阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

クラブ20年の思い9 NPO法人設立

2019年07月24日 | 楠康夫 理事長
会員の皆さんに少しでも安心できる組織にしたい
そう思い、私は、NPO法人を選び2004年7月1日に阿見アスリートクラブを設立法人化しました。

女房が、22年やった教員を辞め、クラブの第1号の職員として誕生しました。
まだ、クラブの収入もあまり無く、ギリギリの雇用でもありましたが、
大きな責任を負うことと、クラブが大きくならなかったら貴方は会社を辞めてはいけないと
プレッシャーをかけられました。
単純な私は、それが一つの原動力になってしまうのですから・・・変わっています。
正直、私より女房が先に教員を辞めることになるとは、私にとっては、大きな誤算でもありましたが、彼女が凹んでしまうとゆくゆく困るので、しぶしぶ、承諾した次第ではあります。

NPO法人になって、色々と考え方が発展していきました。
地域貢献、社会貢献をやっていく法人、なかなか、板につかない自分がいました。
会員以外にクラブを応援してくれる個人、企業を募集していく。そんなハードルもクリアーしていかにといけませんでした。
思うようにいかない中、亡くなった父が紹介してくれた
フタムラ化学(株)様が賛助会員団体として 第1号として、賛同頂き会員になって頂きました。
この年、賛助会員団体11 個人8 クラブの支援を訴えて皆さんから、ご協力を頂きました。
私にとっては、この事は、大変勇気になり、クラブの練習会員以外の皆さんからのご支援が頂けることを初めて現実として知ることになりました。
クラブ経営上、この考え方がセットされたことは、その後のクラブ経営の発展に大きくつながることとなっています。

アスレッコ駅伝フェスタの前進の手作り駅伝大会をこの年度にはじめました。
スポーツの普及振興という視点、広く会員以外の人が集まれるイベントの始まりです。
これが、今の阿見プレミアム・アウトレットでの開催になるとは・・・思いませんでした。

このように、法人化したことで、定期練習会以外の事業の発展、新しいことが、大きく動き出しました。

定期練習会員では、

高校の部が相沢佑樹くん(並木高1年)1人でスタートしました。私が思っていた予定より1年早く始まることになりました。
佑樹は高校学年別大会1年生200mで3位になリました。彼のあの時の走りは、私の脳裏に今も残っています。
現在は、トレーナーの仕事として独立開業し、クラブの小学生担当コーチを手伝ってくれています。

中学の部では、見事に県大会3位に入り、関東中学出場4名がクラブ初の茨城県代表になりました。
群馬敷島公園陸上競技場での記念撮影、それから、群馬嬬恋に合宿にいきました。

小学生の部では、2年連続の女子80mHで、見事に全国大会入賞を果たすことが出来ました。

小学生、中学生の部では、県内レベルから、関東、全国に出場するメンバーも育ってきました。
競技実績においても、アスレッコクラブここにあり! そんな感じになりつつありました。

また、

NHKの首都圏ネットワークの『夢をかなえるために』の撮影依頼があり、私のヤクルトでの会社での姿、クラブでの姿、クラブの思いなどを取材されて番組になり報道されました。あの時に語っていることが確実に進んでいます。もう15年前のことですが~~~機会があったら、皆さんに、もう一度、見てもらっても良いかなと思います。

そんなこんなのNPO法人のスタートの年です。
責任のある組織にしていく、そんな思いで少しずつ夢・目標に向かって歩き出しました。

2004年度 主な出来事
・NPO法人設立
・職員第一号 楠 朱実
・賛助会員 
・高校の部 大人の部(ラン&ウオーク バウンドテニス) スタート
・全国日清カップ80mH2年連続入賞 後藤真里奈(阿見第一小)
・中学の部、初の関東中学の出場 矢崎玄樹 細田靖人 坂本奈保美 植村真維
・顧問 森本葵氏(元駒澤大学陸上部監督) 阿部(元東京女子体育大学陸上部監督) 
 アドバイザー 安田 亘氏(元ヤクルト陸上部監督)女房と私の恩師にお願いしました。
・城西国際大学 大塚正美(当時助教授)女子駅伝部ボランテイア活動スタート(岡原友紀コーチ他)
・手作り駅伝スタート(現アスレッコ駅伝フェスタ)

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