杏の独り言

教わったこと、見たこと、聞いたこと、感じた事、考えたこと、やったこと、イロイロ。
オバチャンの独り言です。

いらっしゃいませ。

ここは、普通のオバチャンが、いろいろ書いているだけのブログです。 もし、チョッピリ違う所があるとしたら、小さい頃から近所のオジイチャン、オバアチャン、オジチャン、オバチャン、そのほか年上の人たちに可愛がってもらい、いろいろな話を聞いて育ったこと、それと、チョッピリ記憶力が良かったせいか、そんな話や、教わったことを覚えていることです。 でも、私が教わったり、聞いたりした事、最近は若い人に受け継がれていないことに気付きました。 これって勿体無いし、チョッピリでも他の人に知ってほしいなって思うので、気が向いた時にそんな事も書いています。 ご訪問くださった皆様、ぜひ気楽にコメントしてくださいね。 でも、アダルトサイトへのお誘いのような、こちらにおいでくださる方が不快に感じると思われるような書き込みは削除しますけど、悪く思わないでくださいね。

雪の思い出

2024年02月06日 | 思い出
 昨日から今朝にかけて雪だった。

 夜中ごろからの雨のおかげで、凍結しないで済んだようだけど、今朝早起きして、雪掻きしてくれたムスコには、感謝・・・・・

 おかげで、ウチの前はきれいになっていた。

 雪と言えば思い出すのは、高校受験の発表の時・・・・・

 近所で同じ小学校に行っていた三人娘(一人は別の中学)が同じ学校群を受験し発表を見に行った・・・・・

 その時一人のお母さんが一緒についてきてくれたっけ。

 発表会場から、そのまま振り分けられた高校に行き、手続きをするのだけれど、その日は大雪・・・・

 一緒に来てくれた小母さん、寒いからって、着物を着て、足駄だと歯の間に行くが挟まりやすいからって、駒下駄に爪皮つけて・・・・

 少しの雪ならよかったんだろうけれど、その日は大雪(あくまでも東京基準)。

 下駄の歯に雪が挟まり、落ちなくて転びそう・・・・

 そんな小母さんを、ほかの二人は転ばないまでも滑って危なかったんだけど、なぜか雪の日に転んだことのない私が抱えるようにして一緒に歩いたっけ。

 ほかにも、大学受験の年、2年から3年になり、キャンパスが変わる年など、節目の年だったからか、この3回はしっかり覚えてる。

 ああ、そうそう、就職して5年経って、2つ目の赴任先に行って、なんねんめだったかなあ・・・・2月の末だったか、3月だったか・・・年度の終わりごろに降った雪が、入学式の時に残っていた年もあったっけ。

 そんなこんな、雪の思い出です。
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心を引き締める日

2022年11月08日 | 思い出
 今日、11月8日はふいご祭り・・・・・

 私の父は金属加工の職人だったので、毎年、ふいご祭りをしていた。

 本来なら荒神様を祭って行う物らしいが、父は、おふだを頂いて、それを粗末に扱うようになったら良くないと言い、荒神様のおふだを受けることなく、ふいごや火床をきれいにして、お神酒・塩・野菜・そしてなくてはならないみかんをお供えして、これから空気が乾燥し、火事が起きやすくなる季節を前にして、心を引き締めるための行事としていた。

 ふいご祭りと言うと、翌日は必ずと言っていいほどけんちん汁だった。

 ふいごさんにお供えした、牛蒡・人参・大根・里いもを使って、毎年、母がけんちん汁を作っていた。

 それから、紀伊国屋文左衛門のみかん舟のお話は、その年、紀州の海が荒れ、船を出せなくて困っていたところ、一か八かの賭けで紀伊国屋文左衛門が船を出し、江戸のふいご祭りにミカンを間に合わせたという話・・・・

 って事は、あの時代にはもうふいご祭りとみかんって、切れないものだったんですね。

 そうそう、青物横丁の品川寺辺りは、12月8日にふいご祭りをして、その時屋台店に『お釜おこし』って言うのが売られているのを思い出しました。
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ストロー

2022年10月20日 | 思い出
 今、プラスチックのストローを使わなくなりつつあるけれど、私の経験した、ストローの変遷を書いておきたくなった。

 おそらく私より年上の方達ならご存知かもしれないけれど、いくつか若い方だと知ら無い事もあるかもしれないし、同年代でも育った環境で知らない人もいるかもしれないですね。

 私がストローを意識したのは、小さいころで、昭和30年代だと思う。

 最初の頃は、文字通りストロー(麦わら)で、つい嚙んでしまったり、強く摘まんだりすると、繊維に沿って割れてしまい、吸いにくくなったことを覚えている。

 次は、白い紙を筒状にしてそれを蝋で固めた物・・・・

 これは裂けてしまうことはなかったけれど、噛んでしまうと口の中で蝋が砕け、慌てて吐き出した思い出がある。

 その後、プラスチックの物が出て、カラフルで、使いやすくなった。

 ただ最初の頃は噛むと割れた記憶がおぼろげながら・・・・ま、他と混同しているかもしれないけれど・・・・・

 最初は真っすぐな物だけだったけれど、気が付くと一部が蛇腹状になり、まげて使えるものが一般的になっていった。

 この、まげて使えるストロー、おばあちゃんのためにお孫さんが開発した物だという話を聞いた事がある。

 寝たきりのお祖母ちゃんに、吸い飲みではなく、コップから飲んでほしいということで、いろいろ考え、あの形を思いついたとの事だった。

 プラスチックを使わず、あるいは使い捨てにしないようにといろいろ考えているみたいだけれど、いい方法はあるかしらねえ。

 使い終わったら食べてしまえるストロー、なんてのもいいかもしれないですよね。
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いろいろやりました

2022年10月05日 | 思い出
 ムスメと話していて、どんな手芸をやったのかと言う話になりました。

 そういえば、いろいろとやりました。

 先ず思い浮かんだのが、『リリヤン編み』

 私が子供の頃は、道具も材料も駄菓子屋さんで買いました。
 木製の道具で、釘が5本打ってあり、編むための棒(針?)も金属製で、針金の先を、斜めに曲げた物でした。
 糸も1かせを何色かに染め分けた物が主流で、1色の物はあまりなかったように覚えています。

 それから、管状の細いビニールひもで、中に糸の入っている物と入っていないものがあり、これを使って、マクラメの基礎的な物を作る遊びがありました。
 これをヘアピンに結び付けて飾りピンを作ったり、いろいろな編み方とか結び方で、腕輪や指輪を作ったりしました。

 そうそう、小学生の頃は誰かが手芸のやり方を覚え、休み時間などに教え合ってみんなで色々作るのがはやりました。

 その頃って言うと、かぎ針編み、特に引き上げ編みがはやったっけ。

 他にも棒針編み、ビーズとテグスを使って、小さな花をつなげたようなものを作って、指輪や腕輪、なんてのも作ったし、ビーズ織の基礎的な手法も学校で、誰かが持やっていたのをまねて覚えました。

 そんな風に、いつの間にか、誰かから教わったり、本やテレビなどで見よう見まねでやり始め、楽しんだ手芸って、たくさんあります。

 レース編み、棒針編み、かぎ針編み、アフガン編み・タッチング・・・・

 フランス刺繍、スウェーデン刺繍、文化刺繍、刺し子・・・・

 ちぎり絵、木目込み、レジン(当時のは、2液を混合して、出来合いの型に流し込み、ドライフラワーなどを封入して、固まった所に白や黒の不透明に着色したレジン液を重ね、金属製の土台に固定して、ブローチや指輪、キーホルダーなどを作っていましたっけ)

 他にも、名称はわかりませんが、ボール紙で作った台に和紙を貼り、小箪笥やメガネ置きなどを作ったり、姉様人形のようなものを飾りにした箸袋を作ったり、本当にいろいろやりました。

 まあ、和裁や洋裁もやりましたが、これらすべて、特に○○教室なんてのに通った物はなく、学校での授業や、休み時間の遊び、知り合いからのレクチャー、本やテレビで見ての物です。

 本当、今考えてみたら、いろいろやってるんですね。
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たけのこ

2022年04月07日 | 思い出
 今日の配達で、筍が届いたので、さっそく茹でました。

 先端を斜めに切り落とし、皮に切り目を入れ、糠も研ぎ汁も無かったので、お米を一掴みと、鷹の爪を2本入れてコトコト・・・・・・

 火が通ったので、そのまま冷ましています。

 そういえば、筍の皮を茹でて、毛をそぎ落とし、梅干しを包んでちゅうちゅう吸うのって、子どもの頃やって、この時期しかできないので、とっても特別だったっけ。

 子ども達が小さい頃、やっぱりやらせたっけ。

 こういう遊びって言うか、おやつ?

 最近は知らない人も増えてるんだろうなあ・・・・・

 そうそう、これやると、筍の皮が赤くなるんですよね。
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寒いけど・・・・

2021年01月02日 | 思い出
 今年は年明け早々寒い日が続くけど、子どもの頃の思い出や、両親の昔話からすると、やっぱりあったかくなって来た様な気がする。

 子どもの頃、登校時の街路樹の下の霜柱・・・・・

 バケツの水や水たまりの氷・・・・・・

 子どもの頃は結構頻繁だったけれど、今はあまり見ない・・・・・

 母は良く、『昔はべったら市の頃には防寒コート着てたのよ』って言っていた。

 そういえば新婚の頃には、酉の市や羽子板市にはダウンコート着てたっけ。

 父は、『銭湯の帰りに手ぬぐいぶら下げて歩いて、帰ったころには手ぬぐいが立ったもんだよ』って言っていた。

 両親の若いころと私の若いころを比べても、冬が暖かくなっているし、その頃と今を比べても暖かくなってきている・・・・・

 そういえば、しもやけで手を腫らしてる子って、ほとんど見なくなった。

 これは生活環境や栄養状態も関係してるかもしれないけどね。
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それぞれで・・・・・

2020年07月08日 | 思い出
 豪雨で川が氾濫したり、土砂崩れしたりのニュースが流れている。

 ウチの辺りも災害は起きていないものの、ひどい雨風で、不安はある。

 ただ、昼間より、夜間、明け方がひどい・・・・

 こんな状況で、昔、父と話したことを思い出した。

 子どもの頃の梅雨時期だったか、雨が降らないと農作物にも影響するので、雨は必要だけれど、昼間は晴れて、夜だけ雨が降るんだったらいいのになあ・・・と話した。

 それに対する父の答えが、こうだった。

 確かに昼間は晴れて、夜しっかり雨が降ったら、昼間仕事をする人にとっては良いけれど、でも夜、大切な仕事をする人もいるんだよ。
 例えば、道路工事の人たちって、寄りに仕事をするだろう?
 そんな人たちには、夜雨が降ったら仕事できなくなるし、道路工事も進まないし、とっても困るよねえ。

 確かにそう。

 人それぞれに、雨が降ってほしくない時間帯って、違う・・・・・

 その時、間を取って、今日は昼間、明日は夜って、そんな具合に雨がふっらたいいねって、子ども心に思ったんだっけ。
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そっくりだなあ・・・・・

2020年04月22日 | 思い出
 養毛剤のCMに出演している某夫人、あのヘアスタイル見ると、私が中学生の頃の、母と同年代の近所のおばさんを思い出す。

 いつもきれいに髪を結っていて、真っ黒だったけど、生え際の感じとか、ふんわり膨らんだ前髪とか、本当にそっくりだった。

 あのおばさんの髪形、すき毛と、美容師さんの技術のたまものだったんだけどね。
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寒い・・・・

2020年02月06日 | 思い出
 今日は冷たい風が強く、本当に寒かった。

 予報によると、最低気温が零下になる日がまだ何日か続くらしい。

 考えてみたら、昔はこんなに寒い日が多かったのだけれど、最近は冷え込むことが少なくなったうえに、ここ数日春のように温かかったんで、余計応えるのかなあ?

 それに、冬って言えば、ひび切らしたり、しもやけになったりしたのをよく見たけど、最近はそんなの見ること、無くなったよねえ。
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御もんじゃ様

2020年01月24日 | 思い出
 ある時、ある所で意見が合った・・・・・・

 月島のもんじゃ・・・・・

 あれはもんじゃではない・御もんじゃ様だ・・・・・

 なぜかって言うと、もんじゃはもともと、駄菓子屋で、1枚の鉄板を何人もで囲んで焼くものだから・・・

 月島式のように、先ず土手を作って・・・・・などというやり方は、1枚の鉄板を1グループで占領しないとできないから、駄菓子屋のもんじゃとは全く違う物である。

 ああいう、御もんじゃ様だけでなく、本来の、子どもが小遣い銭を握りしめ、駄菓子屋に行って、大きい子が小さい子を世話しながら焼く、本当のもんじゃも知ってほしいと思うけれど、今ではもんじゃを焼ける駄菓子屋どころか、駄菓子屋自体が少なくなっちゃってるんだもんね。
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冷えてきた

2019年11月06日 | 思い出
 11月に入り、さすがに冷えてきた・・・・・・

 そういえば、明後日はふいご祭り、子どもの頃、これが楽しみだった。

 小さな町工場をやっていた父、毎年11月8日には仕事を早仕舞いして、火床やふいごをきれいにし、お神酒とお米を供えていた。

 このほかにも、ミカンやリンゴ、柿と言った秋の果物、里芋、ゴボウ、ニンジン、大根などの野菜も供えてた。

 で、このお供えのミカンをメインにした果物を、職人さんやふいご祭りをしない職種の仕事仲間に配るのが恒例だった。

 ふいごさんにお供えしたミカンを食べると風邪ひかないとか言って、毎年楽しみにしてくれてる人も多かった。

 これ、火事が増える時期に向けて、火を使う仕事をする人たちが、火事を出さないようにって、気を引き締めるための行事だったんだろうって思う。

 そうそう、ふいご祭りの翌日、なぜか夕飯にけんちん汁だったのを思い出す。
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語り継ぐこと・・・・・

2019年08月29日 | 思い出
 私は、墨田区の向島地区、震災でも、戦災でも焼け残った地域で生まれ育った。

 小さい頃、可愛がってくれた小母さんが、こんな話をしてくれた。

 震災の時も、空襲の時も、川の向こうまで火が迫って来て、こっちは焼けてはいないんだけれど、マッチを柱に押し付けると火が付いたぐらい熱かったんだよ。

 子どもの頃、浅草や上野に行くと道端に白い服を着て、帽子をかぶり、前に飯盒の蓋なんか置いて、アコーディオンやハーモニカを演奏している人がいた。
 その人たちは黒い眼鏡をかけていたり、義足や義手を漬けたりしていた。
 しょういぐんじん(傷痍軍人)と呼ばれていた・・・・・

 親戚に戦争に行った伯父達が居た。

 ある叔父は志願して入隊し、帰ってこなかった・・・・

 ある叔父は特殊任務で、地獄を見てきた・・・・

 そしてある伯父は、上官に恵まれ、ひどいことをせずに終戦を迎えられ戦犯に問われる立場にいたのに、上官を地元の人たちがかばったので、上官と共に戦犯に問われずに済んだとか・・・・

 戦後74年。
 戦争を経験した人は高齢になり、経験を語れる人も減っている。

 そんな今、自分では経験してはいないけれど、戦争の残渣を知っている世代が聞いた事を次の世代に語り継ぐって、事が大事になって居るのだろうか。

 私は、戦争を経験した人の話を直接聞いて育った。

 だから、それを語り継ぐことは、私の使命のような気がしている。

 ただ、こんな話を聞いたんだよ、って、伝えるしかできないけれど、戦争の惨さを少しでも伝えたい。
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二日続きで・・・・

2019年06月23日 | 思い出
 昨日、今日と、二日続きでカラッとしない天気。

 明日も雨の予報が・・・・

 なんだか、本格的な梅雨ってお天気です。

 そういえば、子供の頃、いろいろなタイプの梅雨があることを知りました。

 雨と晴れがはっきり分かれる梅雨。

 なんだか毎日どんよりした梅雨。

 その年によって違うんですよね。

 で、こんなことを話したら、父にそれでは困る人もいるんだよって言われたことを思い出しました。

 子供の頃、毎日のように雨が降るのがつまらなく、昼間は晴れて、夜だけ雨っていうのがいいなって・・・・

 それに対する父の言葉が、次のようなものでした。

 確かに昼間晴れて、夜だけ降ったら、昼間働いている人やお前みたいな子供にはいいよねえ。
 でもねえ、夜の間に働く人もいるんだよ。
 例えば、道路工事の人たちは、昼間仕事をするときもあるけれど、夜の間、交通量の少ないときに大きな工事をしてるんだよ。
 それが夜、雨だったら工事が進まないだろう?
 他にも夜の仕事って色々あるから、毎日夜は雨だったら困ることもあるだろう?

 本当にそうですよね。

 自分の立場にとってはいいことでも、他の人の立場に立った時、本当にいいのかどうか、そんなことを考えることが大事だよって、さりげなく教えてくれた父でした。
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いつの頃からか・・・・・

2019年05月17日 | 思い出

 子どもの頃、銭湯に行くと、背中に彫り物をした小父さんがいたけれど、いつの頃からか、そういう人を見かけなくなった。

 そういう、彫り物を背負った人が、アウトローに多いってことからか、彫り物をした人を公共の場にはお断りってことになっちゃんだと思うけれど、なんだかよくわからない。

 昔から、彫り物をしていてもとっても気を使って、優しい人も多かったし、していなくても、人に迷惑替えて、脅かすって人もいたしねえ。

 まあ、わかんないじゃないけど、いろいろと考えさせられる問題だなあって思ってる。

 

 昔、まあ、言ってみたら江戸時代なんだけど 、罪を犯した人に、入墨を入れるって言う事をしたんだよね。

 地域によって色々らしいけれど、一般的には左腕にぐるっと筋を入れるってのが有名で、時代劇なんかでよく見るよね。

 ほかにも、額に犬って文字を一画ずつ入れていくってのもあったらしい。

 こういう、罪を犯した印で入れるのをイレズミって言って、そうではなく入れるのを彫り物って言い分けていたらしいけれど、いつの間にか全部イレズミになっち ゃって、そのあたりからイレズミ入れた人は怖い人、ってイメージになっちゃったのかなあ?

 もともと日本人って彫り物してたみたいで、『魏志倭人伝』に、倭国の人は、鯨面分身しているって書いてあるらしいね。

 

 で、LINEマンガで、『弟の夫』っていう作品を無料配信してるんだけれど、この中の女の子が、同性カップルに対する差別的なこととか、タトゥーを入れた人がスポーツジムを利用できないってことに対して、「なんか、へん」っていうのが、とっても大事な事なんじゃないかなあって気がする。

 タトゥーにしたって、文化的なこともあるし、すべてを一律に忌み嫌うことはないよねえって思うし、同性カップルだって、眉ひそめる事も無いよねえって思う。

 うまく言えないけれど、この女の子、とっても大事な事言ってるなあって思うんだよね。

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ガス漏れ警報器

2019年04月17日 | 思い出
 今日は、ガス漏れ警報器のお取替え・・・・

 5年ごとだもんで、ここに引っ越してきて15年経つんだなあ・・・・

 そうよねえ。

 ここに来た時、ムスコが高校入学。
 3.11の時が大学4年で、その年に就職だから、引っ越して、7年経った時。

 で、あれから8年だもんね。

 あっという間だったような、長かったような・・・・・

 こういうのって、大きなことがあった時、いくつだったよねえって思うと、
 
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