えみこの部屋

最期まで元気で過ごしたい

類焼

2024-06-15 10:07:00 | 日記

彼 (長男) が大学に入った時は 未だ 福知山線の 複線電化が 完成していない時でした、

   中学校の 入学後の 最初の 登校日にも 学校へ行く道に 迷った前歴が あるので、最初の 2年は 家からの通学を 後の2年は 何処かで 下宿を と云う約束を しました、その頃は 多分一人では 行動が 出来なかったのかも 大学受験も 友達と一緒に 京都市内を 泊まって 順次受けたようです (私学) お陰様で 合格をして 滑り止めに 一校だけ 入学金を 払ったのを 覚えています😥、

そう言えば 高校の時に 友達と キダタロウさんの 夜の ラジオ番組で 歌ったことも 有りました、

どうにか 通学の 二年は過ぎて 何処かに 下宿を! 多分 自分で 探したんだと 思うんですが、今のように ワンルームマンション等が なかった時代、共同便所が あって、お風呂は 銭湯で♨️ 管理人さん夫婦が居て でも彼なりに 料理も頑張ったんでしょうね その頃は 今のように 何処にでも 一人前の おかずを 売って無かったと 思います、

そして 修士課程に進み、就職が 決まった ある日、彼が 研究室に居た夕方 下宿先の 2階から出火、携帯電話も 無い時代だったので、居場所が 分からず 消防の方も 不明者と云う事で 大変だったそうです、家には 夕方に 知らせが、 火事が 有ったが 取り敢えず 本人は 無事ですと、此方も 夜の運転は 怖いんで、丁度 知人が 近くに 住んでいたので お願いをして 行ってもらいました、被災者は 近くの 集会所に 集められて 一晩を 過ごして〜 まあ こんな経験した人は 当時は 私達の 知っている限り 有りませんでした、でも 消防の方々が 上手く 防いで戴いたので 最小限の 被害で 済み ( 一人ものですし)  命も助かり 運の良い子 だったんです、

これも 彼ならではの エピソードです、

 半夏生には 少々 早いのですが、友達が 送ってくれた 写メを!

 

 

 

 

 

 

 


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