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この世日記 更年期女子の生き方思案

“中年女子”から“更年期女子”に昇格〜♪(笑) ・・・し、しかし・・・更年期で「女子」って・・・
・・♪~( ̄ε ̄;)

前記事「サレンダー」つながりで

2016-06-08 10:13:42 | この世観 あの世観 人間観

 

美術館で作品を観ているようなものだなと・・・・

 

“自分を越えた大いなる命” っての? それが創り出した作品(それから現れ出たこの世)を観賞しているようなものだと

感情や出来事も・・・森羅万象 創り出された作品で、すでに“現われ出た結果”

この世はそれらが飾られているステージ

 

作品を観て 制作もとの大いなる命のエネルギーを見て取るも

よいとかよくないとか批評し 大いなる命に難くせつけてみるも

ご自由に


変わらず作品は現れ出続ける

 

ここに “ へろーんってしながらこの世観賞中の 中年女子 Y ” っていう作品(現われ)が 今ある

 

 


サレンダー

2016-06-06 00:05:57 | この世観 あの世観 人間観


私の中では

サレンダーは「すべてを任せきって囚われ一切から解き放たれている」って感じかなー

<リンク 風のたより>
身も心も脱げ落ちる「身心脱落(しんじんだつらく)」の境地は、
自分を越えた大いなる命に帰依する「南無」の境地であり、
自分は頼りにならないと、自己の非力を徹底して知り、
決意して降参(サレンダー)することです。


あたしの場合は「へろ~んってしてよ」なので ちと“帰依(きえ)する”ってのと違うのかもしれないけど(笑)

身や心や気持ちを強張らせないで・・・・っていうのは身心脱落に近づく一歩かもしれないね

 

たまには スピスピしてみると・・・・

私は感情の湧き起こりの時間の流れっていうのは 日常一般的に感じている流れ方と逆じゃないかと思ってる

上のリンクで言うところの“自分を越えた大いなる命”っていうやつ?の“動き”(エネルギーの波とか揺らぎとかきらめきとか・・・)を認識上で感情や出来事として現している

 

なんか めんどーくさい説明・・・・・・・ やめよっと

 

 

ま、そんなこんなで

帰依するぞーっっ!ってな意気込みはゼロなのはもちろんだけどぉ

されんだーーーーっ!!なんて叫ぶことも 全くもってありましぇんし(笑)

・・・なのだけど

サレンダーっぽい生き方は好みだよなって思うし 少しはサレンダーしつつあるのかもしんないな 

って話です

 


あ、そういやー

「きえ~~~っっ(汗)」と叫ぶことある 意味違いで(笑)

 

 


ま、いわゆる さ れ ん だ ー ちゅーやつね

2016-06-04 06:23:19 | この世観 あの世観 人間観

 

何かをやろう とか やらなくちゃ とか しなければ って考えて 身や心や気持ちを硬く強張らせずとも

生きていれば 何かしら やり続けてるものだわ~

なんのかんのと なんかはしてる


勝手に息してるし(笑)

 

しなやかに 緩やかに チカラを抜いてて・・・ってのが楽でいいわぁ

意識を強く持たずとも

どのみち 何かしら思いついてやってるから・・・・

ふと気づけば やっぱり生きてるし(笑) どうせ生きてるし(笑)

 

身や心を硬くしたくなくても そうなっちゃう時は勝手にそうなっちゃったりするから

まぁ どのみち コントロールしきれるっちゅーもんじゃないけどさ~


「あら~ あたし 強張りモード中ね~ ふうぅぅ~~~」なーんて思ったりしながら

強張りつつあっても へろ~んってしてよーっと(笑)


 エヘヘー♪~( ̄∇ ̄~)ヘロロ~ン(~ ̄∇ ̄)~♪テヘヘヘー


私は風になりたいんだ なーんてつぶやいたりするけど・・・

2016-04-18 12:41:58 | この世観 あの世観 人間観

さっき 運転中 信号で止まってて 

可愛い花 見かけた

黄色かかった白い花びらの小さめの花 真ん中は黄色

甘そうな感じ(笑)

 

民家の塀の脇に

丈は20センチメートルぐらいかな

1畳よりも大きい面積ぐらいにひしめきあって咲いてた


それらが 時おり揺らめいて・・・ ぜーんぶがゆら~んてなびいたり

ところどころが あっちこっちに ゆらゆら~って傾いてみたり・・・・

 

あー今日は 風が強いからなー って思った

 

 

風って 見えないじゃん?

風っていう “ 物 ” があるわけじゃないじゃん?

風という “ 現象 ” というか・・・


花がなびくのを見て 「風が通った」のが分る

 

 

 

あたしも 

感情が揺らいだり

あれこれ考えたり 人と関わったりしていると


「あー・・・・・・・・・ 『わたし(という現象)』ってのが ここに在るんだなー」


なんて思う時がある

 


この世@人間 Y 

2015-12-09 12:51:57 | この世観 あの世観 人間観

感じることも 考えることも “自分の世界”でのことで 

単に 自分の反応を見ているにすぎないと思う

 

人のことを分かったように言ってても それは言っている本人の判断、解釈にすぎず、断定的に言う人ほど「世界が狭い人」なのかなって思うときがある(これも単にYワールドの中での解釈)

「あなたは〇〇な人ですね」と言われて それがとっても一面的だったり的外れだなって感じることもあるけど 

それは言ってる本人の世界の中限定のYの姿にすぎないので 好きにYという人間を設定すればいいよ って思ってる
だから 的外れ~って思っても 強行に訂正しようとは思わないかな

逆に面白がるかも(笑)

意外なことで褒められたりすると Yワールドの中にそういう視点が追加されて Yの価値が上がったような気分になる時がある。 気分いいじゃ~ん(笑) 

でも 褒めてくれた人の中のYがそうであっても Yワールドの中で「Yの実態はそうじゃないな」と判断してたり「Yのこういうところは褒めに値する」と設定されていなければ、自分で自分を無理に褒めることはしないかな。

 

他人を見て 〇〇な人だ と判断した瞬間に それは己の判断の仕方がそこに展開されているのを見ているにすぎない。自分の判断を脇に置いて判断はできない。己の世界の中限定のことなんだよね。

 

個々の人間は どこまでいっても 自分の世界を見ているだけなんだよね。

だから ほんとうの意味で真に「自分を客観視する」は この世ではできないと思うよ。


この世では 個々の人間は 個々の世界から出られないし 見ているものもすべて個々それぞれの己の世界なんだよねー。

 

まぁ こんなのが 私の人間ちゅーものの捉え方の大前提になっていて 

「じゃあ 自身の世界に過ぎないなら 自分で変えていける?」って話に繋がるんだけど・・・・