忘れていたと思っていた感情が溢れ出し、またまた涙の止まらない、昨日の「コウノドリ」でした。
助産婦の小松さんの苦しい思い、私も24歳の時に経験しました。
子宮がん、内膜症、子宮筋腫、色んな病名がつきました。
当時はまだ未婚だったので、病名になかなか納得できず5つくらいの病院を回りましたが、そのたびに子宮全摘か命をとるかの選択に迫られました。
覚悟を決めて最後に訪れた病院で、子宮の1部摘出の手術をしました。
2週間後の検査結果によって、子宮全摘に切り替えることになっていたので、手術前後の人だけが入る病室にずっといました。
20代~50代くらいの方が、2日おきくらいに手術の前日になると入れ替わり、術後だいたい翌日位には別の部屋へ移っていきました。
2週間の間、毎晩、毎晩、布団の中から嗚咽する声が聞こえていました。
面会のご家族に「私、女じゃなくなるの?!」って泣きながらすがり、謝っている既婚、未婚の女性達の悲痛な声を今も覚えています。
私は1度目の手術自体は簡単なものだったので、自由に部屋を出て院内を散歩していましたが、部屋にいないと館内放送がかかり、看護婦さん達は慌てて私を探していました。
まだ24歳の私にとって、ましてや障害者の私が子宮を失うと言うことは、女性として将来を考えた時のことを思うと、周り放ってはおけなかったのだと思います。
万が一のことを考えて、屋上にいかないようにとか、部屋を出る際は看護婦同伴で、…と言う位に気を使っていただきました。
2週間後の結果で、悪いところは取りきれていて、転移もないと言う結果が出て、即退院許可は出ましたが、今後妊娠、出産は難しいだろうと言われました。
2年後運よく結婚相手に巡り会い、子供は出来ないことも承知の上結婚をしました。
そしてまさかの妊娠。
妊娠の知らせは奇跡のそのもので、その喜びはと言うと言葉では言い表せない幸せの瞬間でした。
出産までの道のりは、それはそれは大変でした。
出産までの間に、何度母子共に生死の間を彷徨ったか分かりません。
出産までに体重が10キロ以上減ってしまいました。
産道がすごく狭くて、帝王切開と迷ったのですが、赤ちゃんが小さかったおかげで、お医者さんと看護師さん、助産婦さん合わせて、7、8人がかりでしたが、なんとか自力で産むことができました。
上手に呼吸が出来ず顔で力んでしまったらしく、分娩室を出ると母親に、「その顔どうしたの?暴れて誰かに殴られたの?」と聞かれて、鏡を見たら顔中うっ血していて、ビックリでしたΣ(´∀`;)、
余談ですが、ドラマの途中で、風船を子宮の中に入れて、中から子宮口を圧迫すると言う台詞があったのですが、私も経験がありますが、出産よりも苦しかったです(;´Д`)
本当に産むことも、産まないことも、産めない事も、どれも女性にとっては大変な事です。
周囲の理解と支えがあってこそ、超えられるのだと思います。
もう何十年も過ぎているのに、昨日のことのように痛みや苦しみは蘇ってきます。
出産の痛みではなく、心の痛みが…。
2児の母にはなれたけど、繋留流産で亡くなった子もいます。
障害(下肢)を持ちながらの子育てが出来たのは、家族や友人のおかげでした。
今、わが娘が子宮筋腫と片方の卵巣の機能の低下で、通院をしています。
未婚で私の介護、介助(車椅子)をしてくれています。
アラサーになりました。
この先娘にも、結婚、出産、手術等選択の時期が来ると思います。
今の暮らしに納得して共に笑って過ごしてくれていますが、娘の身体や将来を思うと胸が痛みます。
どんな状況も受け入れ、理解ある人が娘のそばで支えてくれることだけを、望み続けています。
娘と一緒に「コウノドリ」を見ながら、私の経験談を聞くことが、娘の「覚悟」に繋がっていると話してくれています。
ドラマであって教科書のようで、母と娘の女同士の会話の時間を時間を与えてくれる「コウノドリ」には、心から感謝しています。
みや