杏の持っている衣類の中で、一番変わっているのは、モンペだと思います。
今、モンペって言うと、農家のオバチャンが着ている、絣もようの裾の締まったズボンを思い浮かべる人が多いと思うのですが、杏が持っているのは、黒地に赤の麻の葉の絣模様の物で、袴の様に腰を紐で結ぶ物で、上下でセットになっています。
これを買ったのは、もう25年ぐらい前かなあ?正直、麻の葉の模様が大きいので、派手だとは思うんですが、昔と違い、この年齢だからこの色、ってのが無くなっていると思うので、気にしないでいます。
着物だって、もう30年以上前のものが多いし、20年前に作ったのが最後だから、昔の感覚だったら、派手すぎる物ばかりだけど、自分が好きで、似合うんだったら関係無いし・・・・・・
子どもが生まれてから、着物を着る機会がほとんど無かったけれど、この秋・冬は着物を着る機会を増やしましょうか?
だって、結婚当初は普段着にウールの着物を着ていて、掃除も洗濯も炊事も着物でやっていたんですからネ。
そのころは、自転車に乗る時に、このモンペが活躍したんです。
ただ、モンペって、やっとふくらはぎが隠れる長さなんで、足首が寒いんですよね。
でも、本来モンペって作業着だから、裾が汚れないように短めなんですから、仕方ないですよね。
大学生の頃、わたせせいぞうさんが書いた「彩」(さい)という漫画の主人公の女性が和装で日常を過ごす、というものがあったんです。それを見て、「かっこいいなあ」と憧れていました。
実際は浴衣も自分で着れないんですけど
モンペは、近所のお店で売ってるのを見たことがあります。私の住んでいる所は畑や田んぼが多いので、農作業をするためにおばあちゃんなんかが買っているのかなーと思います。
杏さんは作務衣しかり、和装、モンペなど「和」の生活ですね。私も和装が似合うように成長したいなあと思います。
私は多分、杏さんより20歳は年上だから知っているのでしょうが、杏さんのもんぺが本来で、ウエストにゴムの入ったのは改良型なんです。
私も物心ついた時から着物生活でした。学校から帰ると洋服をハンガーに掛けて和服に着替えましたよ。当時が懐かしいですね。
子育てが済んでから、冬は着物生活に又戻りました。たとえ半幅の帯でもキチッと結べば、暖かくて姿勢がよくなりますもの。
模様や色なんて着る人に似合えばなんでも良いのではないかしら。
着物って、日本の気候風土に合った衣類ですし、材質と着付け方次第で、普段着にも、晴れ着にもなるんですよね。
絹物の着物だと手入れが大変ですが、ウールだと普通にクリーニングに出せば良いので冬の普段着には良いですよ。
夏は慣れないと暑くて大変だと思いますが、冬は特に腰の辺りが何枚も重なる為か、とてもあったかくて、冷え対策にも良いですよ。
ぺいさん。
ウエストにゴムの入った改良型、いつの間にかこちらの方が一般的になってきちゃいましたね。
これって、やはり戦争のせいでしょうか?
実は、私のモンペ初体験は幼稚園の時で、お遊戯会の『大きなだいこん』の、おばあさん役の時、絣のモンペ上下を着たことです。
この時もヤッパリ紐で結ぶ形で、私の中では、モンペは紐結びですが、今は、結構な齢(私と同じ位の人)でも、モンペって言うと、裾をゴムで締めたスラックスだと思っている人が多くなったように感じます。
また、何かの折にモンペを身につけ、本当のモンペを子供達に見せてやろうと思っています。
杏さん、そんな意味からも、今年はおおいに着用なさってお体のご回復を図って下さい。
【麻の葉、青海波、矢羽根・・・etc。日本の文様はシンプルにして、完成度が高く、心惹かれますね。家紋も又然り。】
杏さんの言われるとうり、ゴム入りもんぺは戦中、戦後に一般的に普及したのですね。日本が占領した南の島からのゴムの輸入が、大幅に増えたためでしょうね。
ウチの方では、麻の葉を産着に使うのは、麻がぐんぐん伸びるから、子どもも麻の様にすくすく成長するようにと言う願いがこもっているんだと言います。
地方によっても、言い伝えがあるんでしょうか?
ちなみに明治生まれの母はグレー、私は淡い水色、嫁に行った杏さんと同年配の娘はオレンジの長襦袢をそれぞれ『魔よけ』として持っております。杏さんは縁起担ぎと一笑にふされますか?それとも昔の日本の女人の心を、こんなささやかな事柄からも、お汲み取りになれるお人なのでしょうかしら?
お気持ち、ありがたいです。
麻の葉って、好きで、今3組持っている作務衣のウチの1組は薄い金茶の地に白の麻の葉です。
もしかしたら、無意識の内に麻の強さにあやかりたいとこの柄を身につけていたのでしょうか?
ぺいさんのお言葉をありがたく頂いて、意識的に麻の葉を身につけていきます。