今日は、太平洋戦争の終わった日・・・・・
私自身は戦争を知らないけれど、子どもの頃、残り香は結構あった。
それに、東京の下町で生まれ育ったことからも、関東大震災や東京大空襲を経験した方たちの話は聞いている。
私が生まれ育ったのは、墨田区の向島地区。
ここは、震災でも戦災でも焼け残った所で、細い路地が入り組んでいる場所も多いが、同じ墨田区でも、南の本所地区は、被害が大きく、道路も碁盤の目のようにきれいに整っている。
私をかわいがってくれた、知り合いの小母さんは、この地域に生まれ育った人で、震災や戦災の時のことをいろいろと話してくれた。
空襲で川の向こう側が火事になり、その熱気がすごかったこと。
柱にマッチを押し当てたら、火が付いたんだよ。って言っていた。
京成橋から荒川のほうに行く四ツ目通りとつながっている道路(中村病院の前の通りって言っていた)あそこは、もともと細いところだったけれど、戦争の時期に、家をどかして作った大通りで、『疎開道路』って言ってたんだよ。
そんな話をよく聞いていた。
それから、子どもの頃、人の集まるところに行くと必ずと言っていいほど見かけた、『傷痍軍人』・・・・
義手だったり、脚がなかったり、黒いサングラスをかけたりして、白い服(今考えると病院の患者さんが着るような物)を着て帽子をかぶり、前に入れ物を置いて、軍歌を演奏して、道行く人が入れ物にいくばくかのお金を入れてくれるのを待っていた。
戦争は知らないけれど、戦争の残り香はどこにでも残っていた時代。
そんな中で、戦争を体験した人たちの言葉を直に聞いた私。
覚えていることを少しでも次に伝えたいなあって思う。