
かなざわのつどいメンバーから、
「熱い



今日から紹介していきます
















拝啓
おかわりないでしょうか。
母の日ということで、いつもより少し長い手紙を書きました。
あっという間に、僕も22歳です。何とか無事、就職もできました。
勿論想像の域はこえないけど、
人一人、自分で食っていけるようになるまで育てることは、並大抵のことではないと思います。
金銭面でも、愛情面でも、何不自由なく、ここまで大きくなれました。
僕はまだ研修の段階だけど、働くようになって、本当に社会は大変なのだということが少しずつ知らされてきます。
病気で体を壊しながらも、毎日働いて養ってれた父ちゃんと母ちゃんには子どもながらに感謝せずにおれません。
相当しんどかったやろうに、家庭のことからも社会のことからも、
僕やしょいちゃんには負担がかからないようにと防波堤となって守ってもらっていました。

また、大学に入って仏法を聞くようになって、相当心配をかけたと思います。
けど、僕は仏法を聞けなかったら生まれてきたことを呪い続けていたかもしれません。
じいちゃんが脳卒中で倒れ、歩けなくなり、食べられなくなり、話せなくなり、
チューブで繋がれて、紐でベットに縛り付けられ、
介護をする人はどんどん心がすさんでいって、、
僕は愕然とした。
これが50年後の僕の姿か、と。
老いるとか、死ぬとか、知識では知っていたけど、僕の未來にも本当にやってくるものなのか、と強烈にショックを受けた。
それまで、老いとか死とかは、他人事だった。自分とは関係ないことだと思っていた。
けど、それが自分の問題となって、初めて意識したのは、
「やがて死ぬのになぜ生きる」
だった。
長く生きてもせいぜい100年、西暦が始まって2000年位やけど、
これまで、生まれて、死んでいった人達が何百億人いるだろうか。
1000年後の未來から見たら、僕がいたかいなかったかなんて、そんなこと何の関係もないじゃないか、と。
勉強して、いい大学に入って、いい会社につとめて、というためにガンバレ、ガンバレと世間は言うけど、
その先は死ぬんだよ、と。
冷たいと言うかもしれないけど
僕はじいちゃんとあれだけ仲がよかったのに、
お見舞いにいっていたのも最初の1,2年くらいで、どんどん心が離れていくのが自分でわかった。
金なんてあっても使えない、家があっても住めない、あれほど慕っていた孫からも見放されて、死ぬのを待つだけ。
人生の目的は何だ…
50年後の自分…
考えれば考える程、
全て最後に別れるものの為に、一生懸命頑張るのか、と思えてきて、
死んだ方がよほど賢いのでないかと思った。
前にも言ったけど、自殺することも頭を掠めた。
けど、それを思いとどまられたのは、「父ちゃんと母ちゃんがいる」という事実だった。
これだけ一生懸命育ててもらっているのに、僕がつらいからって、命を投げ出してはいけない、と思った。
そうやって接してもらえたからこそ、大学で仏法に出会えた。
母ちゃんはまだ不審だらけだろうけど、僕は本当に仏法に出会えてよかった。
死の問題を見つめた上で、ガチガチ理系の、僕の理性の溶鉱炉を通過しえるものだった。
送ってるとどろき、無理に読めなんてことは言いません。読む気がおきなかったら読まなくてもいいよ。
自分の息子が何勉強しとるか気になったら、読んでみて。

さて、就職したら、次に心配されるのは結婚かいな。
相手がいるいない云々の前に、僕が結婚したいと思わなきゃ始まらないのですがw
まぁ学生終わったばかりやし。考え方なんていくらでも変わっていくとは思いますが。
まだまだ一人前とは言い難いですが、そうなれるよう、心がけていきます。
もうちょっと余裕が出来たら、金沢に来たときに寿司でも食いに行きましょう。
ではでは、またお盆に帰るので、その時はよろしく。
(20代 男性)















飾らない言葉から、ご両親への感謝の気持ちが伝わってきますね


