が語った後悔と教訓「保護者に園児は引き渡さないと決めた」

2019年03月11日 09時23分15秒 | 本日の我が家の話題
 東日本大震災当日、保育園や幼稚園が保護者に引き渡した園児が、その後の避難中、津波にのまれて亡くなった例が相次ぎました。岩手県大槌町の認可保育園「大槌保育園」もそうでした。八木沢弓美子園長(53)は、8年を経て初めて朝日新聞の取材に応じ、胸に秘めていた後悔と問いかけを口にしました。そのわけとは――。

【写真】震災後、大槌保育園の仮設園舎で絵本の整理をする職員たち=2011年5月、葛谷晋吾撮影


 ――震災前から、熱心に避難訓練をしていたと聞きます。

 定期訓練とは別に、事前に職員にも知らせない抜き打ち訓練もしていました。一度はお昼寝中にいきなり始めました。

 国の最低配置基準では保育士1人あたりでみる子どもの数は0歳児なら3人ですが、やってみると、1人で3人抱えるのは無理とわかった。そこで、給食の調理師や栄養士も含めてこの子をおんぶするのはこの職員、と担当を決めていました。

 町が一次避難場所として指定していた空き地は雨風もしのげず、子どもの足で歩いて15分はかかった。自治会と相談して、高台のコンビニを独自に津波避難場所と決め、5分で走って逃げる訓練を繰り返していました。

 ――震災当日は、そのコンビニにも津波が?

 当日は揺れを感じてすぐ、「地震です。先生のそばに集まって下さい。大丈夫、こわくないからね」と園内放送し、揺れが収まったらすぐ職員が園児に防災ずきんと上着を着せました。園庭に整列させ点呼をとる決まりになっていましたが、そんな時間はないと判断。職員20人で、110人ほどの子どもを準備できたクラスからすぐ避難させました。

 コンビニの駐車場にいると次々に保護者が迎えに来ました。約70人の子を引き渡した時点で、ふと水門の方を見ると、決壊し、電信柱がなぎ倒されていて津波と気づきました。

 残った40人ほどの子どもと国道を駆け上がり、国道沿いの山の急斜面を四つんばいになって必死に登り、何とか助かりました。

 暗くなってきたころ火災が起こり、また内陸側へ避難しました。子どもたちは誰1人泣かず、しーんとして、街が津波にのみこまれ、火に巻かれる様子をじっと見ていました。歩いて迎えに来た保護者に全員を引き渡し終えたのは2日後のことです。

 ――一方で、当日、コンビニで引き渡した園児のうち9人が犠牲となりました。

 多くが保護者とともに亡くなりました。最後に引き渡した子は、遺体安置所で小さな右手を見たとき、すぐわかりました。保育士を辞めなければならないと思った。

 今でも、その子が「こわい」と言って私の左足にしがみついていたあの日の感触がよみがえることがあります。ご遺族の気持ちを思えば、自分がした判断は許されないものです。

 ――ほかの子どもたちに変化はありましたか。

 震災から半年後、親子遠足を計画した時、「行かない」という子がいて、子どもたちみんなで話し合うことになりました。その中で、初めて亡くなったお友達の名前が出ました。

 ある年中の女の子が、「なんで津波が来たんだろう」と語り始め、「園長先生がさ、(犠牲になったTちゃんたちに)『おうちへ帰らないで!』って言えばよかったじゃん!」と言いました。初めてぶつけてきた本心でした。「Tちゃんに会いたい」と言って、私も含めたみんなで号泣しました。

 親族や家をなくした職員も多く、津波の話は避けていましたが、正直に向き合わない大人たちの心を見抜いていたのです。

 子どもの代弁者は大人だけど、大人の代弁者も、子どもたちだと気づきました。言えないことを言ってくれた。以来、私たちも、悲しいときは保育中でも「あの子のこと思い出して泣いちゃったよ」と言って泣き、感情を出すことから逃げないようになりました。

 津波ごっこ、地震ごっこといった遊びも最初は多くて戸惑いましたが、喪失感に打ち勝とうとする子どもの自然な反応だったと思います。

 さらに半年経つと、年長児が、クラス全員の写真を飾りたいと言ってきて、部屋の一角にその場所を設けました。子どもたちは、写真の前に給食やおやつをお皿にのせて一口ずつ出して、あげていました。

 ――震災後に園で決めた災害時への備えは?

 いつでも避難できるように昼寝時のパジャマへの着替えをなくし、入園式の時には、保護者の方たちに「引き渡しはしません」と明確に言って了解を得ています。何度も職員どうしで話し合って決めたことです。

 ――全国では、災害時を想定して保護者全員が迎えに来るのを待つ「引き渡し訓練」を実施している園も多いです。

 震災後、ある地域で講演で呼ばれた時に、そういった訓練があることを初めて知りました。なんで引き渡すんでしょう?

 海から200メートルの園の園長に質問を受けた時、「立地的にうちの園で全員を守るのは難しいから、すぐ親に引き渡せばいいんですよね」とおっしゃっていて、危機感を感じました。

 津波などの災害時、安全な場所や避難経路は刻々と変わります。現場にいる私たちが、そのつど判断をし、行動をとらないと、子どもの命を守ることはできません。迎えに来る保護者が、途中で被災するリスクもあるうえ、前線で誰かを助けなければならない仕事の保護者もいるでしょう。保育園や幼稚園に子どもがいる間は、そこにいる大人は100%子どもを守るというスタンスに立たないといけない。

 ――ただ、施設側が誤った判断をした場合、引き渡さないと逆に命が守れない危険もあるのでは。教員と避難中に児童が犠牲になった大川小の例もあります。

 もちろん、津波などの水害と他の災害は違いますし、保護者の理解も必要です。全国全ての園で引き渡しが100%よいとは思っていませんが、うちの園では引き渡さないことが「ベスト」だと思う。

 (犠牲になった)9人のことを思い返しながら、職員どうしで何度も話し合って決めました。

 子どもの命を預かる施設で、どう対応するかを本気で議論するのは完全に大人の仕事で、大人の責任です。私は、自分の判断の責任を一生背負っていかなければならないと思っています。(聞き手・田渕紫織)

朝日新聞社

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最終更新:3/11(月) 8:39
朝日新聞デジタル

元記事はこちらから


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今日のおやすみお供曲・1曲目(3月11日)☆彡 DREAMS COME TRUE『あなたとトゥラッタッタ♪』

2019年03月11日 03時55分25秒 | 本日の我が家の話題
今日は、DREAMS COME TRUEの『あなたとトゥラッタッタ♪』を聴きながらおやすみの準備♪

楽曲詳細はこちらでご覧ください。


DREAMS COME TRUE『あなたとトゥラッタッタ♪/THE WAY I DREAM』


もうすぐ『まんぷく』終わっちゃうんですねぇ…。

福ちゃんロスになるかも(´・ω・`)


では皆さん、おやすみなさい(´∀`)ノシ



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3月11日 何の日

2019年03月11日 01時55分47秒 | 本日の我が家の話題
☆パンダ発見の日

1869年のこの日、中国・四川省の民家で、伝道中のフランス人神父アルマン・ダヴィドが、白と黒の奇妙な熊の毛皮を見せられた。

これが、西洋でパンダが知られるきっかけとなった。

ダヴィドはパンダのレプリカ標本をパリの自然歴史博物館に送り、その1年後の1870年に、研究を進めたミレー・エドワードが、Ailaropoda-mlanoleucaという学名を附けた。


☆コラムの日

1751年のこの日、イギリスの新聞『ロンドン・アドバイザー リテラリー・ガゼット』が、世界初のコラムの連載を始めた。

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2019年3月11日(月) 札幌の天気

2019年03月11日 01時54分45秒 | 本日の我が家の話題
こんばんは!!


今日は午前中は晴れて太陽が見えますが、昼前から雲が増え始めます。

夕方頃から明日未明にかけて、みぞれが降り出しそうなので、傘や撥水加工された靴などで外出しましょう。

気温はプラスですが、冷たい風が強く吹くので、暖かい格好でお過ごしください。


今日の最高気温はプラス6度、最低気温はプラス0度。

今日の日の出は5:55、日の入りは17:35。


空模様の写真は後ほど。



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「津波ごっこ」でトラウマを癒やす子も、被災者の深すぎる“心の傷”との向き合い方

2019年03月11日 01時32分45秒 | 本日の我が家の話題
心的外傷後ストレス障害(PTSD)が日本で注目されるようになったのは、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災がきっかけだ。PTSDを発症しても、医療機関にたどり着くまで年月がかかることは珍しくない。なかには、東日本大震災の報道によって阪神・淡路大震災を思い出し、眠れなくなる人もいた。


■「津波ごっこ」をする子どもが増加

一方、東日本大震災をきっかけに、2013年、災害派遣精神医療チーム(DPAT)が発足。翌年、広島市の大規模土砂災害や御嶽山の噴火で初めてチームが出動した。最近は、西日本豪雨や北海道胆振東部地震で活動している。

戦争や犯罪、事故、性暴力、自然災害など大きなストレスを受ける出来事によって、心に深刻な傷が刻まれることがある。すると、気持ちが高ぶったり、無感覚になったり、不眠になったりする。子どもだとなおさらだ。東日本大震災では津波がきたと言って隠れたり、おもちゃの街並みを壊したりする「津波ごっこ」をする子どもが多く見られた。

災害をめぐり心のケアの現場はどうなっているのか。

心療内科医の桑山紀彦さん(56)は、自身のクリニックで診療する傍ら、NPO法人『地球のステージ』の代表理事として、60か国以上の紛争・災害現場で医療支援を行ってきた。

3・11が起きたのは、当時、宮城県名取市閖上地区にあったクリニックを開業して2年目のことだ。津波で思い出の場所が失われ、多くの命が奪われた。そのため、子どもたちを中心に心のケアを始めた。

トラウマ体験は、災害を生き延びた人々にどう影響するのか。

「人間の記憶は通常、順番どおりに並んでいて、感情とセットで出来事を覚えています。ところが、強いトラウマ体験をすると途中の記憶が欠落し、順番が入れ替わることがあります。そればかりか、出来事と記憶が切り離されたりもします。

出来事を映像で記憶してはいるものの、不安な気持ちはどこかへ行ってしまう。そのため語ることで記憶を埋めて、順番どおりにし、感情をくっつけるのです」(桑山さん、以下同)

つらい記憶と向き合うことによる心のケアは、日本では浸透していない。震災当時、子どもたちが被災体験と対峙することに、周囲の強い反発があった。

「学校の先生から“眠れなくなったらどうする?”と言われたり、避難所で津波という言葉を使うと、臨床心理士が止めに入ったりすることもありました。かつては、つらい体験をしたことなどを写真で見せて、ショックを与えて、慣れさせる治療も一部で行われていたので、誤解されたのかもしれません。そうではなく、語りたいことを話し、整理し、表現するのです」

心のケアには安全の確保が前提となる。

「仮設住宅に移り住む夏休みまではできませんでした。名取市は福島第一原発事故の避難先でもありましたが、原発事故は進行形で、まだ過去になっていません。ですから(原発避難者の心のケアは)難しい」


■「トラウマと共存するのです」

桑山さんが行ったケアは、津波のことを語り、表現するという方法だ。トラウマ体験と向き合うことで、語り部になる人もいる。

「大人はつらい出来事の解決を先送りにしようとします。私たちがするケアで、“寝た子を起こすな”“余計なことをするな”と言われてしまうことがありました。しかし、しゃべりたいのは本能です。大切な人の死などのつらい体験を話すことで、それと向き合い、ともに生きる術を身につけていく。

ただし、“向き合う”とは“乗り越える”こととは違います。死を乗り越えるのは無理です。トラウマと共存するのです」

子どもの場合、被災体験を大人のようにはうまく言語化できない。まずは絵画や粘土などの遊びを通して表現できるよう働きかける。さらに桑山さんは、東日本大震災で被災した子どもたちと映画づくりも行っている。

『ふしぎな石~閖上の海』という作品で、集めた石から、津波で亡くなった人の声が聴こえるというストーリー。主人公は震災当時、小学校1年生だった南部陽向さんだ。

「実際に被災した子どもがフィクションを演じます。閖上の海に何度も行きました。津波は命を奪ったものです。それと向き合うことで、最初は嫌な気持ちがあったと思います。でも撮影を通じて、津波にあったからこそ気がついた思いもあるとわかっていきました」

トラウマと向き合えないままなら、どうなるのか。

「お風呂で溺れる、下水道管に吸い込まれるなど、悪夢や嫌な夢を見ることがあります。仕事にやる気がなくなり、眠れなくなったりするのです。被災から10年以上を経て見た夢の場合、トラウマとしては深刻で、放置したら消えません」

'16年の熊本地震でも、桑山さんは子どもたちへ心のケアを行っている。

「絵画や粘土遊びを通して、被災した日の出来事を話してもらいました。そして、被災した場所を実際に訪れて、震災当日の体験を再現するなどして、記憶の埋め直しを行ったのです。こうした取り組みは専門家の私でなくてもできます。例えば、家から避難所までをたどることでもいいのです」

遺児と同じ立場だからこそ、できるサポートがある。『あしなが育英会』の取り組みだ。阪神・淡路大震災や東日本大震災では、遺児や孤児が多く出たため、支援のための施設『レインボーハウス』を作った。

仙台レインボーハウス所長の西田正弘さん(58)は、父親を交通事故で亡くした経験がある。遺児は経済的に進学が難しく奨学金が必要だと思い、阪神・淡路大震災の被災地へ遺児仲間とともに出向いた。

「死者が増えたため、遺された子どもたちがいると思い、探し歩いたのです。それまで接していた子どもたちは、自分と同じ交通事故の遺児だったのですが、親が亡くなる現場を見ていません。

しかし震災遺児・孤児の場合、その現場を見ていたり、自分も死ぬ思いをしています。大学生のボランティアと遊んでいるときのリアクションがただごとではありませんでした」(西田さん、以下同)

当時「あしなが」は心のケアについては手探り状態だった。自分史を語るための「つどい」は行われていたが、対象は高校生以上に限定。それを中学生以下にも広げたのは阪神・淡路大震災以降だ。そんな中で出会った小学生は描いた虹を自ら黒で塗りつぶしていた。

「黒い虹を元の虹に戻そうとの発想から、支援施設の名前はレインボーハウスになりました。私たちは専門家ではありません。遺児としての体験があり、当事者として放っておけなかった」


■2~3月になると落ち着かなくなる子も

阪神・淡路大震災後、震災遺児・孤児へのサポートを本格化。アメリカにある、愛する人を亡くした子どもや家族のための『ダギーセンター』で研修も受けた。

「気持ちを吐き出させればいいという考えもありましたがダギーセンターで学んだ手法を取り入れました。深い悲しみやトラウマについて話すのを決めるのは子ども自身。主導権は子どもにあります」

このときのノウハウが、その後の自死遺児支援につながり、東日本大震災の震災遺児・孤児へのサポートにも結びついていく。

宮城県では'04年、『仙台グリーフケア研究会』が立ち上がった。自死遺族のための「わかちあいの会」を作り、'10年には地域自殺対策緊急強化基金の支援を受けて、子どもを対象に「ワイデイプログラム」も立ち上げている。そんな時期に東日本大震災が起きる。

「東日本大震災の前には、仙台で、自殺対策でつながった人たちがいました。'11年5月にはワンデイプログラムの対象を津波遺児・孤児にも拡大。日常的なケアが広がっていた時期だからこそ、突発的な災害があっても受け入れることができたのです」

震災から8年。いまだからこそ体験を話せるという人がいる一方で、2~3月になると落ち着かなくなる子も少なくない。卒業式や入学式といった節目に、亡くなった友人を思い出すなど気分が落ち込むこともある。スタッフの中村優一さん(27)は課題をあげる。

「震災当時、まだ生まれていなかった胎児の場合、いまは小学生になっています。3月11日は月曜日、親とは別々に過ごすことになる。どう過ごすか、揺れている場合もあります」

置かれた状況によって子どもたちはさまざまな不安を抱える。息の長いケアやサポートが求められている。

(取材・文/渋井哲也)

《PROFILE》
しぶい・てつや ◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)ほか著書多数。

<週刊女性PRIME>


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避難なお5万2千人=東日本大震災、11日で8年

2019年03月11日 01時22分09秒 | 本日の我が家の話題
東日本大震災は11日、発生から8年を迎える。

復興庁によると、避難者は1年前に比べ約2万人減少し5万1778人(2月7日現在)。

福島では、東京電力福島第1原発事故の影響でなお約3万2600人が県外で避難生活を送る。

11日は、平成で最後となる追悼の集いが被災各地で開かれる。

警察庁によると、死者は8日現在、12都道県の1万5897人、行方不明者は2533人。

復興庁が公表している、震災による負傷の悪化などで亡くなった「震災関連死」を合わせると、犠牲者は2万2100人を超える。

政府の復興・創生期間が終了する2020年度末まで残り約2年となった。

沿岸部では、防潮堤や復興道路「三陸沿岸道路」の建設が進み、不通が続いていたJR山田線宮古-釜石も第三セクター三陸鉄道(岩手県宮古市)に移管され、今月23日に運行が始まる。

インフラ面の復興は着実な歩みを重ねている。 

<時事通信社>


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