アラカンカラ

淡路島 野島断層保存館

1995年1月17日未明、兵庫県南部を震源とした巨大地震

わたしはその時、大阪のマンション6階に住んでいました。

遠くから近づいてくるような地響きで飛び起きた直後、今まで経験した事のないような大地震

思わず隣に寝ていた小さな子供たちの上に覆いかぶさり揺れの収まるのを待ちました。

この時は兵庫が震源とは思わず、名古屋あたりか?伊豆沖か?
などと思っていました。

しばらくしてテレビから流れてきたニュースで
神戸の壊滅的な状況を目にし、これからどうなるのかとても心配になりました。

当時住んでいた大阪のマンションも外壁に亀裂が入り、その後マンション自治会で補償の問題が持ち上がりしばらく大変な日々でした。







あの揺れを思い出す気がして、見学には今まであまり乗り気ではなかったのですが
冷静になった今、記憶に残しておく事も大切と思い見学に行ってきました。


瀬戸内Finderから引用させていただきます。

野島断層保存館の目玉は、やはり断層保存ゾーンです。
国の天然記念物に指定された地震断層のうち、約140mの断層が覆屋(おおいや)で保護され、ありのままの状態で保存されています。

舗装道路を横切る断層や地割れの列が現れた断層のほか、水路・生垣・あぜ道の横ずれの様子もそのまま残されていて、断層による様々な地形の変化を見学できます。

野島断層の約50cmにおよぶ地面の隆起と1m近い横ずれの様子を間近に見られ、断層の断面が見られるトレンチ展示コーナーもあります。
阪神・淡路大震災で現れた地震断層の中で、現在も地面のずれをはっきりと見ることができるのは、この断層保存ゾーンだけです。







引用させていただいたように

これらは実際の断層

こんなに動いたんだ!と驚きます。




地震の体験コーナーで実際の震度を体験しましたが、実際はもっと激しく揺れたように思いました。

揺れの崩壊と、その後の火災がより大惨事になってしまいました。

わたしは地震後に兵庫県に越してきましたが、今住んでいる近くでも被害が大きかったそうです。

自然災害は何の予告も無く訪れるこが多いですが、
日頃から想定して準備しておく事は大切と思いました。

ちょっと悲しい気分になった見学でした。









コメント一覧

anrinana
tonyさま コメント欄が拒否になってたのですね。すみませんでした笑〜
anrinana
tonyさま そうか…ではクチナシにしますね。クチナシはよく街路樹で良い香り放ってますよね。我が家の小さな庭にもジャスミンを植えていて、放っておいても時期になると甘〜い香り、あと、金木犀と銀木犀、沈丁花の赤と白が植ってます。
Tony
ハイビスカス・・・
anrinanaさま ノウゼンカズラは僕んちに苗木に出来る芽が沢山あるけど、まさか空輸するほどのものでもなかったし、かといってハイビスカスは冬越しを室内でしてすこしずつ慣らすか、僕の経験では冬、小型の温室なら戸外okです。
 いずれにしてもハイビスは、english gardenとか 放任主義のお方には向かない?かも(反省!)
念のため。Tony

anrinana
tonyさま たくさんのアドバイスありがとうございます!では、ハイビスカスとクチナシ植えてみます。香りが良いですもんね。
Tony
お花・・・
anrinanaさま そういうことでしたら、ノウゼンカズラを植えましょう。植えっぱなしで秋まで毎日たくさん花を咲かせてくれます。朝、開花したら夕方落花します。ただし、大量の花柄のお掃除役はあなた、anさまです。ハイビスカスも木化すれば、自然に花を咲かせます。
百日紅(さるすべり)も夏の花ですけれど、咲かせるにふようは「柿8年」です。perfumeというむきにはクチナシはどうお?Tony
夾竹桃やふようもあります。
以上、僕のお勧め「夏の花」でした。
anrinana
ayabammさま ほんとあの高速道路が倒れたのですよね!阪神間もしばらくは青いビニールシートの家ばかりでした。
ご親戚の方々、ご無事でなによりでしたね。
コロナが落ち着いたらぜひいらっしゃって下さいね!
anrinana
tonyさま 関東の方が地震の危険があったのに、関西でしたね。私が小学生の頃から大地震が来るって言われてましたよね。横浜にいる時は震度4くらいはよく揺れてました。まさか関西で!大阪に住んでいましたが、国道を災害復旧の看板を付けたトラックがたくさん走ってました。日頃から水と食料を最低限確保しておきましょう。神戸の友達が、1番困ったのは水と言っていました。
ayabamm
こんにちは!
親戚が西宮の甲子園口にいます。
私も小学校3、4年生の時2年間、
甲子園球場から5分くらいの所に住んでいた事があります。
あの高速道路が倒れたのですから…
テレビを見て事態の酷さにビックリしていました
すごく心配でした。
親戚が住んでいた家は、全壊。
その後、全壊した家の近くに引越ししました。
地震が落ち着いた頃に訪問しましたが…

本当に命が助かってよかった。
って、思いました。

今は、もうおじ、叔母は亡くなっていますが、
コロナが落ち着いたらお墓参りに行こうって思っています。
Tony
立川・・・
anrinanaさま あの朝の事は何度かお話ししましたけれど、何本も立ち上る黒煙、見渡す限りの廃墟は爆撃で無人に帰したような神戸の中心街の惨状でした。

見慣れたものは何ひとつもなく、高速道路の倒れ掛かった折り目にひっかかったバスだけが港街の存在を示していました。

あれから25年、形を失った神戸を見ることもなく、ましてや復興を遂げた三宮も山手も、そしてポートピアのあるあたりにも目を背け近寄りがたい神戸になっていました。

想えば、立川断層が段差5~6m、距離33kmにわたり わが東京を縦断していることを思うに、直下型震災を目前とする この東京をいかに脱出するかを考える好機なのかもしれません か弱い人間だから。Tony
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